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虚晶の賢者――異世界魔法を科学する  作者: kujo_saku
第八章【並び立つ者たち】
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第118話「制圧」

オットーが倒れた瞬間、戦場の空気が一段変わった。イリーナは歯を食いしばりながら、視線を走らせる。


 後衛――弓が落ちた。


 これは偶発ではない。狙われ、落とされた。


(……想定より、早い)


 だが、致命ではない。イリーナの判断は、揺らがなかった。


 獣人の少女――確かに速い。異常なほどに。だが、それだけだ。


(つまり、ハインツを一撃で落とせるだけの攻撃力はない)


 この世界の戦の常識。速度を上げれば、力は削がれる。重装の盾役を正面から崩すには、質量か魔力が要る。


「フェルク下がれ!俺が出る!」


 短く、明確な意思表示。


 巨大な盾を構えた男が、一歩前に出る。同時に、魔法使いたちも判断を下した。


 自分たちの詠唱は間に合わない。牽制にもならない。ここで守られる価値はない。


 二人はさらに後方へ下がり、距離を取り、ヒーラーは回復に、魔法使いは杖をまっすぐに構え、いつでも魔法を発動できる状態に入る。


 フェルクもそれを見て、前線と後衛の中間へと位置を変えた。


 遊撃。


 これが本来の斥候の仕事だ。


 陣形は、再び整った。弓は失ったが、まだ崩れてはいない。その様子を、コハルはしっかりと見ていた。


(……なるほど、だったら狙いは!)


 耳が伏せられ、呼吸が低くなる。視線は、自然とフェルクへ向いた。


 コハルは地を蹴った。

空気が裂け、景色が歪む。


 フェルクが反応する。


刃を構え、半身で受けに入る。

 ――だが。


「……チッ」


 割り込んだのは、巨大な影。盾が、最短距離で差し込まれた。


 ハインツだ。


 重装の足運び。無駄がない。速度に対して、位置と判断で対抗する。


(……邪魔)


 コハルは進路を変え、そのまま流れるように背後へ回った。


 一瞬で、死角。完璧な位置。

 だが――


 刃が、止まった。

(……硬っ)


 鎧。筋肉。体幹。切り裂けない。

 崩れない。


 背後を取られても、ハインツは動じなかった。盾を下げず、足を踏み締め、ただ“立っている”。


 フェルクが、その背後で呼吸を整える。魔法使いたちは距離を保ち、無駄撃ちはしない。


 正しい。

 すべてが、正しい。


 この場にいる誰一人として、判断を誤っていない。コハルは、歯を見せて笑った。


「……なるほどね、真面目な奴らだ」


 速さだけでは、足りない。世界は、まだこちらを許していない。


 だが――

 視線の先。


 中央で、押され続けている背中があった。

(……待ってなよ)


  コハルは、腰に提げたムチへと指を伸ばす。タリアが調整を重ねた、新しい武器。


 胸の奥で、何かが静かに熱を持ち始める。鼓動が、ひとつ深く沈む。


 ――ムチ。


 細く、長く、しなやかに伸びるが刃はない。重さもない。だが、しなる先端が空気を切る。


 次の瞬間。


 バシンッ!!


 乾いた破裂音が床を叩いた。



 石畳に走る衝撃。粉塵が跳ね、反射的に全員の視線が吸い寄せられる。


 ハインツは盾越しに眉をひそめた。

(……ムチ? このタイミングで?)

(後衛狙いか? それとも牽制――)


 思考が、途中で切れる。

 コハルが――正面から来た。


 一直線。躊躇も、間合いの探りもない。ハインツが盾を構え直す、その刹那。


「ハインツ! 気をつけろ!」


 横合いから、ゲオルグの声が飛ぶ。

 だが――遅い。


 コハルは、斬りかかれる距離まで踏み込み、その瞬間、ムチをしならせた。


 一閃。細い影が、空を裂く。


次の瞬間には――

 ハインツの腕。

 盾。

 胴。


 すべてが、まとめて絡め取られ、まるで大蛇に締め付けられたようになる。


「ぐっ――!?」


 反射的に力を込める。

「こんな程度で……俺が止められるとでも!」


 膨れ上がった筋肉が軋む。しかしその時コハルの指先から、魔力が流れ込んだ。


 刹那。ムチが――硬化を始め、さらに内側には棘が生え、まともに力を入れる事ができない状態へ変化した。


 柔らかかったはずの拘束が、一瞬で“枷”へと変わったのだ。


 動かない。びくともしない。棘は力を入れるほど伸び、鎧をも貫通し全身を突き刺した。


「……っ!?くそ!」


 バランスを崩したところへ――

 コハルの足が、低く払われた。


 受け身は、取れない。


 鈍い音とともに、ハインツの巨体が床に叩きつけられる。


 完全な簀巻き。戦線から、消えた。

「……二人」


 淡々とした声。その空気が変わったのを、誰より早くフェルクが感じ取った。


 ――まずい。


 背中が、勝手に引く。理屈ではなく、本能が告げていた。コハルは、獲物を見つけた獣のように、ちらりとフェルクを見る。


 ニヤリ。

 次の瞬間。


 世界が、置き去りになる。速度が――さらに、跳ね上がった。


「――っ!!」


 フェルクは剣を構える暇すらなかった。気づいた時には、視界が反転している。


 そのままフェルクの意識は暗転した。

 

 魔法使いたちは、即座に判断した。二人は同時に方向を変え、イリーナのもとへ退こうとする。


 だが――


 距離が、足りなかった。

 影が、迫る。

 風も、音も、残さない。


 ドン。

 ドン。


 ほぼ同時に、二人の意識が刈り取られる。


立っているのは、ただ一人。コハルは、軽く肩を回した。


「……制圧、完了」


 その声には、興奮も誇示もない。ただ、事実だけがあった。


 そして――


 ゆっくりと、顔を上げる視線の先。

 血に濡れた剣を持つ男。


「次は――」

 獣の瞳が、真っ直ぐにゲオルグを捉える。


「お前だ」


 その瞬間、この戦場で、最も危険な二つの存在が、互いを認識した。

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