第48話「包囲」
石畳の宿場町。
借り上げた屋敷の一室に、ヴァルシュタイン公爵の側近コンラートは腰を下ろしていた。
机の上には、夜明け前に届いた密書が開かれている。
「……禍石が、魔力を吸収する、だと」
低い声が部屋に落ちる。
(閣下の直感は正しかった。これは毒どころか、ミスリルを追い落とす可能性まで秘めているぞ。)
報告を持ち込んだ λ は、影のように壁に凭れながら微笑を浮かべていた。
「ええ、間違いなく。証拠を持ち出すと約した男がいますよ。ふふ、まっすぐ過ぎて、こちらの言葉にすぐ顔を赤らめるような青年ですがね。どうします?約束を果たせば今ごろ証拠の品を受け取っている頃かと」
コンラートの鋭い眼差しが一瞬だけ λ に向けられたが、すぐに机上の地図へ落ちた。
「……証拠は後でいい。それよりも、すぐに動くぞ」
オットー男爵が控えめに口を挟む。
「兵を動かすには準備に二日はかかりましょう」
男爵の言葉に、コンラートは迷いなく頷いた。
「よかろう。準備を終え次第すぐに出立だ。村までは通常四日の道程――だが急がせろ。三日で踏破する。合計五日だ、それ以上は許さん」
「承知しました」
コンラートは指先で地図を叩く。
「五日後には村を完全に囲め。逃げ道を塞ぎ、従わせろ。研究員どもは生かすが……それ以外はどうでもよい」
「それですと……抵抗があれば、血は避けられませぬ」
「構わん」
コンラートは冷ややかに言い切った。
「余計な者まで守る義理はない。命を惜しむなら、従えばいいだけのこと」
そして密書を折り畳み、封を再び蝋で固める。
「……肥料の件は触れるな。村人にとっては命綱だ。だが、利益は徴収する――“研究費”の名目でな」
λ が喉の奥で笑った。
「それはいい火種になりますな。たかが村人とはいえ、団結されては面倒です。ここはエルンスト殿に悪役となっていただきましょうか…」
コンラートは立ち上がり、外套を翻した。
「準備にかかれ。時間をかけるなと閣下は仰せだ。λはすぐに村に戻れ。仕込みを怠るなよ。失敗は許されん」
—--
研究小屋の空気は、ここ数日どこか張り詰めていた。
最近、ソウマが研究部屋にいないことが多いせいか道具を広げても、議論が白熱することはない。
タリアは珍しく黙り込み、ただ工具を磨き、時折火花を見つめている。
ミラも手元の帳簿を眺めながら、返事をしても声がどこか上ずっていた。
「……お前たち、最近妙に静かじゃないか?」
図面を広げていたエルンストが、ふと顔を上げて問いかける。
「何かあったのか?」
タリアは肩をすくめ、無理に笑みを作った。
「たまには静かに考え事もするんだよ。私だってな」軽口にしては力がなく、どこかぎこちない。
ミラも慌ててかぶせるように言った。
「そうです。……ちょっと疲れているだけですから」
視線を逸らした先は窓の外。彼女の指先は帳簿の端を無意味に何度もなぞっていた。
エルンストは眉を寄せたが、それ以上は追及しなかった。
ただ、普段なら笑いと口論で賑やかなはずの研究小屋の沈黙が、どうにも落ち着かなかった。
—
村の空気は日に日に重さを増していた。井戸端の女たちが声を潜める。
「また研究所に持っていかれるんじゃないの?」
「三割になったって、どうせすぐ変わるんだろう」
畑で汗を拭う若者たちも、愚痴を隠さなくなっていた。
「このままじゃ俺たち、使い潰されるだけだ」
クラウスは苦笑しながら荷運びを手伝い、答えを濁すしかなかった。
(皆を守りたい……)
そんな折、街道を行き交う商人が「鎧を着た集団を見た」と騒ぎを持ち込んだ。
「街道を北に、旗を掲げた兵が通ったぞ」
村人たちは顔を見合わせる。
誰もが嫌な予感を覚えながらも、「まさかここに来るはずが」と言い聞かせた。
だが翌朝――
蹄音が地を叩き、砂埃を巻き上げる軍勢が、ついに砂煙と蹄音が大地を震わせ、鎧の光が木立の向こうに現れた。
オットー男爵の兵を率いた軍勢が、ついに村を取り囲んだのだ。
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