第117話「単騎」
剣と剣が交わる音。土が軋み、空気が震える。
イリーナは一瞬だけ視線を走らせ、戦場全体を切り取った。
中央――
……あの少年も相当なものだ。後ろのヒーラーも厄介だな。あの激しい戦闘の中で、回復が一度も遅れていない。だが、ゲオルグ様には、まだまだ余裕がある。
右――獣人の少女
速い。スピードはフェルク以上だな。単騎戦力は予想以上……だが。
どう見てもスピード特化型。フェルクがなくとか抑えられている。つまり、ハインツを一撃で落とせるだけの攻撃力はない。
五人で囲めば抑えられる。
(問題は……)
イリーナの視線が、左へ。
この土魔法使い――
(この男は不確定要素が多すぎる……厄介だ)
自由に動かせば、戦線が崩される可能性がある。そしてイリーナは結論を出す。
(コイツは私が仕留める。この男を他に回さなければ、私たちに負けはない)
同時に――
ザイルもまた、戦場を見ていた。
中央でぶつかる剣。力も技量も、カイは明らかに劣っている。
(……帝国最強か。サラが支えてるが正面はこのままでは無理だな)
視線を横へ。
コハルが五人に囲まれている。
だが――
ザイルは小さく息を吐いた。
(たぶん、いけるな。数じゃねぇ。コハルを抑えるには役不足だぜ、あれは)
やはり問題はカイだ。助けに入りたい。
だが――
「……ここを通す気はない」
イリーナの声が、低く響いた。剣先が、ぴたりとザイルを捉える。一歩も引かない構え。
「…だろうな」
ザイルは肩をすくめた。
「じゃあ、まずはお前を始末するとしよう」
イリーナの眉がわずかに動く。
「……随分と余裕だな」
次の瞬間――
イリーナが踏み込んだ。
鋭く洗練されたまさに帝国騎士の剣がザイルに襲いかかる。ザイルは後退しながら、足元の土をわずかに隆起させる。
剣先が弾かれ、火花が散る。
「その魔法……やはり厄介だ」
「今さらだろ」
二人の間に、重い緊張が走る。
――その背後で。
「……よし」
コハルは、小さく呟いた。
耳を伏せ、腰を落とす。呼吸を整え、仲間の位置を確認する。
カイは中央で押されている。猶予はない。
(……あれをやるか)
胸の奥が、ひくりと熱を持つ。長くもたない。
――でも。
五人は、完全に散開した。前に出てくるのは自分と似た斥候タイプの男。
盾役のでかい男。後衛を守れる位置にいるな。コイツが一番邪魔だ。
弓のヤツは背後で気配が消えた。自分から気配を消せるとはなかなかのものだ。
魔法役は魔法の詠唱を始め、完璧な連携を見せる。
だが――
コハルは、笑った。
「いいよ。ちゃんとした陣形だ。だけどね!!」
次の瞬間。地面が爆ぜた。コハルの姿が、視界から消える。
「――速っ!?」
フェルクが反射的に刃を振るが、呆気なく空を切る。反射で上体をスウイしたところにナイフが通過していた。
(嘘だろ……)
(俺は、近衛騎士団でも最速だぞ)
(速さで負けたことなんて――)
その思考が、途中で断ち切られた。
(……違う)
(こいつは、次元が違う)
フェルク以外のメンバーも驚きを隠せない。何より速すぎて介入ができなかった。
「へえ、あれ避けれるんだ。やるじゃん」
フェルクは背中に冷たい汗が流れるのを感じながらはっきりと悟った。
(完全に自分よりも格上とはね…まずいな)
背後――
瓦礫の影、梁の影、そのさらに奥。オットーは、呼吸を殺していた。
弓を引き絞る指先に、力を込めすぎない。視線は一点。獣人の少女――コハル。
(……速すぎる)
正直な感想だった。
視界に捉えたと思った瞬間には、もう位置が違う。フェルクが前に出ているのが、唯一の救いだった。
(焦るな)
(今は射るな)
オットーは、自分に言い聞かせる。弓兵の役割は“当てること”ではない。
背後にいると悟らせること。それだけで、相手の動きは鈍る。
(だが……)
同時に、理解していた。射る気がないと悟られた瞬間、自分はここにいないと同義。
(チャンスがあれば――)
(迷わず、いく!)
弓は引いたまま。
筋肉は張らせず、だが緩めない。
“撃てる状態”を保ち続ける。
その時だった。
盾役のハインツが、一歩、前に出た。
「……チッ」
オットーの喉が鳴る。
あの男が前に出るということは――このままではまずい、という判断だ。
巨盾が、わずかに角度を変える。前線を押し上げる構え。その瞬間。コハルの視線が、ハインツに向いた。
ほんの一瞬。
耳が動き、身体の向きが、盾役へと流れる。
(……今だ!)
オットーの判断は、速かった。引き絞っていた弓を、迷いなく解放する。
だが。
次の瞬間、オットーの背筋を、凍りつく感覚が走った。
(くそ!――釣りか!)
気づいた時には、遅い。矢が空を切るより早く、コハルの姿が、視界から“消えた”。
「――ッ!?」
距離が、潰れる。
音がない。
風も、気配もない。
ただ――
目の前に、いた。次の瞬間、
オットーの意識は、闇に叩き落とされた。
衝撃すら、感じなかった。
ただ、膝が崩れ、身体が前に倒れる。
「まずは一人」
短く呟く。
背後で、空気が変わった。
――イリーナが、確かにそれを感じ取った。
「……オットーが落とされた?」
ありえない、という色が、一瞬だけ浮かぶ。弓兵は、後衛だ。
適切な距離を保ち、これまでも決して簡単には落ちない男だった。
だが――
目の前には、その“ありえない”が転がっている。コハルは、すでに次を見ていた。
獣の耳が伏せられ、身体が、さらに低く沈む。
「さあ、次はどいつだ?」
胸の奥で、何かが完全に切り替わった。もう抑える気はない。
凶悪な笑みを浮かべるコハルは、自分が狩る側であるとまざまざと見せつけていた。




