第11話「魔の山の洗礼」
夜明け前の空気は冷たく、吐く息が白い。
荷馬車の横で、ミラが膝を庇いながら紐を締め直していた。前夜の襲撃で転んだときに擦りむいた膝――たいした怪我ではないが、まだ赤い線が残っている。
「……大丈夫、これくらいなら」
自分に言い聞かせるように呟いたところへ、柔らかな声がかかった。
「ダメよ、ミラ。そのままじゃ後で痛むわ」
振り返ると、サラがいた。
腰まである金髪がサラサラ流れ、白いローブにベルトの帯を締めた姿。清楚で落ち着いた雰囲気を纏っているが、目元にかすかな茶目っ気を宿している。
「えっ……でも、ほんとに大したことじゃ……」
「ダメ。ここからは魔の山でしょう? 難所に入るのに“擦りむいた程度”なんて軽く考えるのは一番危ないの」
サラは諭すように笑った。
彼女の指先が宙に紋様を描くと、淡い緑の光が膝を包む。
「あったかい……」
ミラが目を丸くすると、サラは小さくウィンクする。
「ほら、怖くないでしょう? 怪我を残したまま走り出すのは、商売で言えば“負債を抱えて仕入れる”ようなもの。利子を取られてからじゃ遅いのよ」
その喩えにリーナが吹き出す。
「サラ、その言い回しどこで覚えたのさ」
「リーナに付き合ってたら、商人っぽい言葉ばかり移っちゃったみたい」
肩をすくめるサラに、護衛たちからも笑いが漏れる。
「……ありがとう、サラさん」
ミラが小さな声で礼を言うと、サラは軽く頭を撫でて答えた。
「いいのよ。大事な妹みたいなものだから」
その横でザイルが何か言いたげに口を開きかけ、すぐ閉じた。
(わかりやすいな)
とソウマは内心で思う。
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やがて東の空が赤く染まり始めた。商隊は荷を整え、いよいよ「魔の山」へ足を踏み入れる。
山道は切り立ち、黒い岩壁の上を強風が唸るように吹き抜ける。風に乗って飛ぶ砂が頬を刺し、荷馬の耳が落ち着かずに震えていた。
「いやな気配がする……」
コハルが呟き、周りに耳を立てる。
「……来るぞ!」
コハルのこの声で戦端は開かれる。
岩陰から灰色の影が飛び出す。狼型の魔物。五、十、いや二十近く――赤く濁った眼が一斉に輝き、低い唸りが尾根を震わせる。
「隊列を組め! 馬車を守れ!」
リーナの号令が響く。
ダンカンたち前衛が剣を構え、魔法使いが詠唱する。コハルは姿を消して遊撃体勢に入る。
火球が撃ち出されるが、灯火のように小さく霧散した。
「弱すぎる……!?」
魔法使いの声が裏返る。
狼がひらりとかわし、逆に飛びかかる。前衛の1人が盾ごと押し込まれ、牙が肩に食い込んだ。
「ぐっ……!」
血が噴き出し、仲間が倒れる。
「サラ!」
「今すぐ!」
サラが駆け寄り治癒魔法を放つが、光は途切れ途切れで傷はなかなか塞がらない。
「……禍石の干渉……! 治癒が遅すぎる!」
「押し返せぇ!」
ダンカンが咆哮し、身体強化で突撃。狼を殴り飛ばした衝撃で土煙が舞う。
「前衛組、根性見せろよ!!魔法がかなり制限されてるから援護はないと思え!身体強化も弱い!デカい武器は使うな!狼型ならナイフでいける!」
前衛はダンカンの怒号でなんとか持ち直した。しかし、数が多い。次々に湧いて出てくる魔物の群れ。
「先生っ、どうする!」
カイの声は焦りを帯びる。
「踏ん張れ! 退いたら食われるぞ!」
ソウマが叫び返す。
ザイルが詠唱を終え、土の槍を走らせた。しかし魔法陣が揺らぎ、狙いは外れて岩壁を砕いただけ。
「ちっ……すまん!」
彼が歯噛みする。汗が額に滲む。
魔力の奔流が乱れている。彼ほどの魔法使いでも正確に制御できないのだ。
群れはなおも押し寄せる。三方向から牙と爪が迫り、護衛たちは必死に防ぐが、ついに間を抜かれ、後ろの商隊メンバーが狙われる。護衛も間に合わないと思われたとき、
「死に晒せ!狼!」
突然現れたコハルが切り伏せ、さらに群れの中に突っ込んでいく。身体強化が難いなかでも、やはりスピードは一番だ。
劣勢は続き、護衛のひとりの剣が折れ、ダンカンの叫びが響く。
「サラ! まだか!」
「もう少し……耐えて!」
彼女の声は震えていた。
「くそったれめ!!」
何匹倒したか分からないほど狼の死体の山を築いているダンカンも、ナイフが折れてしまい、今は素手で対応している。左腕は噛まれたのか、袖が破れ血が滴り落ちていた。
しかし、少しずつ魔物の数は減っていき、コハルがまた一匹仕留める。
ようやく狼たちが血と傷に怯み、尾を巻いて散ったとき――商隊は半壊寸前だった。前衛は数名が負傷し、呼吸は荒い。
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「体勢を整えろ!」
リーナが叫んだ刹那。
山の斜面を震わせる重い足音。
茂みを押し分けて現れたのは、黒鱗の巨躯――オーガ。人の二倍の体躯を持ち、丸太のような腕で岩を砕きながら迫る。
「オーガ……!」
ダンカンの顔色が変わる。
「戦えない! 怪我人が多すぎる!」
前衛組の一部が気圧される形で下がってしまう。
「サラ、急げ!」
「やってる! でも……間に合わない!」
下がってしまった前衛組の合間を抜ける形で、オーガが後衛に迫る。
オーガの棍棒がサラに振り下ろされ、それを止めるため無理やりダンカンが割り込む。
「っぐは!!」
無理な体勢で入ったせいでダンカンの巨体は吹き飛ばされ、木に叩きつけられる。
コハルはその隙に背後をとり、頭にナイフを突きつける。しかし、無情にもナイフはオーガを切り裂くどころか、中ほどから折れた。
最大戦力の二人でも届かない…..
リーナは即断した。
「――全員、下がれ! 体勢を保て!」
だが足取りは鈍い。負傷者を抱えたままでは速く動けない。
遠吠えが山にこだまし、別の群れの気配まで迫ってくる。
ソウマの視線が岩壁の裂け目を捉えた
「あそこだ、洞窟!」
「全員、退避!」リーナが叫ぶ。
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商隊は必死に洞窟へ雪崩れ込む。
最後尾のダンカンが洞窟に滑り込んだ瞬間、振り返ったソウマの目に、オーガが咆哮しながら突っ込んでくる姿が映った。
轟音が響き渡る。
岩壁は崩れ落ち、入口を塞ぐ。砂煙が肺を刺し、悲鳴が重なった。
「閉じ込められた……」
誰かの震え声が、闇に響いた。
外からはなお獣の咆哮が轟き、洞窟は完全な暗黒に沈む。
「ライト……」
サラが光魔法を唱える。
だが、緑の光は一瞬だけ揺らめき、すぐ消えた。
「えっ……嘘……発動もしない」
他の仲間たちも生活魔法の火を試すが、誰一人として成功しなかった。
――禍石の干渉。濃度が高すぎて、ここでは魔法がまったく使えない。
閉ざされた出口。怯えた仲間。多くの怪我人。
そして頼みの綱である魔法の消失。
「……さて、どうするか」
声は誰に届くでもなく、洞窟の壁へと消えていった。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
――次回予告 本日22:00公開
第12話「全滅まで一時間」
崩れゆく希望、削られていく時間。
全滅の刻限が、刻一刻と迫る。
――その中でソウマが取った行動は……
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