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虚晶の賢者――異世界魔法を科学する  作者: kujo_saku
第三章【知の灯】
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第29話「招かざる客人」

広場の中央に、村人たちを集めた。

顔には期待よりも、不安が濃く映っている。

俺はゆっくりと口を開いた。


「よく聞いて欲しい。今日来るのは帝都の人間だ。噂になっている黒いミスリルを見に来る。だが……俺たちが何を原料にしているか、それは絶対に口にしないように。子供たちは家で待機、外には絶対に出ないようにしっかり言っておいてくれ。」


空気が張り詰める。

誰もが心の中で「コウモリの糞」という言葉を思い浮かべ、同時にそれを噛み殺すように視線を逸らした。


「もし何か聞かれても、俺が答える。畑の肥料のことは詳しくは知らない、自分たちは畑仕事をしているだけとだけ言えばいい。肥料のやり方についても何も言わなくていい。

彼らにとって情報は金だ。ひとつ漏れれば、全部持っていかれる。そうなれば村の繁栄は終わりだ」


ミラが隣で真剣に頷いた。エルドも大声で

「分かった、みんなも頼むぞ!」

と応じる。


ざわざわとした声が広がり、やがて皆が固く口を結んだ。


その様子を見て、村長ハルマが杖を突きながら前へ出た。


「皆、聞いただろう。ここで築いたものは、皆の汗と努力の結晶だ。……守り抜こう。ソウマ殿、よろしく頼みます」


低く響く声に、村人たちの決意が重なった。

老人のひとりが杖をぎゅっと握りしめ、節くれだった指が白くなる。誰も声を上げなかった。



その時――。

街道の先で、鉄の車輪が鳴った。

春の光に二台の馬車が近づいてくる。ひとつは漆を塗った豪華な四輪。もうひとつは木のままの荷車で、若い研究員らしき者たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。


「……来たか」


俺が呟くと、広場に集まった村人のざわめきが膨らんだ。


帝都からの視察団。黒いミスリルを確かめに来た人間たちだ。


先に扉が開いたのは豪奢な馬車。


絹の衣をまとった男が下りてきた。油の乗った顔に、薄い笑み。


彼は村人たちをぐるりと見回し、吐き捨てるように言う。


「ふん、田舎だな。……本当にここが噂の“奇跡”を生んだ場所か?」


「ここで間違いないようですが、本当に田舎ですね。本来なら主任のマルク様にわざわざご足労頂くような場所ではないんですがね」


笑いが広がる。同行の研究員たちが鼻を鳴らし、荷車の若者たちは苦笑を隠すように俯いた。

村人の肩が一斉にすくむ。緊張と屈辱の気配が広がる。


杖を支えに一歩進んだ村長が、頭を下げた。


「遠路よりようこそ。我らの村にて、お迎えいたします」


その言葉を言い終えた後、ハルマは一瞬だけこちらに目を向けた。

迷いのない視線。……任せたぞ、と無言で告げているようだった。



だが、その男は村長を一瞥しただけで鼻を鳴らした。


「ふん」


俺は一歩引いて観察する。

――やはり、こういう連中か。


口調ひとつ、仕草ひとつで透けて見える。求めるものは成果だけ。その成果も自分で出す気すらない。


俺の考える研究者とはほど遠い存在だ。対等なやりとりは、望むべくもない。帝都の研究者と聞いて少しは期待したが、やはり得るものは無さそうだ、そうそうに帰ってもらおう…


そのとき。


荷車から降りてきた一人の青年が目に留まった。

金の髪を後ろで束ね、真っ直ぐに辺りを見渡す。

表情は淡々としているのに、その眼差しだけは鋭い。虚飾を通さず、ただ観察している目。


隣には若い付き人が寄り添い、何かを囁いていたが、青年は軽く頷くだけだった。



「私が主任研究員のマルクだ。さあ、案内しろ! 時間を無駄にするな!」



その声に押され、村人が道を開ける。

空気は冷たくなる一方だった。


――だが、一人だけ。

あの青年だけは、周囲と何かが違っていた。柔らかな笑顔を崩さない。



そして最後に、もう一人。


剣を背負った青年が荷車から飛び降りると、村人たちに向き直り、朗らかに声を張った。


「出迎えてくださり、感謝します。これからしばらく案内をお願いすることになりますが、どうぞよろしく」


その礼の一言で、村人たちの肩がわわなずかに緩む。


温かさが戻ったような一瞬。



「ふん、そんな挨拶は要らん!」


すぐ横でマルクが声を張り上げた。

「さっさと行くぞ! 案内しろ、無駄口を叩くな!」


村人たちは再び押し黙る。

冷たい空気と、かすかな安堵。

その二つが入り混じったまま、視察団は村の奥へと進んでいった。



畑の外れに、縄で仕切られた区画が並んでいた。


土の匂いが濃い。春の風に小麦の若芽が揺れ、その色合いが畝ごとに違っていた。


濃い緑、淡い緑、そしてまだ黄ばみが残るもの。施した黒いミスリルの量の差が、一目で分かる。


俺は一歩下がり、村人たちに目をやった。

誰もが落ち着かず、視線をあちこちに散らしている。

もし余計なことを言えば、この繁栄は一瞬で奪われる。

それを理解しているからこそ、皆の背筋はぴんと張り詰めていた。


「これが……」

マルクが口を開いた。視線は畑にではなく、靴の泥を払う自分の裾に落ちている。


「噂の奇跡とやらか」


皮肉に濡れた声。

取り巻きの研究員たちが鼻で笑い、次々と口を重ねる。


「畑を並べて比べる? 子供の遊びだな」

「数字を並べたところで、田舎の帳簿にすぎん」

「そもそも、なぜ異郷人が説明している?滑稽だ」


俺に向けられた視線は、あからさまに軽蔑の色を帯びていた。


村人たちの肩が小さく震える。ミラも一歩前に出そうになったが、俺の視線を受けて踏みとどまった。


胸の奥が熱くなる。

……やはりこうか。



ここには対等なやりとりはない。早々に見切りをつけるべきだ。


「しかし」


そんなとき、静かな声が響いた。


一斉に視線が向かう。


金髪を後ろで束ねた青年が、畝の前に立っていた。

靴の泥を気にすることもなく、若芽をじっと見下ろしている。


「効率的に施肥量を変えて比較するのは、大切なことです。

肥料はたくさんやればいいというものではない。やりすぎれは根は痛むうえ、何より金がかかる。農家は可能な限り、最低限の量で済ませたいはず。畑の様子から見ると、その濃度の振り方も適切だ……よく考えられている」


声は穏やかだった。

けれど、そこに皮肉も嘲りもなかった。

ただ、観察を尊重する響きがあった。


研究員たちが口をつぐむ。村人の表情に、ほんの一瞬、安堵の色が差す。

ミラが小さく息をついた。


エルンストは続けた。


「研究員のエルンストと申します。ひとつ、お伺いしてもよろしいですか?」


丁寧な口調のまま、こちらに向き直る。


「この畑の傾斜……どうやって測っているのですか?失礼ですが、高度な道具はないとお見受けしましたが」


「……糸と水盛り管を使っています。単純ですが、誤差は小さいです」


「なるほど」

青年は軽く頷き、視線を再び畝へ落とした。


「十分に合理的だ。ありがとうございます」


彼の声音には、曇りがなかった。

虚飾ではなく、興味そのものから発せられた言葉。

その瞬間、俺の胸の奥に小さな驚きが走った。


帝都の研究者の中にも、こういう人間はいるのか――。



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