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虚晶の賢者――異世界魔法を科学する  作者: kujo_saku
第八章【並び立つ者たち】
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第120話「副官」

コハルが、一歩、前に出た。

 呼吸が変わる。


 筋肉の張りが、目に見えて増していく。血管が浮き、足元の土が、わずかに軋んだ。


(――まだ、上げられる)


 理性が警鐘を鳴らす。この出力は長く保てない。身体が壊れる。


 それでも――

(守るって、決めた!)


 次の瞬間、世界が歪んだ。音が、遅れる。

 視界が、引き延ばされる。


 コハルの身体が、弾丸のように射出された。


「――っ!」


 空気を切り裂く衝撃。床に残るのは、踏み込みの痕だけ。そして、これまで、半ば楽しむように構えていたゲオルグの表情から。


 笑みが、消えた。


 剣が閃く。

 受ける。

 流す。

 いなす。


 無駄のない、完成された剣技。剣線は美しく、正確で、冷静だった。


 だが――

(速い)


 ゲオルグは、内心で認めていた。スピードだけなら、確実にこちらを上回っている。


 コハルの攻撃は、重くはない。だが、間合いの潰し方が異常だ。踏み込み、切り返し、再加速――その全てが“最短”で繋がっている。


 火花が散る。刃と刃が、何度も噛み合う。カイは、息を呑んで見ていた。ザイルとイリーナも、思わず手を止める。


 だが――


 次の一合で、流れが変わった。ゲオルグの剣が、わずかに角度を変える。


 それだけで、コハルの踏み込みが弾かれた。

「……ッ!」


 コハルは、即座に距離を取る。後方へ、音もなく跳ねる。呼吸が、荒い。身体の内側が、焼けるように痛む。


(……やっぱり長くは、もちそうにないな)


 ゲオルグは剣を下ろさず、静かに構え直した。視線は、真っ直ぐにコハルを捉えている。


 確かな評価が、そこにあった。


 油断も、慢心もない。周囲は、息をするのも忘れていた。ザイルは、遠目にその光景を見ながら、舌打ちする。


(……あいつ、相当無茶してるな)


 イリーナは、無言で拳を握り締めていた。


(あの速度……ゲオルグ様が本気で相手をしている。まずい…ここであの少年か、この魔法使いが参戦したらゲオルグ様でも無傷ではいられない)


 そして――


 コハルは、ゆっくりと姿勢を落とした。耳を伏せ、重心を低く。


 もう一度、仕切り直す構え。

 獣と剣士。


 互いに、相手を“危険な存在”として認識した瞬間だった。


イリーナの気配が、変わった。


 剣先が下がる。呼吸が深くなる。踏み込みの“予備動作”が、消える。


 ザイルは、瞬時に悟った。

(……来る)


「何だ? 急にやる気だな」


 軽口を叩きながら、視線は一切逸らさない。


「そんな怖い顔してたら、美人が台無しだぞ」

 返事はなかった。


 イリーナの瞳には、もうザイルしか映っていない。怒りでも、焦りでもない。


 決断だ。


「――ゲオルグ様は」

 一歩。


「こんなところで」

 さらに一歩。


「終わらせていい方ではない!」



 床が鳴った。踏み込みがこれまでと質が違う。

「……っ!」


 距離が、一瞬で潰れた。完全に、剣士の間合い。ザイルは反射で後退しながら、地面に魔力を流す。


 土壁。

 即席の遮断。


 だが――完成しない。壁が立ち上がるその“途中”を。イリーナは、迷いなく斬り込んだ。


 土が裂ける。

 魔法が、切断される。


「――っ、マジかよ!」


 ザイルは舌打ちしながら、身体をひねる。剣が、頬を掠める。空気が、焼けるように冷たい。

(壁を“壊した”んじゃねぇ)


(魔法が形になる前に潰しに来てやがる!)

 距離を取れない。


 設置が、追いつかない。


 イリーナの剣は、魔法使いを知っている者の動きだった。


 詠唱の“間”。

 魔力が流れ込む“瞬間”。


 その全てを、踏み込みで潰してくる。


「どうした!」

イリーナの声が、低く響く。


「さっきまでの余裕は!」

 剣が、連続で走る。


 一撃。

 二撃。

 三撃。


 ザイルは、後退しながら、最低限の土操作で足場を歪ませる。


 だが、それすら――


「甘い!」


 踏み越えられる。剣士の“読み”が、完全に上回っている。


(……ヤバいな、本気で殺しに来てやがる)

 ザイルは、内心で笑った。


 背中に、冷たい汗が流れる。

 だが――恐怖ではない。


(それでも今、俺が引いたら…)


 視界の端。中央では、コハルとゲオルグが睨み合っている。


 (この女を行かせるわけにはいかねぇ!)



イリーナが、さらに距離を詰める。

鋭い。迷いがない。これまでとは明らかに違う“殺す踏み込み”。


(……間に合わねぇ)


 ザイルは反射的に土壁を展開しようとする。

 だが――


 完成する前に、剣が来た。壁は途中で砕かれ、衝撃が腕に走る。


 距離はゼロ。

 完全に、詰められた。


 ザイルは、笑った。


「――悪いな」

 その瞬間、地面が唸った。



 ドン――――――――ッ!!

 床全体が、まるで生き物のようにうねる。次の瞬間、戦場一帯の地面が一斉に沈み込んだ。


「――なっ!?」


 イリーナの体が腰のあたりまで一気に飲み込まれる。

 動けない。剣も振れない。


 同時に――

 ザイル自身の身体も、同じように地面に固定された。逃げ場はない。区別もない。


範囲内のすべてを、等しく縛る魔法。


「……相討ち狙い?」

 イリーナが息を呑む。


「正解」


 ザイルは、ぐっと歯を食いしばる。視界が、わずかに揺れた。


(……くそ、魔力全部持ってかれたな)


 魔力が底を叩いた感覚。もう一歩も動けない。


「悪いな」


 ザイルは、肩で息をしながら言った。

「これで俺たちは、動けねぇ」


 一拍置いて、続ける。

「……ゆっくり観戦しようや」



「……本当に、ふざけた男だ」


 イリーナが吐き捨てる。

 ザイルは返さず、視線を中央へ向けた。


 血に濡れた剣。捨て身の速度で迫る獣人。そして――変わり始めた心から尊敬する人。


「……復讐、か」


 ぽつりと、呟く。イリーナは答えない。唇を噛み、ただ前を見ている。


「やめとけ」

 ザイルの声は、意外なほど静かだった。


「月並みな言葉だがな……何も生まれやしねぇ」


「……お前に、ゲオルグ様の何が分かる」


 噛みしめるような声。


「“ゲオルグ様”じゃねぇ」

 ザイルは、即座に言い返した。


「お前だよ」


 イリーナの眉が、わずかに動く。

「この国なら誰もが知る、帝国の英雄」


 ザイルは続ける。

「それが今じゃ、復讐の鬼だ」


 視線を逸らさない。

「そうなっちまったのは、なぜだ?」


「……そうさせちまったのは、お前らじゃねぇのか?」



 イリーナは、言葉を失った。

 喉が、動く。


 だが、何も出てこない。



「組織ってのはな」

 ザイルは、ゆっくりと言った。


「副官で決まるんだ」



 魔力の枯れた身体で、それでも言葉を選びながら続ける。


「英雄だって人間だ。間違える。踏み外す。弱る。強いからこその責任もある」


 視線が、中央へ向く。


「副官の本当の仕事はな、リーダーが泥沼に足を踏み入れようとした時、その襟首を掴んで引きずり戻すことだ。たとえそのせいで、お前がその男に斬り殺されることになってもな」


 沈黙。


 イリーナは、しばらく俯いていた。

 そして――

 ゆっくりと、顔を上げる。


 視線の先にいるのは、

 血に濡れ、剣を振るう男。

 

 その背中を、イリーナは、まっすぐに見つめていた。しばしの沈黙のあと、イリーナが小さく息を吐いた。


 剣を握る手から、わずかに力が抜ける。


「……なるほどな」


 自嘲気味に、口角が歪む。

「私は……副官としても、お前に負けていたらしい」


 ザイルは、意外そうに目を瞬いた。次の瞬間、鼻で笑う。


「はっ」「買いかぶりすぎだ」


 肩をすくめ、あっさりと言い切る。


「俺は副官でも、なんでもねぇよ」


 視線を天井に向ける。

「俺たちは軍隊じゃねぇしな」


 少し間を置いて、続けた。


「こんな変なヤツばっか集まった集団で、副官なんて役目―― こっちからお断りだ」


 苦笑して、首を振る。


 イリーナは、呆然としたようにザイルを見る。

「……では、どうして……」


「ん?」


「どうして、皆がお前を信じる」


 剣士としてではない、純粋な一人の人間としての疑問だった。


「命を預けるほどに」


 ザイルは、少し考えてから答えた。


「さあな」


 だが、その声は不思議と軽かった。


「無理に引っ張らねぇし、命令もしねぇ」

「逃げたい時は逃げていいって、最初に言ってる」


 イリーナは、目を見開く。


「……それで、誰も逃げないのか」


「逃げるヤツもいるさ」


 ザイルは、あっさり言った。

「でもな」


 視線が、中央へ向く。


 必死に立ち続ける少年。その前に立つ獣人の少女。治癒の光を絶やさないヒーラー。

そして、意識を取り戻したばかりの少女。


「守りたいヤツが、目の前にいるとよ」


 静かに。

「逃げる理由が、なくなるんだ」


 イリーナは、言葉を失った。


 命令。

 忠誠。

 義務。

 誓い。


 そのどれでもないものが、そこにはあった。

 そして――


 イリーナは、もう一度だけ、ゲオルグを見る。剣を振るうその背中を。


(……私は)

(あの人の、何を守ろうとしていたのだろう)


 答えは、まだ出ない。


 だが――

 心の奥で、何かが、確かに軋んだ。

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