第19話「それはブラックミスリル」
むかしむかし――
人と魔が戦を繰り広げた時代があった。
魔王の軍勢の後ろには、必ず黒い翼の群れが舞っていた。
それが「Big Blood Bat」、通称3Bである。
3Bは人を襲わない。
代わりに、血を流して倒れた者の上に群がり、最後の雫を舐め取って去った。
人々はこう言った。
「3Bが舞う夜は、多くの命が消える」
「魔王が黒翼を呼ぶだけで、人の心を折った」
やがて魔王は滅びたが、3Bは消えなかった。
森の奥や洞窟に潜み、弱った獣や魔物の血を吸い続ける。
だから――今もなお、彼らは「死の象徴」としてコウモリを恐れている。
その翼を「死の先触れ」と呼び、名前を口にするのさえ嫌った。
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集会小屋の中。
土壁の匂い。焚き火の煙が目に沁みる。
村人が半円を描いて座り、中央には村長ハルマと兄エルド。
その後ろに商隊。
リーナは腕を組み、肩を震わせていた。
ザイルは落ち着きなく天井を見上げ、顔をしかめる。
「……結論から言おう」
俺は口を開いた。
「この畑には水が足りない。だがそれ以上に――窒素。作物を育てる栄養が不足している。
最も早く補う手段は……コウモリの糞だ」
ざわめき。
村人たちは互いに顔を見合わせた。
「嫌な相手だが……」
「ただで手に入るしな。村のためなら……」
呻きは混じったが、誰も強く否定はしない。
ただ二人だけ。
「ふざけるなあああッ!!」
リーナとザイルの声が重なった。
リーナは机を叩き、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「よりによって“あれ”だって!? 名前も言うな! 考えるだけで鳥肌立つんだよ!」
ザイルも腕を振り回す。
「そうだ! あんな黒翼、見ただけで心臓止まる! 糞なんざ触るくらいなら地面に埋まった方がマシだ!」
村人は苦笑しながらも頷く。
彼らにとって3Bは恐怖だが、森の奥に潜む“日常の影”でもあった。
忌まわしいが、村を救うためなら近づくことも厭わない。
一方でリーナとザイルは、顔を真っ赤にして首を振り続けていた。
俺は二人を一瞥して、淡々と告げた。
「この村だけじゃない。他の土地でも収量は落ちている。つまり誰もが求めている。
俺の元いた世界でも……糞は金の四分の一で取引されたこともあった。黒いミスリルがそこら中に落ちているのと同じだ。
村の畑を肥やすだけじゃない。
外に売れば金になる。
それでも商人として、見過ごすのか?」
一気に色めき立つ村人たち。
その熱に包まれながら、リーナは奥歯を噛みしめ、拳を握り――絶叫した。
「理屈が完璧なだけに腹立つんだよ!!」
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リーナが勢いよく立ち上がった。
「じゃあ――人員配置は私がやる! まずは私は灌漑を整備するチームだ!」
「駄目だ」俺は即答した。
「お前は糞チームだ」
「はぁ!? なんで私が!」
「大きなアイテムボックスがあるのはリーナだけだ。効率を考えれば当然だろう」
「アイテムボックスに糞なんか入れられるか!!」
「入るだろ。生き物じゃない」
「そういう意味じゃない!」
机を叩く音が響く。
「ただでさえ糞なんか触りたくないのに、あの翼どもの臭いが染みついたやつを入れるなんて考えられん!」
「アイテムボックスに匂いは移らない」
「だからそういう意味じゃない! 嫌なんだ! 入れたくないんだ! 気持ちの問題だ!」
笑いが弾けた。
俺は一拍置いて、譲歩する。
「……分かった。じゃあ発酵しきった古いものにしよう。見た目も匂いも土に近い。処理もしやすい」
沈黙のあと、リーナが肩を落とし、ふっと笑う。
「先生、あんたには負けたよ……。でも、他のメンバーは私が決める」
彼女は指を突きつける。
「ザイル! お前も来い!」
「はぁ!? 巻き込むなよ! 俺はどう考えても灌漑だろ! な、先生!」
「……そうだな。ザイルは灌漑だ」
「おうっしゃあ!」
ザイルが両拳を突き上げる。
「俺の土木がついに活かされる時が来た!」
笑いが広がった。
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俺は村人たちに向き直る。
「洞窟の当てはあるか? 糞がたまる場所を知らなければ話にならない」
エルドが頷いた。
「ある。村の北に古い洞窟があるんだ。普段俺たち狩人が獲物を追う範囲だ。危険は……ほとんどない」
「そうか」
「でたれば、力の強い者は灌漑に残す。機動力のある者が糞チームだ。少数でいい。……俺も行く」
「わたしはソーマと行くよ!斥候だしね!」
「俺も行くぞ!」コハルに続いてカイが即座に手を挙げる。
「私も!」ミラがさらに続いた。
すると狩人の一人が勢いよく声を上げる。
「なら俺も!」
……明らかにミラを見ていた。
「いや、ミラは灌漑チームの指揮をしてくれ」
俺の言葉に、狩人の顔が引きつる。
「じゃあ……」と手を下ろしかけた瞬間。
「男に二言はないだろ?」
リーナの笑顔――しかし美しいはずのそれは、邪悪で一切の反論を許さない圧力がある。
狩人は青ざめ、震える手をそのまま掲げた。
(あの異郷人め、余計なことを……!)
こうして、灌漑整備のチームと糞回収してチームに分かれて明日の朝から行動回収となった。
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翌朝。出発前。
風が冷たく、乾いた土の匂いが鼻を刺す。
リーナは荷を背負いながら、ぶつぶつ文句をこぼしていた。
「……なんで私が糞なんだ」
「合理的に考えれば、アイテムボックスを持ってるリーナが最適だ」
俺は冷静に返す。
「だからって糞!? あんた、本当に頭おかしいわよ!」
「匂いは移らない」
「だから、そういう問題じゃない! 気持ちの問題だって言ってんの!」
ザイルが肩を叩いてニヤリと笑った。
「頑張れよ、“黒いミスリル”」
容赦ないリーナの拳が飛び、ザイルが吹っ飛び土煙が上がる。
「俺は……土木屋……!」と情けない声。
「ソーマと散歩♪ソーマと散歩♪」後ろで場違いにコハルがスキップしている。
笑いが弾ける。
商隊は二手に分かれ、笑いとどよめきの中で歩き出した。
――合理か、嫌悪か。
どちらにせよ、残された時間は十日。
失敗は許されない。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
――次回予告 明日22:00公開
第20話「地上に光、地下に悲鳴」
ミラの指揮でまとまる灌漑チーム
だが洞窟組は別の地獄。
発酵していない糞の山を前に、
リーナの絶叫が今日もこだまする。
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