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虚晶の賢者――異世界魔法を科学する  作者: kujo_saku
第一章【魔法なき者】
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第14話「目覚めの朝」

 それは大学4年の冬だった。


 研究室とアパートを往復するだけの生活に疲れ、ふと立ち寄った街外れの道場。そこには、柔らかい笑みを浮かべた老人が立っていた。


「君は、何かを探している顔だな」


 初対面でそう言われ、思わず眉をひそめたのを覚えている。


「探してるつもりはありません」

「いや、探している。答えではなく、その答えに辿り着くための道を」


 それが榊原清玄との最初の会話だった。


 入門を決めたのは、その場の衝動に近かった。道着を着て畳に立つと、榊原は静かに言った。


「合気道は、力を出す技ではない。力が溢れる場所に立つ技だ」


 最初の数か月、俺は戸惑った。

大学での研究は、力ずくで壁を突破するような思考の積み重ねだったが、ここで教えられるのは、相手の力を受け入れ、流れを見極め、必要な分だけ動くという在り方。


 ある日の稽古。俺が相手の突きを力で止めようとして、榊原にあっさりと体勢を崩されたことがあった。


畳の上に転がりながら、悔しさを隠せなかった。


「結局、力がないと勝てないじゃないですか」


 榊原は首を横に振った。


「勝つためにやってはいけないのだよ」


「じゃあ、何のために?」


「相手が倒れる場所を作るために」


 俺は眉をひそめる。

「……詩みたいで、よくわかりません」


「わからなくていい。体で覚えれば、頭で理解する」


 その日から、俺は技の意味を「数式」としてではなく「流れ」として感じ取ることを覚えた。不意の力に逆らわず、わずかに動きを外す。相手が進みたい方向にほんの少し背中を押す。それだけで、力は無力になる。


 また別の日。研究が行き詰まり、道場に顔を出したときのこと。榊原は黙って二人分の湯呑みにお茶を注いだ。


「焦っているな」


「……わかりますか」


「わかるとも。君の呼吸は今、答えを掴みに行こうとしている」


「それの何が悪いんです?」

「答えは逃げる。掴みに行く者からは」


「……先のことが見えなくて不安か。焦るな。灯りを探して歩くうちに、自分が誰かの灯りになることもある。……それでいいんだ」


 榊原は湯呑みを差し出し、静かに続けた。


「掴むよりも、答えが掴みに来る場所に立て」


 その言葉を聞いても、やはり意味はすぐに理解できなかった。だが、不思議と胸の奥に、静かに沈む石のように残った。


 湯呑みから立つ湯気が白くほどけ――


畳の匂いが消え、土と藁の匂いが鼻をくすぐった。





 ゆっくりと瞼を開けると、低い天井。木組みの梁。薄い布越しの灯り。


 横で、ミラがベッドに突っ伏して眠っていた。指先を俺の布団の端にそっと添えている。呼吸は規則的で、安心しきった子どものようだ。


 無意識に、手が伸びた。


 指で、髪を一撫でした。繊細な亜麻色が、指の腹をさらりと流れる。


「……ん」

 ミラが顔を上げ、ぼんやりと目を瞬かせた。

俺の顔を認めた瞬間、表情がぱっと花開く。


「せ、先生! 起きた……! よかった……!」


 言葉が終わる前に、彼女の目尻に水が光った。慌てて袖で拭う。


「三日も寝てたんだよ。心配で、ずっと……」


「三日?」

「うん。ザイルは一日で起きたけど……先生は、ずっと返事がなくて」


 息を吸うと、藁と土の匂いに混じって焚き火とスープの香りが入ってくる。遠くから笑い声。どこかの牛鈴がころん、と鳴った。


「ここは?」


「魔の山を抜けて、いちばん近い農村。今夜はみんな、広場でご飯中。お酒も入ってる。……食べられそうなら、行く?」


 喉は砂を噛むように乾いていたが、体の芯に温かいものが残っていた。生きている、という事実だ。


「少しなら、いけそうだ。」


 ミラに手を引かれて外へ出る。夜風が頬を撫で、星が洗いたての小石みたいに冷たく瞬いていた。


 村の広場には焚き火がいくつも立ち、鍋が湯気を上げている。焼けた肉の匂い、煮込んだ芋の甘い香り。人々の笑い声が重なり、輪を作っていた。


「先生だ!」


 誰かが叫ぶ。次の瞬間、輪がざわめき、みんなが立ち上がった。


「無事でよかった!」

「生き返ったぞ!」

「恩人だ、恩人!」


 盃がいくつも差し出され、一度に名前で呼ばれ、一度に肩を叩かれた。


 胸の奥が、くすぐったいほど温かくなる。こんなふうに感謝を浴びたことは、今までの人生で一度もなかった。


「先生、はい、薄い蜂蜜酒。最初はこれくらいがいいよ」


 サラが笑って木杯を差し出す。淡い金色が火に透けて揺れた。


「ありがとう」


 口に含むと、喉を落ちる小さな温度が、腹の底まで届いた。


「おい先生」


 声の主はザイルだった。まだ青白いが、いつもの気怠げな目に力が戻っている。


「勝手にヒーローになってんじゃねえ。最後に穴あけたのは俺の仕事だかんな」


「そうだな。助かった」


 横からカイが割り込む。

「うるせーよザイル。先生が空気つなげてくれなきゃ、俺ら全員、窒息で終わりだったんだぞ」


「カイ、あんま大声ださないで。……でも、本当にありがとね、先生」


 ミラが小さな声で言って、火のほうを見て照れ笑いした。焚き火の赤がほおに映る。


コハルが表面に満面の笑顔でやってきた。


「ソーマ、お前ほんとすごいな!私がお前を群れの仲間と認めてやるぞ~」


「何を偉そうに言ってんだ」

ダンカンの豪快な笑い声が響いた。


 それからは、盃のリレーだった。


 大鍋からよそったスープ、塩気の強い干し肉、香草の乗った芋。誰かが俺の皿を満たし、誰かが空いた盃に酒を足していく。


 賑やかさの真ん中にいるのに、不思議と耳がよく通った。笑い声が、多層の音楽のように重なる。俺のために重なっている。


 やがて輪はゆるやかに分かれて、男組と女組に分流した。


 男組のほうは火に近く、声が大きい。女組は少し離れ、笑い声が柔らかく弾んでいる。


「で、ザイ!」


 ダンカンが肘でザイルをつつく。酒でいい色になった顔が、妙ににやにやしている。


「いつになったらサラに告白すんだ?」


「なっ、何言ってんだお前! そんなんじゃねえ!」


「ほー? そういえばこの前、サラが言ってたぜ。『先生はクールでかっこいい』ってなぁ」


 ザイルの目が丸くなり、すぐに吊り上がる。

「なにー! このやろう、先生、いつの間に手出してんだ!」


「嘘だよ」


 ダンカンは腹を抱えて笑った。


「お前、わかりやすすぎんだよ」

「……てめえら……!」


「でもさ」カイが口を挟む。

「この前のザイ、珍しくマジでかっこよかったぞ。あの一撃、すげーって思った!告白するなら今しかないんじゃない?」


「機を逃すなよ、ザイル」とソウマも乗っかる。


「先生までそんな事言うのかよ。。ってか珍しい、って言うな、俺は常にカッコいいぜ!」


 ベテラン商隊員がどっかと座り、杯を掲げる。


「いつも『だりーだりー』言ってるやつが何言ってやがる。まあ、今回はよくやったよ、ザイル。お前も確かにヒーローだ。2番目だけどな!!!」


 笑いが弾け、焚き火の火の粉が夜に散った。


ふと、女組の方に目がいく。

何の話をしているかは分からないが、サラがミラの頬をツンツンしていて、リーナには肩を組まれている。


コハルはお酒が回ったのか、リーナにもたれかかって幸せそうに寝ているようだ。ミラはどうやら揶揄われているようだが、それが妙に絵になっている。


「にしてもよ、うちの女子はレベル高けーな」


 誰かが女組に目をやって、感心したように言った。


「サラなんざ帝都でも声かけられまくるって話だろ。ミラちゃんも、どんどん可愛くなってくしな。料理もうますぎる。ミラちゃん無しじゃ生きられない体だぜ。」


「コハルも普段は雑だが、ちゃんとしてりゃ可愛いしスタイルもいい」


「だな。 ……ま、ひとり『美人の皮をかぶったゴリラ』が混ざってるけどな」


 ザイルがぼそりとこぼして、男組が一斉に吹き出した。


「おいおいザイ、命が惜しけりゃやめとけ…」


「何がだよ。あんな美人なのに、すぐ殴りかかってくるからな。耳も異常にいいし、まじでヤベーって。まさか、ゴリラの獣人!!……ん? どうしたお前ら? 急に黙って下向いて」


 背筋の温度が、二度くらい下がった。


「興味深い話をしているようだ。ぜひ私にも聞かせてもらおうか」


 背後から、凍てつくほど冷たい、なのにどこか上機嫌な声。


 振り返ると、リーナがいた。腕を組み、笑っているが目だけは笑っていない。


「……おい、ザイル」

「……」

「誰が、何の皮を、どうかぶっていると?」


「……ごめんなさい」


 ザイルが即答で土下座し、男組は堪えきれずに爆笑した。女組からも笑い声。サラが肩を震わせ、ミラが目に涙をためて笑っている。


「はいはい、解散。楽しく飲む。ほら、各自もう一杯」


 リーナは結局、笑って酒を回した。怒鳴らない。こういうときのさばき方が、実に商隊長だ。


 夜は更けていった。

 星は高く、風は乾いている。火は丸く縮み、鍋は空に近づく。


 俺は幾杯かの酒で体の芯が温まり、ほどよい疲れが、毛布のように肩へ降りてきた。


「先生、そろそろ休んだほうがいいんじゃない?」


 ミラが小さく合図を送る。

「ああ、そうだな」


 立ち上がると、足取りが少しふらついた。三日ぶりの体には、重力がまだ不慣れだった。これをきっかけにお開きとなり、各々が寝る準備を始めた。


 宿替わりの納屋に戻る。いつもは藁を詰めた簡素な寝台が並び、薄布が仕切りになっている一つを使うが、今日は一人部屋だ。


目覚めてからの事を思い出し、自然と笑みがこぼれる。


“灯りを探して歩くうちに、自分が誰かの灯りになることもある。……それでいいんだ”


今なら少しだけ師匠の言葉が分かる気がした。


 ベットまで歩き、腰を下ろした瞬間、扉が、こん、と優しく叩かれた。


「入っていいぞ。」


 返事をすると、扉が少しだけ開いた。

 月明かりを背に、リーナが立っていた。


「起きてた?」

「今、寝ようかと思っていたところだ」


「ちょっと話があるんだ。……少しだけいい?」


 いつもの調子と何かが違う。

 焚き火の匂いを連れて、彼女が一歩、足を踏み入れた。


 胸のどこかで、小さな拍子木が鳴る。


 何の合図なのかは、まだわからない。

 ただ、音は確かに、夜の静けさに刻まれた。


ここまで読んでくださってありがとうございます!


――次回予告 明日22:00公開

第15話「それは毒か革命か」


夜、ソウマの部屋を訪れるリーナ。

商人ではなく、女性の顔をのぞかせるリーナ。

交わされた言葉は、やがて帝都を揺るがす“革命”へと繋がっていく。


感想・ブックマークがとても励みになります。

どうぞ、次話もよろしくお願いします!

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