第119話「ザイルVSイリーナ」
五人が倒れ伏す光景を、イリーナは一瞬、理解できずに見つめていた。
近衛騎士団。
選び抜かれ、磨かれ、幾度も実戦を潜り抜けてきた部下たち。
それがあまりにも呆気なく、戦線から消えた。
だが、次の瞬間には視線を切り替える。
獣人の少女は、もうこちらを見ていない。意識は完全に、ゲオルグへ向いている。
胸の奥で、静かに息を吐く。悔しさはある。認めざるを得ない事実もある。
(あの子は……私より強い)
だが同時に、確信もあった。
(それでも、ゲオルグ様には届かない)
視線を戻す。
あの獣人の少女は、迷いなく中央へ向かった。
一度も、こちらを振り返らずに。
(……私を見ていないわけではない)
そうではない、とイリーナは理解していた。
彼女が向かわなかったのは、自分を軽んじたからではない。
(仲間に背を預ける、という判断か)
それは感情ではない。
戦場でしか生まれない、冷静な信頼。だからこそ、イリーナは歯を噛みしめる。
(――こちらに来れば私がやられるのは確実。それでも来ないのは向こうの状況がまずいと判断したこと、そして)
この魔法使いは絶対に崩れない――そう信じているからだ。
イリーナが視線を戻すと、ザイルは肩をすくめていた。
(だからこそ、コイツを倒す!)
「なんだ? 向こうに助けに行かないのか?」
相変わらずの軽い口調。
「さすがの帝国最強でも、ウチの前衛二人なら、いい勝負になるんじゃねぇか?」
イリーナの目が、冷たく細まる。
「ゲオルグ様は、その程度で揺るぎはしない」
一歩、踏み出す。
「それよりも――お前だ」
言い終わる前に、剣が走った。鋭い踏み込み。無駄のない斬撃。
だが――
ザイルは、すでにそこにいなかった。踏み込んだ瞬間、足元が盛り上がる。
土が突き上がり、地面が歪む。
「――っ!」
バランスが崩れる。即座に体勢を立て直そうとしたその刹那、岩塊が弾丸のように飛んできた。
ロックバレット。
イリーナは剣を振る。
一閃
二閃
三閃
岩はすべて、正確に叩き落とされた。金属音が連なり、欠片が飛び散る。
「……さすがだな」
ザイルは距離を取りながら、舌打ちするように息を吐く。
剣士と魔法使い。
本来なら、剣士側が圧倒的に有利な相性だ。
――それでも、噛み合わない。イリーナは、苛立ちを隠せなくなっていた。
「一体……何者なんだ、お前たちは」
低く、吐き出す。
「私たちは、帝国最強の部隊だぞ……」
ザイルが、鼻で笑った。
「……“元”だろ」
視線を逸らさず、言い切る。
「今はただの狂信宗教の犬じゃねえか」
「黙れ!!」
怒声とともに、イリーナが再び踏み込む。今度は、より深く。より速く。
だが――
ザイルは、きっちり距離を保ったまま後退する。足元の土がわずかに隆起し進路を限定する。
「どうした?」
余裕のある声。
「踏み込みが甘いんじゃねぇのか?」
一瞬、間を置き、さらに畳みかける。
「俺の魔法の仕組みが分からなくて、警戒して踏み込みきれないんだろ?」
肩をすくめる。
「やってみりゃ分かるぞ。……まあ、俺も隠し球は、まだあるけどな」
イリーナの剣先が、わずかに揺れた。
(……やりづらい)
戦い慣れている。魔法の種類も、設置の癖も、まだ見せ切っていないように見える。
(流石に隠し球は、もうない……はずだ)
(だが――)
今の一言で、警戒せざるを得ない。イリーナは、歯を噛みしめる。
(……本当に、厄介な男だ)
距離を保ったまま、二人は互いを睨み合う。
剣と魔法。一歩も譲らぬ、静かな消耗戦。
その背後では――
別の戦いが
すでに次の段階へ進もうとしていた。
——————————
――鈍い衝撃が、全身を叩いた。
視界が回り、床が近づく。受け身を取る余裕すらないまま、カイは地面を転がった。
「……っ」
息が、吸えない。肺が押し潰されたみたいに、空気が入ってこない。
剣を握る手が震えていた。指先の感覚が薄い。
――強い
分かっていた。
それでも――ここまでとは思っていなかった。
「カイ!!」
その声が、はっきりと耳に届いた。次の瞬間、背中を引かれる。誰かが無理やり距離を作った。
「動くな! 一旦下がれ!!」
コハルだった。
ゲオルグの剣が、わずかに止まった。追撃は来ない。――あえて、来ない。
(…自分を見ていない、視線にあるのはコハル)
それが、余計に悔しかった。
「今は我慢して!」
次に耳に届いたのはサラの声だ。心なしか震えているのが分かる。
「骨、何本か逝ってる……! 無理しないで!コハルちゃんにひとまず任せるよ」
カイは歯を食いしばったまま、頷くことしかできなかった。
光が走り、回復魔法が体を包む。
焼け付くような痛みが、逆に現実を引き戻す。折れかけた感覚が、少しずつ繋がっていく。
そのすぐ横で――
「……う、……」
微かな声。サラが、はっと振り返る。
床に横たえられていたミラの指が、わずかに動いた。
「ミラ……?」
まぶたが、ゆっくりと開く。焦点が合うまで、数秒。最初に映ったのは、血。
剣。
倒れている人影。
そして――
「……カイ……?」
掠れた声。
カイは、反射的に顔を向けた。
「ミラ……!」
安堵が、胸に落ちる。それと同時に、鋭い痛みが走った。
(……俺は)
また、守れていない。
倒れて、下がって、治されている。悔しさで怒りのままに斬りかかりたい衝動に駆られるが無理やり抑え込む。まずはミラだ。
「ミラ、大丈夫か?怪我ないか?」
カイに名前を呼ばれ、ミラは無言で見渡した。
五人が倒れている。
コハルが、前にいる。
カイはぼろぼろにやられてサラの治療を受けている。そして――中央に立つ、あの男。血に染まったゲオルグ。
ミラの胸が、きゅっと縮む。
(……私のせいだ……)
だが、次の瞬間。
「違う」
低く、短い声。
コハルだった。
いつの間にか、背中を向けたまま、三人を庇う位置に立っている。尻尾がわずかに揺れていた。
「気にするな」
視線は前。
「家族は私が守る。絶対負けない」
その言葉が、胸に落ちた。カイは、ゆっくりと拳を握る。まだ痛む。まだ足りない。
だが――
(……戻れる)
サラの回復は、確実に効いている。ミラは、意識を取り戻した。
そして何より――今は、コハルが前にいる。カイは、立ち上がろうとした。
「まだよ」
サラが、肩を押さえる。
「あと少し。今行ったら、意味がない」
カイは、歯を食いしばりながら、頷いた。
――その視線の先で。
コハルが、ゆっくりと肩を落とす。呼吸を整え、次の相手を見据えていた。
獣の瞳が、再び戦場を捉える。
そして――
“本当の戦い”が、始まろうとしていた。




