第18話「枯れた畑」
公開日の設定が間違っておりました。
予定よりも遅れてしまい申し訳ありません!
北の山道を下ると、谷の奥に小さな村が見えた。
煙突からは細い煙が立ちのぼり、土壁の家々が寄り添うように並んでいる。
その背後に広がるのは、小麦畑――本来なら季節的に緑色に揺れるはずの景色。だが、そこにあったのは不自然なまだら模様。緑は弱々しく、茶色に枯れかけた茎があちこちに混じっている。
「……見えてきた。あれが、オスト村だよ」
先頭に立つミラの声が、わずかに震えた。
山裾には泉から水を湛えた池があり、光を反射して揺らいでいる。周囲は岩壁に囲まれており、村までは200メートルほど。ミラが指を差した。
「見える? あれが湧水池。村の飲み水はほとんどあそこから取ってるの。川までは遠いけど、この池があるから村は生き残ってこれたんだ。だけど、畑まで運ぶのは桶と肩だけで……」
池からは細い水路が引かれているが、距離があるせいか流れは弱く、畑までは届いていないようだった。
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坂を下りるにつれて、村の人々がこちらに気づき始める。
最初は驚いたように目を見開き、それから次々に声が上がった。
「……ミラ!」
「帰ってきたぞ!」
「リーナさんも来てくれた!」
鍬を放り出した農夫が駆け出し、干し草を背負った老婆が涙を拭いながら両手を合わせる。
「生きて帰ってきた……神さま、ありがとう」
「これで、今年もなんとかなる……!」
最初に駆け出してきたのは小さな子どもたちだった。
「ミラ! ミラだ!」
歓声をあげて抱きつく。ミラは笑いながら一人ひとりを抱きしめ返す。
「無事でよかった……!」
皺だらけの手でミラの頬を撫でる老婆。
「帰ってきてくれて……本当にありがとう」
目に涙を浮かべる母親世代の女性。
「リーナさん……!」
何人もの男たちがリーナに頭を下げる。
旅立ちから二年。村にとってミラは「口減らし」で送り出した少女のはずだった。だが今、彼女は確かに帰ってきた。商隊に守られ、以前よりも少し大人びた顔で。
温かさと安堵が、村全体を包んでいた。
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群衆の奥から、一人の男が現れた。
背は高く、精悍な目つき。背には弓、腰には短剣。若いが、その立ち姿には年月の重みが刻まれていた。
「……ミラ」
低い声が響く。ミラは一瞬で顔を綻ばせた。
「兄さん!」
彼女は駆け寄り、男――エルドに飛びついた。
エルドは強く妹を抱きしめ、短く息を吐いた。
「よかった。本当に……よく戻った」
その声はわずかに震えていた。
やがて彼は顔を上げ、商隊メンバーに深く頭を下げる。
「妹を商隊に加えていただき、ここまで育ててくれた。表情を見れば妹が大切に扱われていることも分かる。本当に感謝します。……リーナさん、商隊の皆さん」
その真摯な礼に、村人たちも一斉に頭を下げた。
その声と態度には、切実な安堵と感謝がにじんでいた。
さらに、杖をついた老人がゆっくりと進み出る。白髪と深い皺を刻んだ顔。その眼差しは穏やかで、包み込むような柔らかさがあった。
「村長!」
と村人たちが声を揃える。
ハルマ――この村を長年まとめてきた人物だった。
「よくぞ来てくれた。長旅で疲れたであろう。粗末な村じゃが、皆で食卓を囲もう」
その言葉に、村全体が再び沸いた。
だが――卓に並んだのは質素なものばかり。パンは一切もなく、穀物は少なく、狩りの獲物が辛うじて並んでいる。笑顔の奥に、飢えの影が透けていた。
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やがてエルドが立ち上がった。
「皆、今日は妹の帰還を喜ぼう! だが、客人にも我らの現実を見てもらわねばならない」
彼の声は村を静め、重みを帯びて響いた。
「今年は例年以上に雨が少ない。畑は枯れ、このままでは収穫は望めない。魔の山の魔物は異常に活発で、他の商隊も。……このままでは二年前より酷い飢えが村を襲う」
重苦しい沈黙が広場を覆う。
それでも彼は続けた。
「だからこそ……リーナさん、あなたたちが来てくれた時、心底嬉しかったんだ」
村人たちはうなずき、再び感謝の視線を送る。
何人かはソウマをチラチラ見て、ある者は何かヒソヒソと話をしているが、街のように直接的な害意を向けてくるよりは幾分ましだと割り切る。
そんな中、リーナが明るく笑顔で口を開いた。厳しい状況は変わらないが表情一つで、期待や希望を抱かせるカリスマ性が彼女にはあった。
「確かにとんでもない目に遭ったけどね。今年の魔の山は少し異常だ。私たちもこの新入りがいなかったら、おそらく全滅してたよ。」
とリーナがこちらを見て紹介してくれる。
「ちょっと無愛想なところもあるが、異郷の知識で何度もこの商隊を助けてくれている。うちの商隊の大切な仲間の一人だ。くれぐれも失礼のないように頼むよ。」
「そうだよ!先生はすごいんだから!何でも知ってるし、すごく頼りになるの!」
「ソーマはえらい!」
なぜかコハルも太鼓判を押す。
ハルマ村長が一歩前に出て、深く頭を下げる。
「大変失礼をした、異郷の方よ。田舎者の無知ゆえと村人の無礼を許してくだされ。……何か、我らを救う知恵はお持ちだろうか?」
全員の視線が集まる中、リーナが問うた。
「センセ、植物にも詳しいよな。どう、妙案はあるかい?」
ソウマは少し考え、短く答えた。
「量子生物学、植物をテーマに扱っていたから基礎的な知識はあるが…..農業は素人だが、ある程度の事は分かるかもしれない。まずは、農地を直接見たい。答えはそれからだ。」
「俺が案内する、ついてきてくれ。」
エルドはすぐに立ち上がった。
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案内された畑は、近くで見るとさらに酷かった。
畝を覆う小麦は、青さを失い黄色く変色。葉先は丸まって縮れ、茎は弱々しく折れかかっている。根元の土はひび割れ、踏めば粉のように崩れた。
「……ひどいな」
俺は思わず呟いた。
村人の一人が、土をすくって見せる。
「雨は何度か降ったが、すぐに干上がっちまう。池から溝を掘って引こうとした年もあったが……」
隣の男が続ける。
「土手が崩れて泥だらけ、畑はかえって悪くなった。水は濁るし、飲み水まで使えなくなると反対が出てな」
さらに別の声。
「魔法で試した者もいたが、このあたりは禍石が多くて乱される。長くは続かないんだ」
「結局、どれも続かんかった」
言葉には諦めが混じっていた。
「リーナさん、戻ってきてくれて感謝する。……そして、先生と呼ばれるお方。あなたがどれほどのものか、まだわしらにはわからぬ。だが、この畑を見れば――誰の目にも、このままでは飢えることは明らかじゃ」
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俺は膝をつき、葉をもみ、鼻に近づける。
「……水不足。そして何より窒素が足りてない」
はっきり言葉にした瞬間、村人たちがざわめいた。
「窒素って何だ……?」
「外から来た者が何を……」
「適当に言ってるだけだろ。そんな簡単じゃない。。」
警戒と反発が渦巻く。
その中でリーナが一歩踏み出す。
「……仮にだ」リーナが問いかける。
「回復の兆しが出るまで、どれくらいかかる?」
俺は空を仰ぎ、光の強さを計算するように目を細めた。
「十日。芽の色が変わり始めるには、それくらいは要る。ただし、ここにいる全員の協力が不可欠だ」
人々の視線が、かすかに希望を帯び始める。
ミラも兄の袖を掴む。
「お兄ちゃん、先生は……本当に、すごいんだ。私、見てきたから」
エルドは妹の瞳を見つめ、息を吐く。
「...俺も信じる。村全体で協力する」
エルドが村人全員を見て言った。
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「で――何から始める?」
リーナが振り返った。
俺は一拍置いてから答える。
「まずは水だ。湧水池から畑へ引き込む。幸い距離はそこまで遠くないし、何より地形も悪くない」
皆がうなずく。
そして、俺は次の言葉を続けた。
「もう一つ。畑の栄養……窒素を補う必要がある」
「栄養? どうやって?」
村人たちの視線が集まる。
「――コウモリの糞だ」
沈黙。
村人全員が、固まった。
そして、リーナとザイルは絶叫した。
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――次回予告 明日22:00公開
第19話「それはブラックミスリル」
新肥料の材料は――まさかのコウモリの糞!?
採取係をめぐって商隊は大混乱。
口論、押し付け合い、悲鳴と笑い。
そして、リーナの絶叫が夜空に響き渡る。
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