第12話「全滅まで一時間」
崩落の直後。洞窟は静寂と暗闇に沈んだ。
岩の崩れる音がやみ、残ったのは肺を刺す砂煙と、誰かの荒い呼吸だけ。
外からはまだ獣の遠吠えが響くが、その声すら厚い岩に遮られ、遠雷のようにくぐもっていた。
「……もう一度、落ち着いてやってみる」
サラが胸に手を当て、深呼吸するように詠唱を始めた。彼女は光属性の使い手。
まずは灯りを――そう思って魔法陣を描いたが、浮かび上がった紋様は一瞬で歪み、千切れて霧散した。
「……ダメ。やっぱり……光すら出ない……」
声が震え、静寂が重くのしかかる。さっきまで皆が頼りにしていた灯りさえ消えたことで、仲間たちの表情から血の気が引いていく。
砂煙が漂い、喉の奥にざらついたものが絡みつく。誰も声を出せず、しばし咳き込む音と荒い呼吸だけが響いた。
ソウマは手探りで周囲を確認する。指先が触れたのは冷たい岩肌。そこに爪を立てても、ただ石粉がぽろぽろと落ちてくるだけだ。
「……灯り……誰か、灯りを……」
弱々しい声が、震えるように闇に吸い込まれた。
ザイルも土魔法を試す。しかし、出現した魔法陣はぐにゃりと歪んで片側に流れ、音もなく崩壊した。
「……っ、だめだ……禍石が強すぎる」
全員の顔色が青ざめる。光も、火もない。頼みの綱が断たれたことが、何よりの絶望を刻み込んだ。
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「ちょっと待て……俺、持ってる」
息を切らせながらカイが腰袋をごそごそと探り、小さな鉄のランプを取り出した。火打石で数度火花を散らすと、心許ない橙色の炎が揺らめいた。
「お前……こんなもん、いつの間に」
ザイルが息を吐き、掠れ声で笑う。
カイは照れ隠しのように肩をすくめた。
「生活魔法、俺ヘタだろ? 夜番で火が点かねぇと困るからさ。だから、常備してんだ」
その一言に、疲弊した仲間から小さな笑いがこぼれた。ほんの一瞬だけ、空気が緩む。
だが――リーナは容赦なく現実を突きつけた。
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「状況を整理するよ」
彼女は灯火を受け、険しい顔で全員を見渡した。
「空気は崩落で遮られて急速に減ってる。天井も思ったより低い。洞窟の奥へ続く道もどうやら無さそうだ。禍石の濃度は異常に高い。魔法は乱れて使えず、治療もままならない」
言葉は淡々としていたが、その目は鋭く、光よりも冷たかった。
短い沈黙のあと、リーナは告げた。
「計算した。……もって一時間」
その場の空気が凍り付いた。
誰かが呻き、誰かが喉を鳴らした。死が数値で突きつけられた瞬間、全員の顔が蒼白になる。
「甘い慰めはしない。数字は嘘をつかない。だから残り時間を無駄にするな」
彼女の声が鋭く響き、絶望しかけた仲間たちの瞳に、わずかに規律の光が戻った。
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ダンカンたち前衛たちが素手で瓦礫に取りつく。
岩に食い込んだ指が裂け、血が滴り、土に混じって黒ずんでいく。
「動かなきゃ……死ぬんだろ!」
カイが咳き込みながら叫び、必死に岩を押しのける。コハルも必死だ。
ミラは震える手で水袋を取り出し、布を濡らして仲間に配った。
「これで……粉を吸わないように……」
その声は震えていたが、瞳は必死に光を保っていた。
ソウマは冷静に周囲を観察し、低い声で呼吸法を伝えた。
「吐く息を数えろ、四拍。浅く長く、動きは抑えて。焦ると酸素を浪費する」
言葉に従い、仲間たちの荒い息が少しずつ揃っていく。
だが、酸素の残り時間が延びるわけではなかった。
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「……くっ」
ザイルが膝をつき、額を押さえる。
「顔色が……悪い」
ソウマが言うと、彼は歯を食いしばった。
「体の中から……乱されてる。禍石を吸い込んで……内側の魔力が……掻き乱される感じだ……」
サラが慌てて駆け寄り治療魔法を試みた。だが、彼女の光は揺れ、散り、すぐに消えた。
「ダメ……治癒が乗らない……」
悔しげに唇を噛み、濡らした布で彼を冷やすしかなかった。
「……最後まで足掻かせろ」
ザイルは立ち上がり、震える手で再び土魔法を構築した。
ランプの光に浮かんだ魔法陣は、しかしすぐにぐにゃりと歪み、散った。
「……くそっ……すまん…こんな時こそ俺がやんなきゃいけねぇのに…」
声は岩壁に吸い込まれ、虚しく反響した。
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時間が経つごとに、空気は薄れた。
息を吸うたびに肺が焼けるように痛み、頭は霞む。誰かがその場に崩れ落ち、別の誰かは痙攣を始める。
禍石中毒。体内の魔力が乱され、平衡を失っていく。
「もう……無理だ……」
その声は諦めの重みを帯び、誰も否定できなかった。
暗闇の中で、響くのは滴る水音と荒い呼吸だけ。
死の気配がじわじわと染み込み、仲間たちを縛っていく。
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そのとき――ソウマの意識の奥で、遠い記憶がよみがえった。
道場。木の床。師の声。
――「光に頼れば、影は見えぬ。闇に沈んでこそ、流れが見える」
なぜかその言葉が、今になって鮮烈に胸を打った。
(考えろ。思考を巡らせ。何かあるはずだ。闇でこそ見える道を見つけるんだ。)
ソウマは酸欠で遠のく意識を感じながらも、そっと目を閉じ自ら闇に入り込む。そして洞窟に入ってからの事を思い起こす。
サラのライトの不発。
禍石中毒、
魔法陣の歪み、
霧散したあとの動き。
すべての細かい事象を丁寧に積み上げる。
僅かな違和感….
なにかここだけに特別起きていることがある事を直感的に感じる。
さらに記憶をたどる。
異郷人は魔力が流れない、揺れない、ミラの言葉を思い出す。自分の魔法陣の数々の失敗も思い出す。
そっと目を開け、もう一度周りを観察すると、すでに隊員の半分以上が酸素不足と禍石中毒で動けなくなっていた。症状に差があるようで、絶対ではないが、どちらかというと魔力量の多い人間がまだなんとか動けているようだ。
(禍石中毒?確かに俺の身体にも異常が出てるが、明らかに症状が軽いのはなぜだ?異郷人だから?なぜ異郷人は禍石の中毒症状が軽いんだ?魔力、魔法陣、魔法の流れ、禍石中毒の症状、)
(……そうか。そういうことか。)
ソウマの中で一気につながり、闇の中から一筋の淡い光が見える。
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「……方法があるかもしれない」
掠れ声で呟いたソウマに、倒れかけた仲間たちが顔を向けた。
リーナも荒い呼吸の中で視線を寄せる。
「説明する時間はないが、協力してくれ。まずは魔法陣の揺らぎの向きを確かめる。三人同時に魔法を使ってほしい。」
沈黙。
誰もが疲弊し、もはや力など残っていない。だが、その声は確かに闇を揺さぶった。
まずはザイルに目線を送る。
「できるだけ大きくて、強く光る魔法陣がいいんだがな」
ザイルは唇を噛みしめながらも、にやりと笑った。
「なら……俺がやるしかねえだろ」
次にリーナ。
「当然、私もやるよ。任せな」
短い言葉の裏に、強い信頼があった。
最後にサラ。肩で息をしながらも、ザイルにウインクしてみせる。
「残り一人は私ね。ザイルに負けてられないもの」
三人が位置につく。
ザイルは苦笑しながら言った。
「言っとくが……もう魔力残量はほとんどねえ。これ一回限りだ。頼んだぞ、先生」
重苦しい沈黙が広がった。
誰もが酸素を奪い合うように荒い呼吸を繰り返し、瞳の奥に「諦め」が滲んでいる。
――まるで死を前にして、それぞれが心の奥で最後の祈りを捧げているようだった。
リーナが掠れ声で問う。
「……できるのかい、先生」
ソウマは闇の中でかすかに笑んだ。
「分からない。ただ――やらなきゃ全滅だ」
その声は小さくとも、洞窟の闇を震わせた。
死の静寂を打ち破る唯一の灯りとなって、仲間たちの胸に深く突き刺さった。
それは祈りが言葉へと形を変えた、最後の希望の響きだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
次回は 第13話 「空気を掴む手」
倒れる仲間。薄い希望。
ソウマは“空気”を掴む賭けに出る――
手順を積み上げ、極限の一手へ。助かるのか。
明日22:00 公開します!
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