第21話「糞の聖女さま」
畑の隅に広げられた袋から、鼻をつんざく臭気が立ちのぼった。
村人たちは顔をしかめ、思わず後ずさる。
「……これが肥料になるなんて、本当に……?」
不安げな声がいくつも漏れる。
コハルは我慢できず、どこかに走り去ってしまった。
ソウマは一歩前に出て、真顔で言った。
「サラ。ヒールしてくれ」
「えっ、先生怪我したの?」
サラが慌てて近づく。
「俺じゃない」
「じゃあ……誰に?」
ソウマは強烈な臭気を放つ袋の中の黒い塊を指さした。
沈黙。
次の瞬間――リーナが腹を抱えて大爆笑した。
「ぎゃはははっ!!センセ、あんた正気か!? ヒーラーに“糞を癒せ”ってか!」
膝を叩き、涙を流しながら転げそうになっている。
サラは顔を引きつらせ、必死に言葉を絞り出した。
「……わ、私の魔法は、人を救うためのものでして……」
「違う」俺は首を振った。
「これは人を救うんだ。畑を救い、腹を満たす。つまり間接的には“人”だ」
周囲がざわめいた。
笑っていいのか、真剣に受け止めるべきか。
村人たちは互いに顔を見合わせ、困惑している。
ソウマは気にせず続ける。
「ヒールは奇跡じゃない。傷口が治るのは、細胞が分裂して組織を作り直すからだ。
普段は何日もかかる工程を、魔力が“情報”を再編して一瞬で終わらせている。
時間を巻き進めてるんじゃない。“情報を倍速で更新する”んだ」
サラが息を呑む。
「……そんなふうに考えたことも聞いた事も、一度も無いんだけど……」
「つまり、小さな傷は“時間を早送り”。大きな怪我は“失われた設計図を引っ張り出す”。
そしてこの糞にヒールをかければ――“おそらく微生物の仕事を早送りする”。」
村人たちの間に、どよめきが広がった。
「……なるほど、そういうことか」「いや、よく分からんが凄そうだ……」
リーナは腹を抱えてまた笑いだした。
「発酵も救うヒーラー誕生だな! サラ、今日から“糞の聖女”だ!」
「や、やめて!!そんな肩書き絶対いらないからっ!」
サラが必死に叫ぶと、村人たちは笑う者と真剣に頷く者に分かれた。
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サラは顔を真っ赤にしながらも、深呼吸して両手を組んだ。
「……一度だけです。二度目は絶対にやりませんからね!」
声が裏返っていた。
淡い光が彼女の手に灯る。
掌から零れた光が、黒い塊を包んだ。
――ぶわり。
空気が震え、光がじわりと染み込む。
鼻を突く臭気が一瞬強まったかと思うと、すっと薄れていった。
残ったのは、湿った土に似た匂い。
「……おお……」
誰かの呟きが静寂を破った。
「臭くない!」
「ほんとだ!さっきまで鼻が曲がりそうだったのに!」
村人たちが一斉にざわめき、袋に群がる。
リーナは目を剥いて叫んだ。
「はあ!? ほんとに効いてるじゃないの!うそでしょ!?センセ、あんた、やっぱり頭おかしい!……でも天才だ!」
サラは光を解き、へたり込んだ。
「……も、もう二度とやりません……!私はこんな事のために辛い修行をしたんじゃないから!」
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臭気が消えた瞬間、場がさらにざわめいた。
ザイルが腕を組み、思わず後ずさる。
「……マジかよ。信じらんねえ…..でもな、土木に糞は関わらねえ!俺は水路で忙しいからな!」
カイはすごいことを思いついたと言う。
「サラ!俺の足にヒールかけてくれ!足が伸びるんじゃないのか?!これでチビ卒業だ!!」
「そんな訳ないでしょ。。あんたに何回ヒールかけてると思ってるの?それならもう、大きくなってるから。」
「ちげーねー!もしそうなら、俺は足じゃなくて
『”ダンカンは黙って!”』
すいませーん」
大げさに手を振り、村人の笑いを誘った。
その横で、ミラは涙を浮かべていた。
「……よかった。本当に……村が助かるんだね」
エルドとともに歓びあう。
「それにしても、賑やかな商隊だな。お前を預けて正解だったよ。本当にたくましくなったな。」
「うん。最高の仲間だよ!!」
頬に光る涙を拭い、俺の方を見て小さく頭を下げる。
「先生、ありがとう」
リーナは肩で息をしながら笑いを収め、少し真剣な顔になった。
「……まあ、冗談はさておき。これ、すごいことかもしれない」
村人たちが息をのむ。
リーナは顎に手を当て、商人の目に戻っていた。
「まず、“ヤツ”の糞を畑に入れるなんて発想は誰も持たない。運んでいるところを見られても、せいぜい洞窟で鉱石を掘っていると考える程度が関の山だ。
これ……肥料の効果次第では、冗談抜きで“黒いミスリル”の独占販売ができるぞ」
俺は頷いた。
「ああ――参入障壁はしっかりある」
リーナは笑みを取り戻し、わざとらしく肩をすくめた。
「……“参入障壁”って、もう先生は十分に商人だよ。」
サラは両手をばたばた振り回して絶叫した。
「ねえ、それって私がヒールをかけ続けるって事にならない!!」
「しばらくはそうなるな。もちろん別の発酵を進める方法は考えるが今はヒールが手っ取り早い」
「手っ取り早いって….私のヒールを何だと思ってるの….」
ソウマの残酷な言葉がサラを貫いた。
「私ですら観念させられたんだ、諦めろ。まあ、報酬は弾んでやるから、頑張ろうじゃないか。洞窟までデートだ、糞のお土産つきだぞ」
リーナが嬉しそうに肩を組むと、サラは泣きそうな顔で首をぶんぶん振った。
笑い声と歓声の渦の中で、俺は静かに考えていた。
――水と栄養、両方に目処が立った。
残り時間...九日。失敗は許されない。
その頃、コハルは新鮮な空気を思いっきり吸い込んていた。
「あー、空気がおいしい。」
ここまで読んでくださってありがとうございます!
――次回予告 明日22:00公開
第22話「回復の兆し」
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