第39話「回る…」
村に重苦しい空気が漂っていた。
領主代行フリッツが去った後も、人々の表情には曇りが残り、収穫を終えた畑にさえ笑い声は戻らなかった。
肥料は順調に売れている、村も豊かになったはずだ――それでも「奪われるかもしれない」という不安の影が、村全体を覆っていた。
鍛冶場の火は弱く、麦を挽く石臼の手も遅い。
女たちが洗濯をしながらも口数は少なく、子どもですら大声で遊ばなくなっていた。まるで時間そのものが鈍り、村全体が立ち止まってしまったかのようだった。
そんな中で、タリアが大きく伸びをして立ち上がった。
「……沈んだ顔ばかりだねえ。よし、気分を変えてやろうじゃないか!」
周囲の視線が集まる。彼女は例のごとく勝手に笑い、ソウマに顎をしゃくった。
「ちょっと知恵を貸しておくれよ、ソウマ、エル。あんたらの“理屈”と、あたしの“手”が合わされば、面白いものを作れるはずだ」
取りかかったのは、水の流れを利用した粉挽きの仕掛けだった。
川べりに杭を打ち、丸太を組んで輪をかける。タリアは金槌を振るい、子どもたちを巻き込みながら
「こっちを押さえて!」
「そうそう、いい感じ!」
と声を張り上げた。村人たちも半信半疑で手を貸し始め、やがて大勢が関わる作業へと広がっていった。
ソウマは一歩引いて見ていたが、必要な時だけ前に出て説明をするようにした。
「水の流れは絶えず力を持っている。それを回転に変えれば、人の腕よりもはるかに長く、休みなく石臼を回してくれる」
村人たちよく分からないと言いながらも、次第に興味を覚えていった。
数日後。
川のほとりに、木製の大きな水車が立ち上がった。
流れを受けて、ごうん、ごうんと音を立てながら回り始める。石臼はゆっくりと挽かれ、粉が白い煙のように舞い上がった。
「おお……!」
「動いてるぞ!」
「粉が、勝手に……!」
驚きと歓声が広場を包んだ。
子どもが粉を両手ですくい上げ、
「これでパンが作れる!」
と弾んだ声を上げる。
腰をさすっていた老人も、
「これなら孫に粉を挽かせずに済むわい」
と笑った。
久しぶりに、村のあちこちに素朴な喜びの声が広がっていく。
だがソウマは静かに、その水車を見つめていた。
ごうん、ごうん――止まることなく回り続ける輪。
たしかに人の手間は減る。だが、その分で空いた時間は本当に「自由」になるのか?
現代地球文化で便利な道具に囲まれてきたソウマだからこそ思う。
生み出された時間をそのまま余白にできる人間はほとんどいない。
むしろ新しい期待や、さらなる仕事を呼び込み、人々をもっと急き立てていくのではないか。
エルンストも、腕を組みながら低く呟いた。
「便利さが余裕を生むとは限らない。道具が増えれば、それを維持する役目が生まれ、もっと先を望む者も現れ、それがまた権力にもなる」
タリアはそんな空気を振り払うように、からりと笑った。
「でもさ、何もしないで沈んでるよりマシでしょ? 回り続けてりゃ、そのうち前にも進むさ!」
「見なよ! 回ってる! これが止まらない限り、人間だって止まらないさ!」
村人たちの笑顔が戻ったのは確かだった。
湧水池の取水口ダムは、村人が増えたことにより、畑を広くするためにより多くの水が必要になり、高く積まれた。
水車がもっと欲しくなれば、また高くなるだろう。
まるでこのダムのように、人はもっともっと、と欲望を積もらせていくものだ。
もちろん、それは悪いことではない。たくさんの流れる水がより大きな力となって新しいものが生まれるからだ。
けれど――その輪の音は、時代そのものが止まらず進み続ける響きのようにも聞こえた。
水車は今日も回り続ける。
人の心を一瞬軽くしながら、けれど新しい流れを呼び込み、やがて止められない奔流へとつながっていく。
――回る。
歴史の流れのように。
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ここまで読んでくださってありがとうございます!
幕間を二話入れてから四章へ突入!
次回からは――
静かな理想郷に、亀裂が走る。
科学で築いた信頼の村が、
ひとつの“誤解”から崩れていく。
善意と野心、そして権力の影。
第4章「崩れゆく理想郷」
11/8(土)14:00と22:00の二話更新!
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