第106話「出発」
少しお休みしてましたが、本日からまた投稿していきます!よろしくお願いします!
薄曇りの帝都の朝。
石畳に残った雨のしずくが、車輪の音とともに微かに跳ねた。
アルノルト邸の中庭には、馬車五台が列をなし、吐息を白くして待機している。
冷蔵庫計画の命を握る、最初の遠征――その空気は、誰の心にも熱く重かった。
長卓の上に置かれた黒い箱を、タリアがぱちんと開けた。
銀のイヤリングが光を弾く。
「これが新型通信具だ。なんと――イヤリング型だ! 他のやつに聞かれにくいし、何よりイカしてるだろ!」
コハルがぱっと手を伸ばし
「かわいい!」と笑う。
サラも隣で鏡代わりに水面を覗き、
「なかなか似合ってるんじゃない?エルンストさまにも見せたいな」
ザイルは渋い顔で
「イヤリングなんて初めてするな…」とぼやいた。
ルッツは静かに装着し、
「両手が空くのは助かりますな」とだけ言って、笑い皺をひとつ増やした。
タリアは腕を組み、
「ほらほら、チーム感出てきたじゃないか!」と満足げだ。
朝の光が雲を割り、全員の耳で同じ銀光がきらめく。
リーナが一歩前に出た。
その声は、いつもより少し低い。
「――今回の任務は、冷蔵庫計画の根幹。
このルートが確保できなければ、この巨大プロジェクトは始まらない。
だからこそ、一部の貴族連中の妨害は必ず来る。きっと何度もな」
風が止まり、みな黙って聞いた。
リーナの視線が、カイへ。
「カイ。お前が現場のリーダーだ。だが、間違える事を恐れな。人を信じて、任せるところは任せるんだ。だが、責任はお前だ。いいな?」
カイは息を呑んだ。
喉が、乾いていた。
この道の先で、誰かが傷つくかもしれない。だが、それでも進むしかない。
「……やってみせます」
リーナは頷き、ルッツに視線を移す。
「交渉は任せたよ。あと、カイの教育も。戦闘はできるが商売はまだまだ未熟だからな」
「了解です。若い芽の育つところが間近で見られるのですから、喜んで引き受けましょう」
そのやり取りのあと、タリアが小さな布袋をカイの掌に置いた。
「いろいろ調整していたヤツだ。使い方はもう分かってんな。道中でも練習しとけよ」
「分かった!ありがとな!絶対使いこなしてみせるから!」
「物騒な世界だからね。気をつけな」
タリアの瞳には、ほんの一瞬、優しさが宿っていた。
「コハルのも調整しといた。前のは魔物退治だったから殲滅用だったが、対人戦となるとちょっと殺傷力が高すぎたからな。今は殲滅といよりも制圧に適した性能にしといた。試しといてくれよ」
タリアはコハルにも手渡す。
「ありがとう!楽しみ!リーナ、ソウマ、行ってくるね!」
リーナやソウマと別れるのを寂しそうにしていたコハルにも笑顔が戻った。ミラもその様子を見て安心して笑顔をみせる。そして何かを振り切るようにミラがソウマのところにやってきた。
「ソウマさん、行ってきますね。ソウマさんとは出会ってからずっと一緒だったから…ちょっと変な感じです」
「そうだな。ミラのおかげでずいぶん楽をさせてもらってた。カイのこと、頼んだぞ。お前がそばにいるなら安心だ」
ソウマとミラの間には二人にしか分からない様々な想いが巡っていたが、それ以上語ることはなかった。
門が開く。
革の匂い、蹄の音。風が冷たい。
馬車列がゆっくりと動き出す。
カイは胸の奥に熱い何かを感じながら、手綱を握った。
その隣でミラが微笑む。
「行こう、カイ。みんなで」
サラは馬車の上で手を振り、コハルはもう立ち上がって景色を見渡している。
ザイルがぼやく。「……長旅の始まりだな」
ルッツは小さく笑顔を浮かべ、
「どんな時でも、若い方たちとの旅は心踊りますな」と呟いた。
リーナは門の下に立ち、行列の背を見送る。
「――行ってらっしゃい。必ず、帰ってきなさい」
その声を、風がさらい、遠くへ運んだ。
銀の光が朝の空に一筋、残った。




