第111話「薄氷の上で」
ウォーレン子爵領の城下は、帝都の荒れた空気とはまるで別世界だった。
街路には香草の匂いが漂い、夕方の鐘の音が穏やかに響く。
「ようこそ、お越しくださいました」
案内された広間に現れたウォーレン子爵は、ふくよかな体格を包む礼服に身を包み、相変わらずの柔和な笑みで出迎えた。
軍人ではなく、民を守る“父”のような貴族。
カイたちは、以前帝都で会った時と同じ温かさを感じていた。
「子爵様、お久しぶりです」
カイが礼をすると、ウォーレンは首を振る。
「そのような固い礼はよい。リーナ殿は貴族であり、君達はその従者。そして、これからは国の将来を左右する冷蔵庫計画の仲間だ」
隣でミラが補足する。
「輸送ルートの確保に来ました。ですが……治安が以前より悪化していると」
「ああ……」
ウォーレンの表情に、はっきりとした陰りが差した。
「セオグラシア教団の一部が暴走していてな。“山を汚すな”“禍石を掘るな”と、作業場に押し入り、鉱夫を脅して作業を止めさせることもある。
だが――一番、憂慮すべき事はそれではない」
一拍、間を置く。
「領内で、女性が誘拐される事件が相次いでいる。いずれも若く、美しい女性ばかりが狙われているようだ」
その言葉に、場の空気がわずかに張りつめた。
「ここ一週間ほどは、ぱたりと聞かなくなったが……これも教団が関係しているだろう」
ザイルが眉をひそめる。
「やってる事は過激だが、帝都の教団の連中とは……少し毛色が違いますね」
「その通りだ」
ウォーレンは、きっぱりと言い切った。
「私が領に戻ったばかりの頃は、行動も荒く、統率もなく、まさに暴徒だった。
だが最近は違う。過激さはやや影を潜め、代わりに――素人とは思えぬ統率が見える」
その視線が、地図の山間部をなぞる。
「……皇帝派が裏で糸を引いている可能性も考えられる。だが、まだ確証はない。
いずれにしても――十分に、気をつけてくれ」
サラが地図を見ながら首をかしげる。
「子爵様、難しい状況ですね。私たちはまず何から動くべきでしょう?」
「皇帝派の動きは気になるが、こちらはある程度予想もつく。逆に教団がこれ以上の行動を起こすとなると厄介だ。教団の狙いが何か…それとも本当にただ暴徒化しているだけなのか?それだけでも分かれば対策が立てやすいのだがな…」
ウォーレンの声が低くなった。
「いずれにしても、君たちには危険を承知の上で輸送ルートを確保してもらわねばならん」
カイが息を吸い、顔を上げた。
「僕たちが、必ず道を通します」
その力強い言葉に、ウォーレンは小さく微笑んだ。
「君は良い眼をしている……貴族には無い純粋でまっすぐなその言葉を信じよう。ただし、無理は禁物だ。私もできる限り協力するから、何か必要なら遠慮なく伝えて欲しい」
* * *
謁見を終え、城外に出るとカイは深く息をついた。
ミラが心配そうに近づく。
「カイ……無理してない?」
「大丈夫。ただ……思った以上に状況は悪い。油断したらすぐ誰かが傷つく。だから――」
「だから肩に力入りすぎてるのよ」
ミラはそっと彼の手に触れた。
ほのかな温かさが伝わる。
「……うん。気をつける」
少しだけ表情が和らぐ。
後ろでコハルが耳をぴょこぴょこ揺らす。
「任せて!暴徒でも獣でも何でも倒すよ!」
「いや倒すのは最終手段だからな?」
ザイルが苦笑し、サラがくすっと笑う。
ルッツは杖を軽く叩いて言った。
「さて。問題は山道にいる暴徒だけではありませんよ。皇帝派がまた何か仕掛けてくる可能性もある。……交渉屋として、腕が鳴りますね」
カイは仲間の顔を順に見まわした。
自分一人では背負えない。
だけど――この仲間がいる。
「行こう。鉱山へ」
決意を乗せたその声に、全員が静かに頷いた。
生ぬるい山風がそっと吹き抜けた。




