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虚晶の賢者――異世界魔法を科学する  作者: kujo_saku
第四章【崩れゆく理想郷】
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第49話「信じることの罪」



 夜明けとともに、重い蹄音が地を震わせた。


 砂煙を上げながら、槍と盾を構えた兵が村を囲む。旗にはオットー男爵の紋章――だが、その中央にはヴァルシュタイン公爵家の二頭鷲が小さく縫い込まれていた。


「……囲まれたぞ!」

 誰かが叫ぶ。


 戸口から飛び出した村人たちは、目の前に広がる鎧の列に声を失った。数十騎の騎兵が道を塞ぎ、歩兵は槍を突き立てて壁を作っている。


 その中央、黒衣の外套を纏った一人の男――公爵の側近、コンラートが馬上から鋭い視線を投げた。


「研究員五名を連れてこい」

 命令は冷酷で一片の迷いもなかった。


 ソウマ、エルンスト、ミラ、タリア、クラウス。

 名指しされるように兵に囲まれ、村人たちの目の前で中央へ引き出された。


 だが――

 扱いは一様ではなかった。


 他の四人が縄で拘束される一方、エルンストだけは椅子が与えられ、水と食事までも運ばれた。鎧兵は周囲を固めながらも、彼の近くにだけは鋭い刃を向けない。


「……なんだ、あれは」

「なぜエルンスト様だけ」


 ざわめきが広場を覆う。



 その時だった。



 群衆の中から、感情を逆立てる声が突き抜ける。



「……まさか、エルンスト様――裏切っていたのか!!!」



 声の主は λ。だがその姿はただの隣村の若者にしか見えない。


 場がざわめき、すぐにもう一人が続いた。


「信じてたのに!やっぱり……そうだったんだな!!」


 仕込まれた言葉は火種となり、一気に人々の胸を爆ぜさせた。


「裏切り者だ!」

「俺たちを売ったのか!」

「卑怯者め!」


 隣村の者たちを中心に、怒号と殺気が膨れ上がる。農具を握りしめる手が震え、石を投げようとする影もあった。


 慌てた男爵兵が盾を構え、群衆とエルンストの間に壁を作る。だが、その光景が逆に「守っている」という印象を強め、怒りはさらに加速した。


今にも隣村の住民たちは男爵軍に襲いかからんとする勢いだ。


「お待ちください!」


 前に進み出たのは、村長だった。白髪を振り乱し、震える声で必死に叫ぶ。


「どうか……どうかこのような扱いはお控えください!この方々は――この五名全員はこの村を救った英雄なのです!」


 コンラートの視線が村長を貫く。短い沈黙ののち、冷徹に言葉を落とした。


「英雄だと?……まあ、よかろう。だが研究部屋への立ち入りは禁ずる。研究員は村長宅に軟禁する。以後、すべて我らの監督下に置く」



「俺たちの畑と血を犠牲にして、結局は大貴族に媚びるのか!」


 隣村の若者たちが一斉に叫び、鎌や鍬を振り上げる。瞳には怒りと絶望が燃え、今にも兵に飛びかかろうとした。


「下がれ!」


 兵の盾が前に出る。だが、群衆の勢いは止まらない。


 その瞬間、乾いた音が響いた。


 コンラートが馬上から短槍を投げ放つ。

 鋼の穂先は一直線に飛び、怒号の先頭にいた若者の足元の土を深く抉った。


 土煙が舞い、地面に突き立った槍が震える。

 若者は青ざめて腰を抜かし、その場に崩れ落ちた。



 広場に、凍りつくような沈黙が広がる。



若者の怒号がまだ残っている中、コンラートはゆっくりと槍を引き抜き、地面に突き立てたまま馬上から広場を見下ろした。



その姿は揺るがぬ岩のようで、しかし獲物を狙う獣の静けさを帯びていた。



「……勘違いするな」



低く落とされた声は、雷鳴よりも重く人々の胸を打つ。


「私はただの使者ではない。ヴァルシュタイン公爵の声であり、意志そのものだ。逆らうことは、公爵殿下と――その軍勢すべてを敵に回すことに他ならん」


 村人たちの息が止まった。


 恐怖にすくむ者もいれば、拳を握り締める者もいた。だが誰一人、前へは出られない。


コンラートは、わずかに口角を歪めた。

「羊が何匹集まろうと、狼を倒すことはできぬ。群れの勇気では、牙一つ折ることも叶わんのだ」


 その言葉に、怒声は完全に掻き消えた。

 村人の瞳から炎が奪われ、ただ沈黙だけが広場を覆う。


コンラートは一拍置き、冷徹に条件を突きつける。

その声音には、百戦錬磨の将だけが持つ確信――“抗うだけ無駄”という絶望的な現実が滲んでいた。



 コンラートはゆっくりと息を吐き、淡々と告げた。


「以後の取り決めを伝える。――肥料の扱いには干渉せぬ。ただし、利益の半分は研究費として徴収する」


 その言葉に、村人たちがざわめく。


「な、三割に減ったばかりじゃ……」

「やっぱりエルンスト様が……裏で」


 止めどなく広がる疑念の囁き。

 コンラートはそれを楽しむかのように冷淡に続けた。


「研究員は外出を禁ずる。村人の移動も、すべて男爵家への申請を経て許可を受けよ。従わぬ者は、保護の対象としない」


 低く鋭い声が広場に響くたび、村人たちの心がさらに沈んでいく。


 英雄は縛られ、利益は奪われ、自由は制限される。


 そして――疑惑の刃と絶望的なまでの力の差で抗えない苦しみは、誰よりもエルンストに向けられていた。




夕刻。村長宅の広間。


 外には男爵兵が詰め、窓も戸口も厳重に見張られている。

 薪が爆ぜる音だけが響く中、五人は円になって座らされていた。縄は解かれていたが、自由などどこにもない。


「……おかしい」


 最初に口を開いたのはエルンストだった。


 紙片を指先で折り曲げながら、低く呟く。


「準備を整えて兵を動かすには、最低でも一月はかかる。だが……これは早すぎる。まるで、事前に何かを知ってリスク覚悟で動いているような……」


 広間の空気が揺れる。


 沈黙のあと、誰ともなく虚ろな目で震えているクラウスの肩に視線が集まった。


「……っ」

 クラウスは背筋を強張らせ、喉を鳴らした。乾いた音がやけに大きく響く。

 (違う……いや、違わない……! でも俺は――)


 タリアが鋭く目を細める。

「どういうことだ? クラウス、お前まさか……」


 ミラも、不安に押しつぶされるような声で続けた。

「クラウスさん……何か知っているんですか?」


 視線の熱が一斉に注がれる。


 広間の空気が重く沈み、逃げ場はなかった。

 クラウスの唇はひび割れるほど乾き、必死に言葉を探しながら――震える手を膝の上で握りしめた。



クラウスの唇が乾いた音を立て、ついに震える声がこぼれ落ちた。


「……俺が、渡しました。情報を……ヴァルシュタイン公爵の使いに」


 広間が静まり返る。火のはぜる音すら遠のき、誰もが次の言葉を失った。


「やっぱり」タリアが深く息を吐く。

「変だと思ってた。動きが早すぎたしな」


 ソウマも目を伏せ、ただ一言。

「……そうか」

驚きも怒号もなく、淡々とした声音だった。


 ミラは膝の上で手を握りしめ、ただじっと一点を見つめていた。


 三人はまるで織り込み済みのように冷静だった。

 クラウスはその事実に胸を締め付けられ、余計に自分の過ちが鮮烈に浮かび上がる。


 沈黙を破ったのは、エルンストだった。


「……馬鹿な」

 額に手を当て、低く呻くように吐き出した。


「クラウス……なぜ、私に相談しなかった!なぜ勝手に……!」


 一瞬、鋭い声が広間を裂いた。クラウスはうつむき、返事すらできない。


 だが次の瞬間、エルンストは深く息を吐き、力なく首を振った。


「いや……責めても仕方がないな」


 瞳の奥に走ったのは怒りではなく、苦悩と諦めだった。


「君は、私を守ろうとしたのだろう。……その気持ちは分かる」


 かすかな笑みを浮かべようとしたが、歪んで消えた。



「だが結果は……最悪だ。公爵の手がここまで速く伸びるとは。もう逃げ場はない」


 クラウスはその言葉に顔を上げる。

「すみません……俺は、俺は……!」


「謝るな」エルンストは遮った。

「今は誰かを責めている場合ではない。問題は――ここからどうするか、だ」


 その声音には、自身を叱責しながらも部下を見捨てない、指導者としての苦渋が滲んでいた。


クラウスは、唇をかみしめて顔を上げた。

「……俺が、村人たちに説明してきます。エルンスト様は裏切ってなんかいないって……俺が言えば、みんな分かってくれるはずです!」


 その必死な声音に、エルンストは目を細めた。


「やめろ」


「……え?」


「今お前が言っても逆効果だ。『弁明させられている』としか見られん。むしろ疑念は強まるだろう」


 エルンストの声は苦かった。だが確かな理があった。


 クラウスは愕然と立ち尽くした。

「そんな……じゃあ、俺は……俺はどうすれば……」


 その場に力なく膝を落とす。


「すみません……すみません……」



 額を畳に擦りつけ、震える声を繰り返すしかなかった。


 その姿を前に、ソウマもタリアも何も言わなかった。ただ、重苦しい沈黙だけが部屋を満たしていた。


クラウスが崩れ落ち、嗚咽混じりに「すみません……すみません……」と繰り返す声が、部屋の隅に重く沈んでいた。


 誰もそれを責めなかった。だが誰も慰めることもできなかった。


 静かに口を開いたのはエルンストだった。

「……結論を出さねばならん。これ以上、村人たちを混乱させるわけにはいかない」


 ソウマが顔を上げる。

「結論……?」


「公爵に降るしかない」


 エルンストの声音は揺れていなかった。むしろ冷徹な現実を見据える響きがあった。


「情報が漏れた以上、我々は監視下から逃れられん。ならば……いま自ら降り、条件を引き出す余地を作る。無理に抗えば、皆まとめて潰されるだけだ」


 タリアが机を拳で叩いた。


「ふざけんな! また公爵の犬になるなんて、死んでもごめんだ!」


 その瞳には怒りと悔しさが燃えていた。


 ミラは泣きそうな顔で言葉を探し、結局声を絞るように呟いた。

「でも……村が……人が死んでしまうのは……」



 エルンストはタリアとミラを交互に見てから、ソウマに視線を向ける。


「ソウマ。お前はどう考える?」


 全員の視線が集まった。

 ソウマはしばらく口を開かなかった。炎の揺らめきが瞳に映る。


 ソウマは崩れ落ちたままのクラウスに静かに近づき、低く問うた。


「クラウス。……お前、どこまで話した?」


 クラウスは喉を鳴らし、絞り出すように答える。

「……以前の取り決め通りです。禍石は……魔力を吸収する、そこまで……それ以上は……」


 ソウマはじっと彼を見つめた。

「……本当だな?」


 揺れる瞳に、偽りは見えなかった。

 クラウスは嗚咽を飲み込みながら、何度も頷いた。


 そのやりとりを見ていたエルンストが、わずかに息を吐き出した。


「……そうか。それなら、まだ最悪の一歩手前だ。魔力を吸収するだけなら、危険性より将来的な価値が見いだされ、今後の開発への期待も向くはずだ。命までは取られまい」


 その声音には、ほっとした安堵がにじんでいた。

 そして顔を上げ、決然と告げる。

「だからこそ、素直に公爵に従うべきだ。下手に逆らえば……村ごと消される」


 タリアが悔しげに奥歯を噛みしめた。

ミラは不安げにソウマの顔を見つめる。


 すべての視線がソウマに集まる。

 ソウマはしばし黙し、炎の光を映す瞳で一人一人を見渡した。


「……考えさせてくれ。一日だけでいい」


 短い言葉は、救いではなかった。

 だが――最後の希望を繋ぐ、細い糸となった。


ここまで読んでくださってありがとうございます!


本日は2話更新なので夜22時に

第50話「決別の朝-共有-」

を公開します。今週末で第四章も完結します!



感想・ブックマークがとても励みになります。

どうぞ、次話もよろしくお願いします!

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