第113話「誘拐」
「あの男とまともにやり合うのは得策じゃない」
レムリスは低く呟いた。唇の端が歪み、どす黒い笑みが滲む。
「こっちに誘い出して、その隙に――聖母を連れていく」
合図は指先ひとつ。
通りに出た信者が二人、わざとらしく肩をぶつけ、通りがかりの町の女を取り囲んだ。
「おい、ぶつかっただろ」
「謝れよ。逃げる気か?」
突然の怒号に、女は硬直した。
何が起きているのか分からない。ただ声が大きく、距離が近く、逃げ場がない。
「す、すみません……」
震える声で頭を下げる。その様子を見て、周囲の空気がざわりと揺れた。
声が大きすぎる。動きが芝居がかっている。――だが、町の人間には十分すぎるほどの威圧だった。
孤児院の庭でも、そのざわめきは伝わった。
子供たちが不安げに顔を上げ、ミラの服にしがみつく。ミラは、はっとして通りの方を見た。
「……ザイル」
無意識に一歩、前へ出る。
サラが咄嗟に腕を伸ばすが、ミラの動きのほうが早かった。
「助けてあげられない?」
ミラの瞳が、真っ直ぐにザイルを捉える。
「放っておけないよ。あの人、すごく怖がってる」
サラも小さく頷いた。
「……ザイル、お願い」
ザイルは舌打ちした。
(さっき飯食ってた連中だな。…数が合わねぇ)
視線を走らせる。通り。屋根。人影。
――いない。
嫌な予感が、背中を這い上がる。
だが、ここで見過ごせば、この領の、何よりミラとサラの“善さ”を汚すことになる。
「……くそ」
短く吐き捨ててから、ザイルは言った。
「すぐ戻る。二人は孤児院の中だ。絶対に外に出るなよ」
ザイルは通りへ踏み出し、男二人と女の間に割って入った。
「その辺で、やめとけ」
低く、だがよく通る声。
「女に絡むなんざ、最低だぞ」
「は?」
男の一人が、ニヤついたまま肩をすくめる。
「関係ねぇだろ。こいつが悪いんだよ」
もう一人も同調するように一歩詰めた。
その背後で、サラとミラは言われた通り孤児院の中へ戻ろうとする。
まずサラが子供たちを促し、扉の向こうへ。
「大丈夫よ、すぐ静かになるから」
ミラも続こうとして――足を止めた。
庭の奥から、小さな声が聞こえた。
「ミラお姉ちゃん! 忘れ物!」
一人の女の子が、慌てて庭に戻ってきていた。
小さな手に、布切れ。さっき遊んでいた人形の服だ。
「……とってきてあげる」
ミラは微笑み、屈んで言った。
「先に中に入ってて」
その一瞬。
孤児院の門の影が、静かに揺れた。
ミラが庭に足を踏み入れた、その背後。
空気が、わずかに歪んだ。
――気配。
振り向くよりも早く、背後から布が押し当てられる。鼻と口を覆う、湿った布。甘く、重い匂い。
「――っ」
声にならない息。
反射的に腕を振るが、力が抜ける。
視界が、にじむ。
サラの名前を呼ぼうとして
――声は出なかった。
次の瞬間、世界が暗転した。
「ミラ……?」
孤児院の扉の内側。
サラは、胸の奥を掴まれるような違和感に振り返った。庭が、静かすぎる。
さっきまで聞こえていた子供の声が、途切れている。 嫌な予感が、背骨を駆け上がった。
「……ミラ!」
サラが外へ飛び出した、その視界の端で――
人影が、ミラの身体を抱え上げ、馬に乗せられ門の外へ消える。
「ミラ!!」
叫び声が、宿場町に響いた。
その時、通りではザイルがまだ男二人と向き合っていた。だが、叫びを聞いた瞬間。
ザイルの思考は、切り替わる。
(くそ、やられた…)
視線を一瞬だけ孤児院へ走らせる。見えたのは、運ばれていくミラの栗色の髪。
動かない。――意識がない。
(今、魔法は使えねぇ)
距離。角度。逃走方向。
この場で攻撃魔法を撃てば、ミラに当たる可能性がある。仮に犯人だけを狙えても、気絶状態のミラが落馬すれば――致命的だ。
(攫った奴は……こいつらの仲間だな)
目の前の男二人。
さっきから、逃げる間合いを測っている。ザイルは、地面に意識を落とした。
「――動くな」
低く言い放つ。
次の瞬間。
男たちの足元が、ずぶり、と沈んだ。
「なっ――!?」
乾いた土が一瞬で粘性を持ち、膝まで飲み込む。逃げようとした力が、逆に身体を引きずり込む。
「う、うわっ……!」
ザイルは、間を置かない。
土魔法――硬化。
ぬかるんだ地面が、一瞬で締まり、石のように固まる。
男二人は、腰まで地面に埋まったまま動けなくなった。
「……お前らには聞きたい事がある」
—————————
サラは、ミラの倒れた場所に膝をついた。
(布……吸引系。魔法じゃない)
ミラは一助けを求める間もなく一瞬で完全に意識を落とされたようだ。
即座に判断する。情報が先だ。
サラは耳元のイヤリングに指を添えた。
ミラの通信機へ直接呼びかけても、反応はない。これは想定内だ。
だが――
(盗聴……)
サラは設定を切り替え、“受信音量”を一時的に上げた。外部の音を、拾う。
微かに、風音。
揺れる布。
そして――男の声。
『……やっ..り聖母だ』
『見た…。禍石を持…..』
『急げ。レムリスさんの…..』
サラは途切れ途切れの音から重要なキーワードを素早く抜き出す。
「……聖母、禍石、レムリス」
その言葉を、確かに聞き取った。
サラは、立ち上がると同時に走った。
「ザイル!おそらく教団の人間よ!聖母だとか禍石とか、あとレムリスって名前!」
拘束された男たちが、その言葉に反応した。
目を見開き、歯を食いしばる。
「……ちっ」
ザイルは、確信し、すぐに次の行動に移る。
耳元の通信機に指を当てる。
「カイ。聞こえるか」
すぐに、息を切らした声が返る。
『今、ルッツさんと孤児院へ向かってる。何かあったのか?』
「ミラが攫われた」
一拍も置かずに続ける。
「教団の連中だ。“聖母”って言葉が出てる。犯人の仲間二人は拘束した。アジトは、これから吐かせる」
短く、的確に。
通りの向こうで、足音が増えていく。
騒ぎに気づいた町の人間たちが、集まり始めていた。だが、もう状況は戻らない。
攫われた。
理由も、敵も、輪郭を持った。
戦いは――始まった。




