第41話「脅威」
村長の家に灯りが集まった。
壁に布を広げ、エルドが地図に印を付けていく。
「ここが例の洞窟。入口は狭いが、中は広間がいくつもある可能性がある。もし大きな群れが棲んでいれば、正面突破は危険すぎる」
赤炭の線が机の上で揺れる。
タリアとコハルは並んで試作品を回しながら耳を傾け、ミラは湯気の立つ鍋を持ち込み、みんなの指を温めていた。
「正面は狩人と有志の若者で受ける。エルド、囮役を頼めるか?無理をする必要はない。あくまでも最初に洞窟から狼を引き出す役割だ」
「任せろ。矢と槍で気を引いてやる」
俺は指先で洞窟の別の通路を指差す。
「入口が狭い分、中にどれだけいてもある程度は相手取る数は制限できるだろう」
コハルが笑う。
「いいね、群れ相手に暴れられる」
タリアは肩を揺らしてにやり。
「そのために作ったんだから」
そこでクラウスが口を開いた。
「……ただ、スノーウルフは巣を突かれると、群れの一部が必ず匂いを辿って報復に来る習性がありますよね。洞窟だけを見ていては危険です」
場の空気が一段と引き締まる。
クラウスは静かに続けた。
「本隊が洞窟を攻める間、私は村に残って防衛を指揮します。老人や子どもを守るのが先決ですから」
ミラが不安げに頷き、エルンストも賛意を示す。
「それが最も合理的だ。二正面作戦になるが、クラウスなら任せられる」
俺も頷いた。
「……頼む。確かに村人とも良好な関係があるクラウスが最適だろう。ミラも残ってクラウスのサポートをしてくれ」
クラウスは真っ直ぐに頭を下げた。
「必ず守ります。安心して向かってください」
エルンストが俺を見やる。
「ソウマはどう動く?」
「俺は後方だ。全体を見て、異常があれば即座に退く。……ここで死ぬ必要はない」
小屋の中に一瞬、雪を打つ風の音が響いた。
次の瞬間には、焔の揺らぎと共に全員の目に熱が宿る。
「決行は明日の夜明けだ。タリア、それまでに武器は完成するか?」
「ああ、すげー事思いついた。度肝抜いてやるよ!」
俺の言葉に、誰も異を唱えなかった。
—-
決行日。
洞窟の前に立つと、全身が粟立った。
黒い穴から吐き出される冷気は、ただの風ではない。野獣の吐息。
村人たちの指先は震え、握った槍から軋む音が伝わってきた。
スノーウルフは夜行性だ。今は狩りを終えてねぐらに戻ってきた直後。見張りは少ないはずだ。
「来るぞ――!」
釣り役のエルドの声と同時に、洞窟の奥がうねった。赤い光が幾つも灯り、咆哮が雪原を震わせる。
群れが雪崩のように飛び出した。牙が閃き、爪が雪を切り裂く。前列の若者が悲鳴を上げ、必死に槍を突き出す。
想定よりもかなり数が多い!
「エル、分断しよう!」
「分かってる!」
瞬時に状況を判断し、エルンストは既に魔法を展開、氷壁を生成して戦況を変えようとする。危険なら即時撤退もあり得る状況だ。
しかし、その刹那。
「はっ!」
コハルが躍り出た。
虚晶石を握った柄が微振動し、白いムチがうなりを上げる。
――バシィィィン!
凄まじい衝撃音。狼たちの群れがまとめて切断され、吹き飛び、雪煙ごと斜面を転がった。ムチを振るう度に雪片が爆ぜ、群れはみるみる数を減らしていく。
その笑顔は明るいはずなのに、どこか目が据わっていた。
楽しげな声に混じるのは、ほんのわずかな狂気。
そして沈黙。
次の瞬間、村人たちが一斉に歓声を上げる。
「す、すげえ!」
「たった1人で……!」
「これなら勝てるぞ!」
コハルは耳をぴんと立て、血の匂いに興奮したように跳ねた。
「ひゃっほー! もっと来いよ!」
タリアは腰に手を当てて、得意げに鼻を鳴らす。
「ふふん、やっぱり最高傑作!」
……だが俺とエルンストは、言葉を失っていた。
作戦など要らない。氷壁も囮も意味をなさない。
強い。――いや、強すぎる。
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洞窟の奥から、さらに重い咆哮が響いた。
片目に古傷を刻んだ巨体が、雪原に姿を現す。
スノーウルフは比較的小さい個体が多いが、明らかに大きな個体――アルファだ。
村人たちは気づかぬうちに後退りしていた。
一瞬の静寂。
いつの間にかコハルは風のようにアルファの懐へ滑り込み、巨体の影から背後に抜ける。
ナイフがきらりと光り、喉元に深々と突き刺さった。
巨体が呻き、雪に崩れ落ち、群れは散り散りに四散する。あっという間に脅威と思われたそれは消え去った。
村人たちは呆然と立ち尽くした。
「な、なんだ今の……」
「速すぎる……全く見えなかった……」
勝利の歓声の裏で、血に濡れたナイフをくるくる回すコハル。
その笑みは、無邪気と紙一重の危うさを帯びていた。
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「……タリア」俺は低く問いかける。
「何を仕込んだ?」
タリアはにやりと笑い、悪びれもせず答えた。
「柄に虚晶石を埋めて、芯に細いミスリルを通しただけだよ。魔力を流すと増幅されて、すごい微振動になるんだ。……切れ味、最高でしょ?あと、コハルの魔力と同調するように設定してみたんだ」
「ミスリルを……糸に?」
「そうそう! ちょっと細工するの苦労したけどね!」
エルンストの顔が険しくなる。
「……一国の兵力を凌駕する。兵器にすれば、戦場の均衡が崩れるぞ」
俺も唇を噛む。
「これは……危うすぎる」
だが村人たちは喜びに沸き、コハルは血に濡れた手で武器を掲げて笑っている。
その姿は英雄にも見え、同時に――背筋を寒くさせるほど異質だった。
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ソウマはコハルの戦い、いや新しい武器を思い返していた。
ムチが振るわれ雪煙が舞う。
同じ一撃でも、舞い方は毎回違った。
ある時は波紋のように広がり、ある時は渦を巻く。
(……これまでミラとエルンストは“感じ取る”ことで純度を見分けていた。微細な感覚の世界だ。だが今は違う。タリアの武器が振動を過剰に増幅したことで、媒質の揺らぎが目に見える形にまで現れている。もはや勘ではない。これは、数値化できるレベルだ)
雪明かりに照らされた雪煙は、銀色の波紋を描きながら空気に溶けていく。
美しさと恐ろしさが同居する光景だった。
歓声に包まれながら、俺の頭の中だけは冷え切っていた。
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戦いが終わり、皆が肩を叩き合っている中で、俺はコハルに向き直る。
「……この武器は少し威力が高すぎる。普段は魔力を流さずに使ってくれ」
コハルは笑顔を崩さずに答える。
「ソウマが危険だと思うなら持ち帰らずに置いていこうか?」
それも一瞬考えたが、すぐに首を振った。
「置いていく事も不安だ。何かあった時に後悔するよりは、持っていたほうがいい」
コハルはうなずいた。
「分かった。使い所はちゃんとする! リーナにも伝える!」
笑顔の奥にちらつく影。
その手に握られた武器は、勝利の象徴であると同時に――脅威そのものに見えた。




