幕間:アストレア史【ヴァルシュタイン公爵】
帝国歴三二二年、秋。
オスト村における収穫祭の報は、代行を通じてレオポルト・ヴァルシュタイン公爵のもとにも届いていた。だが当時の公爵は、この辺鄙な村に大きな関心を抱いた形跡は乏しい。
彼は北部を実効支配する強大な領主であり、財源は鉱山と街道徴税によって潤沢に見えていた。領民の一部からは「手腕ある経営者」とも受け止められていたが、同時に、手段を選ばぬ辣腕は恐れの対象でもあった。
苛烈な経済政策の最たる例がある。公爵が意図的に飢饉を起こしていたという事実だ。流通を制限し、収穫を隠匿させ、市場に出回る穀物を抑え込んだ。
これを史家の多くは「悪政の一つ」と断じる。だが一部の研究者は別の解釈を示す。
当時、帝国とグラナディア王国との摩擦は高まり、戦争寸前といわれた。公爵はあえて穀物を不足させ、王国から高値で買い取る“密約”を交わしていた可能性がある。
真実は定かではない。だが結果として、その時期に大規模な戦争は回避された。
人々を飢えさせてでも戦火を防いだのか。
それとも、戦争回避など口実にすぎず、利をむさぼったのか。
評価は分かれる。だがこの逸話が示すのは、彼の権力がいかに絶大であったか、という一点に尽きる。
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後の史料によれば、ちょうどこの時期、公爵領内のミスリル鉱山は深刻な停滞に直面していた。
どの鉱脈にも、虚晶石(当時の呼称で禍石)」が必ず顔を覗かせる。毒性が強く、坑夫の健康を損ね、魔法を阻害し、採掘を妨げていたのである。
増産を掲げながらも計画が進まない背景には、この“禍石”の存在があったとされる。
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このとき領主代行から上がった報告の中には、黒い肥料の流通と、村の急成長。豊作の知らせ。
そしてごく小さく添えられていた――「禍石を用いた毒性の研究」という一文。
この時、公爵は深くは取り合わなかったと記録に残る。
彼の関心は常に鉱山と街道であり、辺境の一村など取るに足らぬ存在でしかなかったはずだ。
しかし後年の史料によれば、この報告を境に公爵領の政策に微細な変化が現れる。
禍石はただの毒性鉱物として忌避されていたが――「制御できるのではないか」という仮説が密かに浮上したのは、この報告の直後とされる。
黒い肥料そのものではなく、むしろ小さく記された研究の断片。
それこそが、後にレオポルト公爵が執拗に狙う理由となった可能性が高い。
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もっとも当時の公爵にとって、それは世界を揺るがす革新などではなかっただろう。
あくまで鉱脈経営の支障を取り除くための一策――その程度の期待にすぎなかった、と史家たちは推測している。
だが、辺境の小さな研究室から始まった火は、やがて帝国をも呑み込む炎へと育つ。
その兆しが最初に記録されたのが、この報告であった。
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『理暦アストレア史』 第二巻・第八節より
編纂:王立史学院
リュシア・フォン=アーベントロート




