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虚晶の賢者――異世界魔法を科学する  作者: kujo_saku
第四章【崩れゆく理想郷】
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第44話「嫉妬」

 広場には、村人たちが続々と集まっていた。春の陽気に包まれながらも、張り詰めた空気が漂う。公爵家の紋章旗を掲げた豪奢な馬車が去ってから一夜。村長の号令で、全員に「昨日の件を伝える」と集会が開かれたのだ。


 村長ハルマは囲炉裏の残り火の匂いを衣にまといながら前に進み出る。その両脇には俺とエルンスト。人々の視線が一斉に集まり、ざわめきが広場を波のように走った。


「皆の衆。昨日、公爵家からの使者が参られた。その要件は……禍石の研究を公爵領で行わぬか、というものだった」


 ざわっ、と声が上がる。

 村長は手を広げて続けた。


「資金も施設もすべて公爵家が用意する。肥料の研究はむしろ保護すると約束された。……ありがたい話ではある」



 ざわめきが広がる。


「……いい話じゃないか」

「なぜすぐに受けないんだ?」

「村の負担も減るんだろう?」


 小声で交わされる言葉。

 俺はそれを正面から受け止め、淡々と答えた。


「確かに、表向きは良い話だ。だが、公爵に従うということは、研究の自由を失うことでもある。すぐに答えを出すのではなく、慎重に考えるべきだ」


 言葉を選び、誠実に説明したつもりだった。だが――


 群衆の中から声が上がる。


「だったら、せめて仕事の分担を見直してくれよ!」


 声の主は隣村の若者だった。


「運搬ばかり押し付けられるのは不公平だ! 重い荷を背負って、糞の臭いにまみれて……オスト村の奴らは発酵室でぬくぬくしてるだけじゃないか!」


 その言葉に、隣村の者たちが口々にうなずく。


「そうだ! 俺たちばかり損をしている!」

「公平にしてくれ!」


 空気がざわめきに包まれた。

 俺は前に出て、深く一礼するように頭を下げ、ゆっくりと口を開いた。


「確かに、運搬は重労働だ。寒さや臭いに耐えてくれていること、感謝している。だが……理由があるんだ」


 人々の視線が俺に集まる。

 俺は誠実に、ひとつひとつ言葉を選んで続けた。


「いずれ、原料が何であるかは外に漏れるだろう。隠し通せるものではない。だが――発酵の方法さえ守れれば、この肥料は独占できる。価格も維持できるし、村全体が利益を得られる」


 誰かが小さく息を呑んだ。

 俺はさらに言葉を重ねる。


「だからこそ、知る人間は少ない方がいい。秘密は広げれば広げるほど、どこかで漏れる。今の分担は、そのためだ。……どうか理解してほしい」


 広場に沈黙が落ちた。

 俺は頭を下げたまま、誠意を込めて“お願い”として言い切った。


 そのとき――


「……異郷人のくせに、なんでそんな偉そうに」


 群衆の中からぼそりと低い声が漏れた。誰が言ったのか、分からない。

 だがそれをきっかけに、空気が一気にざわめきに変わった。


「そうだ! 部外者は黙ってろ!」

「俺たちの苦労も知らないで!」


 隣村の人々が声を荒らげる。


 それに対して、オスト村の老人が杖を突き鳴らし、怒鳴った。


「黙れ! 飢え死にしかけていた俺たちを救ってくれたのは誰だと思っとる!そのような無礼な口のきき方は許さんぞ!!」


 別の男が叫ぶ。

「ワンダリンググリムに襲われたときもそうだ!体を張って大怪我を負いながらも、ソウマ殿は俺たちを守ってくれたんだ!」


「ソウマ殿がいなければ、この村は今も飢えと恐怖に沈んでいたんだ!」


 恩義を語る声が次々と広がり、空気は一気に対立の渦へと変わっていく。


「文句があるなら今すぐこの村から出ていけ! 恩知らずめが!」


「何を言いやがる!俺たちだって働いてる!」


「働いてる?愚痴ばかりじゃないか!だいたいお前たちだって美味いもの食って、服も新しくなって、文句言ってはいるが、結局ソウマ殿にすり寄ってるじゃないか!」


「なんだと!もう1回言ってみろ!!」



 広場は怒声で揺れ、押し合いに発展しかけた。

 ミラが泣きそうな声で叫ぶ。


「やめてください! 喧嘩なんてしないで、ちゃんと話し合いましょう!」


 けれどその声は、荒れ狂う怒声に呑み込まれていった。


 ――その時。


「双方そこまでです!」


 鋭く通る声が、広場を切り裂いた。

 一瞬で全員の声が凍りつく。



 エルンストが一歩前に出て、背筋を伸ばし、群衆を見渡していた。

 その瞳には、揺るぎない力が宿っていた。そこには人々の上に立つものという絶対的な何かを感じずにはいられなかった。



「この場で言い争っても何も変わらない。代表を立て、改めて話し合う場を設けよう。その時に研究費の分配についても再度取り決めをしよう、それでいいか?ソウマ殿」


「もちろんだ」俺は即答した。


 誰も反論できなかった。

 押し殺した息と目に見えない嫉妬の渦が、広場を飲み込んでいた。





広場のざわめきがようやく収まったのは、日が西に傾きかけたころだった。


 俺たちは研究部屋へ戻ったが、誰もすぐには口を開かなかった。

 暖炉の火がぱちぱちと爆ぜる音だけが、張りつめた沈黙を埋めていた。




 先に爆発したのはタリアだった。


「ったく! 何だよあの言い草は! ソウマは部外者?ふざけんな! あいつら、誰のおかげで腹いっぱい食えてると思ってんだ!」


「あいつら、八つ裂きにしてやろうか……ソーマに酷いこというやつはあたしが許さない」


伝令に来ていたコハルも怒りを露わにする。

 机の上の工具を乱暴に置き、両手を広げて怒鳴る。


「……気にすんなよ、ソウマ」

 荒い息を吐きながらも、ちらりと俺に目を向ける。

 怒っているのは村人たちに対してだが、同時に気遣いも込められていた。


「二人とも、よくあの場で堪えてくれたな、ありがとう」二人の心遣いに感謝する。


「流石にあそこで切れるほどバカじゃないさ、腸煮えくり返ってるけどな!!」


---


 その隣で、ミラが小さく声を絞り出す。

「ソウマさん……大丈夫ですか?」


 心配そうに俺を見つめ、ぎゅっとスカートを握りしめる。


「今までは……大変なこともいっぱいあったけど、みんなで助け合って乗り越えてきました。喧嘩なんて……一度もなかったのに」


 言葉は震えていた。


 豊かになったはずの村に、初めて芽生えた軋みを目の当たりにして、彼女自身も混乱しているのだろう。


 俺はミラの声を聞きながら、胸の奥に冷たいものを感じていた。


 ――これまでは生きるのに必死で、誰も何も持っていなかった。持たなければ、比べることもなく、嫉妬は生まれない。


 けれど今は違う。少しずつ余裕を持ち始め、誰かと誰かを比べられるようになった。その原因の中心に、確かに俺の持ち込んだ知識や仕組みがある。


 助けるはずだったものが、争いの種になってしまっているのではないか――そんな疑念が心を締め付けた。


---


 その時、エルンストが口を開いた。


「……ソウマ。謝らねばならない。研究費の件、相談もせず勝手に付け加えてしまった」


 真っ直ぐな声だった。


「だが、あの場を収めるには、そう言うしかなかった…」




 俺は苦笑し、軽く首を振った。


「いや、いい手だった。あれがなければ収まらなかっただろう」



 エルンストは一瞬黙し、それから小さく息を吐いた。

「……そう言ってもらえるなら、救われる」



 その声音には、安堵と同時にわずかな疲労が滲んでいた。


 俺は改めて口を開いた。


「心配するな。俺は大丈夫だ。それより……」


 視線をエルンストに向ける。


「面倒な役を押し付けて済まないな」


 エルンストはわずかに目を細め、静かに答えた。

「仕方ないことだ。……だが、これからは少しやりにくくなるだろう」



「ああ、情報もいつか露見するだろうな」


 俺は一呼吸おき、皆を見つめてから続けた。


「だから、漏洩する時の約束事を決めよう。まず絶対に漏らしてはいけないのは――魔力の自動チャージだ」


 エルンストも頷き、低く言葉を継ぐ。


「この情報は確かに刺激が強すぎる。良くて監禁、最悪の場合は抹殺されるな」


「だからこそ、漏洩も段階的にする。まずは“禍石は魔力を吸収する”ことを表に出す。命の危機にある場合は――その情報をあえて漏らせばいい。相手は十分に情報を得たと納得するだろう」


「自動チャージの研究資料や装置は、研究部屋には置かず、前の小屋に移そう。今は倉庫になっているし、誰も近づかない。いざという時は、ためらわず誰かが隠滅する」


 俺の言葉に、ミラの顔が曇った。

「……誰かが、って……そんな……」

 小さな声が漏れる。


 タリアも腕を組み、視線を落としたまま短く吐き捨てた。


「覚悟ってやつか。……気に食わねえけど、確かに必要だな」



 俺はうなずいた。

「そうだ。これは“誰か一人が背負う覚悟”だ。全員が助かるために、誰かが必ず線を引かなければならない」



 暖炉の火がぱちぱちと爆ぜた。

 その音が、重苦しい沈黙をさらに強める。

 未来をつなぐための冷徹な約束。だが、その影には確かに人の心が震えていた。



「コハル、来てすぐですまないが、リーナに報告をしてくれ、かなり重要案件だ、急ぎで頼む」


「うん、すぐに出る。さみしくなったらミラに抱きつくといい、ミラの匂いは落ち着く」


「ち、ちょっと、コハルちゃんこんな時に何言ってるの!!」


真っ赤になるミラを横目にコハルはもう出発の準備を始めていた。


---


 クラウスは黙ってその様子を見ていた。


 忠実な付き人として、ただ立ち会っていたが――心の奥で、エルンストの肩にこれ以上重荷がのしかからぬようにと、密かに案じていた。



 エルンストは言葉を区切って、静かにまとめた。

「いずれにせよ、今は“保留”が最善だ。……これ以上の波風は立てられない」


 俺はうなずいた。分かってはいる。だが胸の奥では、別の声が響き続けていた。


 ――俺は本当に正しい道を歩いているのか?

 ――このまま研究を続ければ、また争いの種を撒くのではないか?


 答えは出ない。けれど考えるのをやめることもできなかった。


 虚晶石を見つめれば、頭のどこかで

「次は何を確かめよう」

と思ってしまう。


 止められない。



苦悩を抱えたまま、それでも足を進めてしまうーー



ここまで読んでくださってありがとうございます!



感想・ブックマークがとても励みになります。

どうぞ、次話もよろしくお願いします!

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