第109話「拾われた日」
#108「拾われた日」
「ここでリーナのお母さん、サリナに出会ったんだ。出会ったというよりも拾われたんだけどねー」
笑いながらゆっくりと思い出すように、あたしはサラに話し始めた。
夜の風が髪を揺らして、どこか懐かしい匂いを運んでくる。
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――どうしても、独り立ちしたかった。
出来ると思ってた。
でも現実は、そんなに甘くなかった。
煌めくリオネールの街の片隅で、今日食べるものにも困ってた。
飢えが頭の中を支配していた。
スリは得意だった。誰もあたしの速さについてこれない。
罪悪感なんて、とっくに擦り切れてた。
その日も、同じだった。
また獲物だ。
今度は、あの女の財布をくすねてやろう。
でも、その女は、財布に手がかかる前に私の腕を掴んだ。初めての経験だった。
でもその人は、あたしの手を掴むより早く、あたしの心を掴んだ。
「ただ腹が減ってるだけだろ? なんか買ってやるよ」
優しくて、強くて、あたたかい声だった。
力が抜けて、代わりに涙があふれた。
「何が食べたい? あの肉の串焼きなんてどうだ?」
炭の香り。焼ける音。
煙の向こうで、女の人の笑顔が光ってた。
――それ以来、肉の串焼きが何よりも大好物だ。
その人はサリナと名乗った。
元冒険者で、腕っぷしも強い。
だけど、笑うときは子どもみたいに楽しそうだった。
「もう二度と盗みなんてするんじゃないよ。
よかったら、うちの商隊に来な」
その声には、逆らえなかった。
逆らう気もなかった。
気づけば「うん」と頷いてた。
商隊の馬車に連れて行かれると、
そこで、あたしはもうひとりの人に出会った。
「母さん! 誰、この子!?」
声のする方を向いたら、
陽の光みたいな笑顔の女の子が駆け寄ってきて、
そのまま、いきなり抱きしめられた。
「可愛い!!母さん、新しい仲間になる子なの!?」
お風呂にも入ってなかったし、服も汚れてた。
それなのに、その子――リーナは、
何のためらいもなく抱きしめてくれた。
「コハルだ。今日からこの商隊のメンバーだ。仲良くしてやってくれよ、リーナ」
「もちろん! コハル、よろしくね。あたしはリーナ!」
胸の奥で、ぽん、と音がした。
きっとあの瞬間、あたしの中で“群れ”ができたんだと思う。
この日から、あたしには母と姉ができた。
笑って、怒って、食べて、寝て。
旅に出るときは特に楽しかった。
魔物が近付いたら、誰よりも早く知らせた。
あたしは誰よりも速く、誰よりも遠くの気配を感じられる。
それを誇りに思ってた。
――でも、ある日。
いつしか旅に出られなくなって、リーナのお父さんが病気になった。
すごく弱っていくのが匂いで分かった。
サリナもすぐに同じ病気になったのも分かった。
そのまま、お父さんは息をしなくなった。
リーナがすごく泣いていたけど、あたしは必死で我慢した。
サリナはいつもお花を育てていた。
年に一度しか咲かないって言って、体が弱っても大切に育てていた。
その花が夜に咲いた日、すごくいい匂いがしていた。
その花が咲いた夜に、サリナは息をしなくなった。
リーナがすごく泣いて、あたしも泣いた。
すごくいい匂いがしているのに、悲しい匂いだった。
その時、あたしは誓った。
リーナを二度と泣かせない。
あたしが守るんだって。
それから少し寂しい気持ちになると、
あの時の匂いがするようになった。
寂しいし、悲しいけれど、不思議と落ち着く。
あの花の匂いは、あの人の笑顔の匂いでもあるから。
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「今日もなんか、あの時の匂いがするなー」
少し寂しそうに呟くと、サラがそっと抱き寄せてくれた。
「コハルちゃんは、あったかいな」
あたしは目を閉じて、笑顔を浮かべる。
「サラはいい匂い」
サラの匂いはどこかサリナを思い出させる。
強くて、包み込んでくれるような匂いだ。
ミラもいい匂い。
ミラといると、すごく落ち着く。
優しい気持ちになれる匂い。
リーナとソウマは特別だけど、
サラも、ミラも、みんないい匂い。
あたしの新しい家族の匂い。
夜の風が吹き抜けて、
遠くの月下美人の香りが、もう一度ふわりと流れてきた。
あたしはそっと目を閉じる。
――母さん、今のあたし、ちゃんとやれてるよ。




