第22話「大地の息吹と風のざわめき」
灌漑水路と施肥から約一週間が経った。その間に親水路から畑への水路も順調に完成し、畑には潤いが戻っていた。
朝露に濡れた小麦畑を歩きながら、ソウマは目凝らした。
――芽吹きが早い。
茶色に枯れた茎の合間から、柔らかな緑が顔を出している。
まだ細い。だが色は確かに青く、陽光を受けてきらめいていた。
土を掘れば、白い新しい根が土粒に絡みついている。
「……おい、見ろ! 緑だ!」
村人の叫びに、畑の周りに人だかりができた。
「ほんとだ……!」「こんなに早く……」
驚きと安堵が混じり、誰もが息を呑む。
ソウマも予想以上の早さに内心驚いていた。
窒素が効いたのは確かだが――一週間足らずでここまで色が変わるのは、ヒールによる加速の効果も大きいのだろうか?ソウマは自問をするが、今後検証してみるしか無い。
肥料の量は推定の半分量しか施肥していないのに、効果は予測の倍だ。栄養学的にも説明できる範囲内だが……
いずれにしても、これはかなりうれしい誤算だった。サラのがんばりもあって、かなり余剰分の肥料ができた。
「ソーマ! 見て見て! 新芽がわんさか生えてるよ!すごいな!」
ぴょんと跳ねてきたのはコハルだった。犬耳をぴんと立て、両手を腰に当てて胸を張っている。
「鼻で分かるんだ、土の匂いが違う! 前はカラカラで死んでる匂いだったのに、いまは生きてる匂い!」
村人たちは笑いながらも、
「確かに……」とうなずいた。
サラは目を瞬かせ、少しほっとしたように胸に手を当てていた。
「……ちゃんと効いたんだ。あんな……あんな臭いものに、ほんとに価値があったなんて」
まだ「糞の聖女」とからかわれた恨みは消えていないようで、横目で俺をにらんでくる。
ザイルは腕を組み、にやりと笑った。
「ま、俺の水路の仕上げがあってこそだな。糞だのなんだの言っても、水がなきゃ育ちゃしねえ」
どや顔で言うが、横でリーナがため息をついた。
「はいはい、自慢はあとにしな。……でも、これならほんとに収穫まで繋げられそうだね。」
ミラは畑に膝をつき、新芽を指でそっと撫でた。
「……生きてる。ちゃんと……息をしてる」
涙を浮かべながら笑うその顔に、周囲の村人もつられて笑みを浮かべる。
希望――。一週間前は絶望しかなかった畑に、確かな希望が戻っていた。
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そのとき。
「……ちょっとまて! あそこ!!」
犬耳をぴんと立てたコハルが叫んだ。
次の瞬間、信じられない高さで跳躍し、空中で、何かをがしりと掴み取る。
目にも留まらぬ一瞬――彼女の掌には黒緑色の塊が掴まれていた。
「い、今……見えたか?」
村人たちは目を丸くし、ただ唖然とする。
掌の中では、黒緑色の塊がぎちぎちと顎を鳴らしていた。
「蝗魔……マナローカストか!」
村人たちがどよめいた。
人の掌ほどの大きさ、硬い外殻、異様に発達した跳躍脚。
コハルは鼻をひくつかせ、低く唸るように言った。
「偵察個体だな。まだガキだ」
村長ハルマが杖を突き、険しい顔で口を開いた。
「捕まえられて良かった……蝗魔はまず偵察を飛ばす。奴らは各地を探り、よき土地と見れば群れに戻り知らせる。そうなれば――空を覆う大群で押し寄せるのだ」
ざわ、と村人たちが後ずさる。
「だが救いもある」村長は声を強めた。
「偵察を仕留めれば群れは来ぬ。最初の一匹を確実に潰せば、しばらくは大丈夫だ。奴らは何度も偵察を寄こさん。コハルさんの大手柄じゃ」
安堵の息が漏れた。だがその中で、俺は新芽の列と黒い外殻を見比べながら言った。
「……であればしばらくは大丈夫だろうが、念の為見回りはしよう。」
空気が張り詰め、村人たちの笑みが消えた。
それでも、新芽の緑は力強く風に揺れている。
村人たちの表情が引き締まる。だがその緊張を断ち切るように、リーナがぱんと手を叩いた。
「――よし、決めた」
彼女は鋭い目で畑を見渡し、口元に笑みを浮かべる。
「余剰分もあるし、隣村に持っていって試しに売ってみよう。なんなら、格安で試してもらうのでもいい。この村だけより、他の場所の実績もあった方が今後売りやすいからな。いい機会だ」
「隣村に……?」誰かがつぶやくと、杖を突いた村長ハルマがゆっくりと頷いた。
「うむ。隣村は川が近く水はまだ持つ。じゃが土は痩せ、年々収量は落ちておる。互いに貧しいながらも、これまでは助け合ってきた村じゃ」
村長は少し考え、視線をリーナに向けた。
「わしが一筆したためよう。村からの正式な使者として持っていけば、向こうも信じてくれるはずだ」
「いいね。それなら話も早い」
リーナは笑って頷いた。
「……明日出発する。往復で一週間ってところだろうね」
村人たちは顔を見合わせ、不安と期待を入り混ぜた表情を浮かべる。
だがリーナの決断には力強さがあり、なによりリーナたちは商隊だ。いつまでもこの村には居ないのだという事を改めて実感する。
「センセ、あんたはどうする?その間はここに残って畑を見ててもいいぞ?」
ソウマは少し思案しその提案に乗ることにした。
「そうだな、落ち着いてはいるが、何が起こるかもまだ分からない。俺は隣村に行くよりもここにいる方が役に立てるだろう。」
「了解だ。ミラも村に残ればいい。あと、サラは....」
「私はもう人にしかヒールしません!!」
「はいはい、分かった。そんなに怒るなって、悪かったよ。」
いろいろ思案した結果、積み荷は肥料と販売用の食糧だけにまとめ、商隊員は半分、護衛チームは通常メンバー、雑用係のカイは村に残ることになった。
ソウマは青々とした新芽を見下ろしながら、心の中でつぶやいた。
一週間。何も起きなければいいが。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
――次回予告 明日22:00公開
第23話「死を運ぶ放浪者」
静かな夜が、喰われる。
“死を運ぶ放浪者”――村に迫る。
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