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虚晶の賢者――異世界魔法を科学する  作者: kujo_saku
第三章【知の灯】
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第36話「天才魔道具師タリア・ヴァン=デルク」

 夏の光が傾きかけた夕刻。村の一角に、人の出入りが増えていた。


 村長のハルマが案内してくれたのは、かつて大家族が暮らしていたという大きな空き家だった。


梁はまだしっかりしていて、広い土間と奥の部屋がある。少し埃を被ってはいたが、片づければすぐ使える。


「ここを、皆様の住居兼研究の場としてお使いください。」


「ありがとうございます」


 俺は深く頭を下げた。これまでの小屋は手狭すぎた。村を救ったこともあり、村人たちからはいつも好待遇を受けていた。


 エルンストとクラウスも、今後はこの家で共に暮らすことになった。村人たちに手伝ってもらい、机を運び入れ、羊皮紙と道具を積み、土間は一気に研究室らしい匂いに変わっていく。


 ミラは少し口を尖らせた。


「私も一緒に住めたらいいのに……」


 その言葉に、すかさずエルドが眉を吊り上げる。

「だめだ! 若い娘が男と一つ屋根の下など!」


 村人たちの笑い声に、ミラは顔を赤くして引っ込んだ。



――――


 俺とエルンストは新しくなった研究室の机の上に紙を広げ、今後の課題を話し合った。


「やはり――虚晶石の純度を高めることが第一です」


 エルンストが指先で石の欠片を転がす。光の加減で淡く揺らめく結晶は、魔力を吸収しきれずにひび割れていた。


「このままでは持久性が足りません。実用化するには、加工と精製の技術が不可欠です」


「その技術者がいない。俺とミラだけじゃ限界だった」


「私も専門家ではないので、まったく同感です」


 二人の声が重なり、思わず笑ってしまった。



 そのとき、エルンストがふと真顔になり、こちらに向き直る。


「ソウマ殿。……いや、これからは堅苦しい呼び方はやめましょう。私のことは“エル”と呼んでください。私もソウマと呼びます。」


「エル?」


「はい。友として、対等に。幼少期、親しい間柄ではそのように呼ばれていました」


 その眼差しは真剣だった。

 俺は少し考え、そしてうなずいた。


「……わかった。じゃあ、エル」



 柔らかな笑みが返る。


 さらに彼は、隣に座っていたミラに視線を向けた。


「それから、ミラさん。あなたもソウマを“先生”と呼ぶ必要はないと思います。同じ研究のパートナーなのですから」


「えっ……」


 ミラが目を丸くし、頬を赤らめた。

「そ、それは……」


「呼んでみてください」

 エルが微笑む。


 しばしの沈黙のあと、ミラは小さな声で言った。



「……ソウマ、さん」




 俺は一瞬驚いたが、彼女が真剣に恥ずかしがっているのを見て、笑いをこらえた。


「……ああ、それでいい」



 空気が和らぎ、紙の上に影が伸びる。



「さて――問題は、やはり技術者です」


 エルが咳払いして本題に戻った。

「心当たりがあります。魔法学校時代の同級生で、私は首席でしたが、彼女が常に次席でした。名はタリア・ヴァン=デルク」


「タリア?」


「魔道具の腕は群を抜いています。本来なら研究所に残っていれば今ごろ主任級でしょう。しかし……彼女は“堅苦しいのは嫌だ”と言って、公爵家の開発部を辞めてしまった。帝都で、自由気ままに暮らしているはずです」


 彼の声には呆れと尊敬が混じっていた。

「ただ……変人です。ですが腕は確か。そして、秘密を守れるだけの矜持もある」


 俺は頷いた。

「――必要だな。その技術力が」




「面白いと思ったものには絶対首を突っ込みます。だからこちらから手紙を送れば、興味を引けます。すぐに来るかは……本人の気分次第でしょう」


「必ず来ると?」


「間違いなく。」


羽根ペンが羊皮紙を滑り、文字が淡く刻まれていく。エルンストの筆致は、流麗で無駄がない。


手紙には村の様子、新しい魔法陣を背景に描き、具体的には書かないが「ここにしかない挑戦がある」という一文が加えられた。



「これでいい。……夏が終わるまでには来るでしょう」


エルンストは封蝋を押し、クラウスに渡した。


「明日、帝都行きの商隊に託してください」

「はい、承知しました」


――


それからの日々は、研究に没頭する時間が続いた。

大きな課題は二つ。ひとつは発酵の促進。もうひとつは虚晶石の精錬理論。それ以外にも、村人たちの小さな要望もかなえていく。


「腐敗ではなく発酵を制御できれば、肥料の効率は格段に上がるはずだ」


「高純度化の過程では、不純物をどう“吐き出させる”かが鍵だな」



研究小屋の机には羊皮紙が積み重ねられ、墨の匂いが漂っていた。


昼間の労働を終えた後、俺とエルンストは紙に魔法陣の線を描き、次々と符号を書き加えていた。


「例えば――この“アイテムボックス”の陣式。帝都では容量を増やす工夫ばかりが議論されていますが、私はむしろ構造に注目したい。なぜ物が『まとまり』として保存されるのか」


エルンストが流麗に線を引く。円の中に三つの点。だが、俺は首を横に振った。


「違うな。保存されるのは“物体そのもの”じゃない。情報だ」


俺は新しい紙を取り、符号に数字を添える。


「空気も同じだ。ひとつの“まとまり”として保存されているが――ここに“窒素”と“酸素”というタグを付ければ、分けて取り出せる」


言い終えるや否や、俺は掌に魔力を流し、小さな魔法陣を描いた。


淡い光。指先の先で、空気が揺らぎ、青白い火が瞬いた。


「……酸素?」

エルンストが目を見開いた。


「窒素と酸素を切り分けただけだ」

俺は淡々と返した。


「収納時に“タグ付け”理論を応用すれば、空気でも物質でも分類できる」


「わ、私も……ちょっとだけならできます」


そう言って魔法陣を描くと、確かに酸素だけが取り出され、小さな火がぱちりと灯った。


「……!」

エルンストは目を見張り、次の瞬間、身を乗り出した。


「ソウ!ミラさん! これは……これは帝都の学会でも誰も成し遂げていない! どうか、私にも教えてくれ!」



「落ち着け。タグ付けは単純な発想だ。難しい理屈はいらない。要は“まとまり”を定義し直すだけだ」


俺は符号の組み替えを示し、エルンストはすぐに模倣した。


数分後、彼の掌に青い炎が灯る。


「……できた!」

歓声と同時に、彼の目が子供のように輝いた。


「だが、問題は別にある」


俺は視線を黒い石――禍石の欠片に移した。


「この石の“まとまり”をどう定義するかだ。禍石の中には虚晶石が含まれている。もし成分をタグ付けできれば、理論的には純粋な虚晶石だけを取り出すことも可能になる」


「俺は魔力不足で石はアイデアボックスに入れられない。エル、一度試してもらえるか?」


「分かった。やってみよう… 。やはり無理か。」


エルンストは息を呑み、すぐにアイデアの種となる魔法陣を書き始めながら問題を探す。


「理屈は通る……が、禍石の内部構造は複雑すぎる。そもそも何の物質かもよく分かっていない。情報の重なりをどう解きほぐすか」


「魔法に頼りすぎるのもいけない。例えば、砕く、溶かす、などの仮定を一度踏むのもありか?」


エルンストが矢継ぎ早に呟く。



俺も魔法陣を書き足す。


「確かにそうだな。何も一発でやる必要はないし、何度かに手順を分けるのもありだ。純度も100%である必要もない。」


「もし成功すれば――」


「……禍石を“燃料”として扱える第一歩だ。」



俺とエルンストの言葉が重なった。



紙の上で線が増え、魔法陣が並ぶ。


炎の匂いも薬の匂いもない。ただ、思考だけが研ぎ澄まされ、静かな夜が小屋を満たしていった。





――そして、月日はまたたく間に流れ、暑い夏の日が続くある夕暮れ。


「ぽん」


泡の弾けるような、不思議な音が広場に響いた。

村人たちが一斉に顔を上げる。赤く傾いた陽に照らされ、見慣れぬ女が立っていた。


燃えるように赤い髪は爆発したように跳ね、首にはごついゴーグル。腰には工具と革袋が鈴なりにぶら下がっている。


彼女が取り出したのは、細工の凝った笛のようなものだった。


「ほら、こうやって吹くんだよ!」


息を吹き込むと、無数のシャボン玉が飛び出す。

泡は夕日を浴びて虹色に輝き、触れると小さな音を奏でた。


子どもたちは歓声を上げて追いかけ、大人たちは呆然と立ち尽くす。やがて苦笑が混じったざわめきが広がった。


「……なんだあの人」

「遊んでるのか?」

「変わり者か」



だが俺は目を細めた。――違う。


泡の一つひとつは、大気の魔力を精密に振動させていた。


即興で組んだとは思えぬ緻密な術式。これは遊びじゃない。



「……本物だ」



思わず口にした俺の言葉に、隣のミラが振り返った。


「え?」

「いや、あの人……相当な腕だ」


女はシャボン玉の群れを背に、こちらに歩み寄ってきて、にやりと笑う。



「手紙を見たら面白そうでさ、待ちきれなくて来ちゃった。……タリア・ヴァン=デルク、参上!」




自由奔放な声が、夏の夕暮れの村に響いた。




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