第116話「三つ巴」
血の匂いが、倉の奥に重く滞留していた。床に転がるレムリスの亡骸。
その傍らで、ミラは意識を失ったまま横たえられている。
――その光景を目にした瞬間、カイの中で何かが切れた。
「……ミラから、離れろ」
低い声。
だが、怒鳴り声よりも重い。
ゲオルグはゆっくりと振り返った。血に濡れた片腕。剣を下げたままの姿。その表情に、動揺はない。
「なんだ仲間か?遅かったな」
その一言が、決定的だった。
次の瞬間――
カイは地を蹴っていた。
剣が唸る。
理屈も間合いも無視した、真っ直ぐな一撃。
――ガンッ!!
金属音が弾け、火花が散る。
ゲオルグは、片腕でそれを受け止めていた。わずかに身体を引いただけ。衝撃を殺し、足元すら崩さない。
「……お前、火事の時に会ったヤツだな」
その口元が、わずかに歪む。
「いい踏み込みだ。だが――」
言葉の途中で、ゲオルグが一歩踏み込んだ。
剣が振るわれる。
重い。
速い。
そして、容赦がない。カイの身体が弾かれ、床を滑る。
「どうした? あの時のほうがまだ振れていた」
「怒り。戸惑い。力み。興奮……」
ゲオルグの視線が、静かに突き刺さる。
「未熟だな。その剣で、誰を守るつもりだ。
お前が上に立てば、次に死ぬのは誰だ」
ゲオルグの言葉に、カイは答えなかった。
ただ、剣を握る指に、じわりと力が籠もる。革巻きが、きしりと鳴った。一瞬、呼吸が浅くなる。
次の踏み込みは、速い。
だが――ほんのわずかに、硬い。
「……カイ」
背後から、サラの低い声。
「呼吸」
それだけだった。
カイは息を吐き、足の裏を地に沈める。
肩の力が、ひとつ落ちた。
剣先が、再び“間”に戻る。
その直後、鋭い声が割って入った。
「待て!!」
イリーナだった。
剣を抜いたまま、ゲオルグとカイの間に立とうとする。
「誤解だ! その女は――我々が救った!!危害を加えるつもりもない!」
だが、ゲオルグは止まらない。ミラに剣を突きつけゆっくりと語る。
「大切なものならば、自らの力で守ってみせろ。」むしろ、楽しげに肩を鳴らした。
「…ゲオルグ様!」
「おい、少年!ここは引け。お前が剣を向けるのであれば、どんな理由であろうとも、我々はお前を排除せねばならん!」
イリーナが歯を食いしばり、一歩踏み出そうとした、その瞬間。
「――させるかよ」
横合いから、土が爆ぜた。床が盛り上がり、壁のように隆起する。ザイルの魔法だ。
イリーナは反射的に後退し、ザイルと正対する。
カイは一度、肺に溜まった重い空気を吐き出し、そして新しい空気を思いっきり取り込んだ。
(相手は遥か格上…、でも先生。俺はいくぜ!もう恐怖には囚われない!)
「…ほう」
一瞬感心したようなゲオルグ。
再び斬りかかるカイ。常人であれば間違いなく見切れない程の速度。
しかし、ゲオルグはこれもあっさりと受け止めてしまう。二人の間に火花が何度も飛び散る。
(あの一瞬で立て直したか。コイツも後ろのヒーラーもなかなか見どころがある)
「ハインツっ!!止めろ!」
イリーナが叫ぶと同時に動く一際大きな騎士。巨大な盾と共にカイとゲオルグの間に割って入りに動き出した。しかし、
「そこまでだよ」
その巨漢の影から突然現れたのはコハルだった。
――ヒュッ。
鎧の隙間を縫うようにナイフを差し入れようとするが、わずかにかわされ金属どうしの擦れる嫌な音が響き渡った。
それを見て、コハルは笑った。
「……へぇ。やるじゃん」
コハルは新しい武器を構え、耳を伏せる。獣のような低い姿勢。
これを機に元近衛騎士団の五人が、自然と散開した。それは明確に敵と認識した動きだった。
索敵、前衛、中距離、魔法、後衛。
完璧な陣形でコハルを取り囲む。
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三つ巴が形を取り始める中、
ザイルは相対する女騎士――イリーナの視線を受け止めていた。
剣の構え。
踏み込みの角度。
そして、あの目。
(……間違いないな、あのときリオネールで絡んできた女だな)
しかし、ザイルより早く口を開いたのは、イリーナの方だった。
「――やはり、貴様か」
声は低く、確信に満ちている。
「モーションも魔法陣もない土魔法。……そんなヤツは一人しかいない」
一歩、踏み出す。
「しかし、何度も見せていいのか?隠し球は取っておくものだろう?」
ザイルは、ふっと鼻で笑った。
「別にこの程度のことなら、俺の周りでは珍しくもないんでな、いくらでも見せてやるぞ」
肩をすくめ、軽く構える。
「まさか、あの時の“嫌な勘”を、ここまで引きずってるとはな…」
イリーナの剣先が、わずかに下がる。
「……貴様は危険だ」
断定だった。
「仲間に近づけるわけにはいかん」
ザイルの目が、細くなる。
「奇遇だな。俺も同じ意見だ」
二人の間で、空気が張り詰める。
背後では――
低く身を構えたコハルと、散開を終えた五人が、互いを睨み合っている。
正面では――
血に濡れた剣を下げたゲオルグと、怒りを抑えきれないカイが、再度間合いを測っていた。
サラは気を失っているミラの横に滑り込み、明らかに不利なカイのサポートにも入れる場所にいる。
三つの戦線。
三つの意思。
そして――
この戦いが、もはや“誤解”だけでは終わらないことを、全員が悟っていた。




