第10話「夜の襲撃」
街道を東へ進んだ一行は、やがて「魔の山」と呼ばれる深い林に差しかかった。
ここから先は強風が吹き荒れる尾根や、禍石の混じる岩場が続く難所。夜に踏み込めば確実に死人が出る。
そこで商隊は、林の手前に開けた小さな広場を野営地とした。
空が群青に沈み、月が昇りかけたときだった。
森の奥から羽音が響いた。はじめはかすかなざわめきのように。だがすぐに空を覆う黒い雲となり、隊商の頭上を通り過ぎていく。
魔の山を象徴するコウモリの群れだ。数え切れぬ影が川のように夜空を流れていく。
「うわ……最悪」
リーナが思わず顔をしかめた。いつもの合理一点張りの声ではない。
「コウモリなんて見ただけで運気が下がる。囲まれたら絶対にろくなことがない」
「全く同感だ」ザイルも顔をしかめ身震いする。
「土埃は我慢できるけど、あの羽音だけは背筋が寒くなる」
ソウマは思わず口を開いた。
「……珍しいな。理屈より感情で動くなんて」
「バカ言うんじゃないよ」リーナがにらむ。
「商売にも人生にも、縁起ってのは大事なんだ」
「……合理的な説明じゃないな」
「ふん、コウモリ嫌いは理屈じゃねえんだよ、先生」
ザイルが投げやりに言った。
焚き火の周りで笑いが起こり、少しだけ場が和む。
だが頭上を覆う黒い影は、不吉の前触れのようにいつまでも羽音を響かせていた。
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夜が更け、薪が少なくなってきた。
「私、焚き木拾ってくるね」ミラが立ち上がる。
「ついて行こう」ソウマはすぐに答えた。
「え、いいの?」
「一人で行くより安全だ」
ミラは嬉しそうに笑い、二人で森の外れへと歩いていった。
「二人で歩くの、なんか久しぶりだね」
枯れ枝を抱えながら、ミラがぽつりと言った。
「そうか?」
「そうだよ。先生、いつもはリーナさんとばっかり話してるから。……別に拗ねてるわけじゃないけど」
「拗ねてるように聞こえる」
「う……ちょっとだけ」
頬を赤らめる彼女に、ソウマは小さく笑った。
強風が枝葉を揺らし、耳鳴りのような音が絶えず響く。
尾根に近いせいだろう、風は周期的に強弱を繰り返していた。
ふいにミラが足を止める。
「……ねえ、先生。ここ、変だよ」
「どこが?」
「風で揺れてる草の中に……揺れてないところがある」
ソウマは目を凝らした。確かに草の波に妙な歪みがある。風は一定のリズムで吹き抜けるのに、その部分だけ遅れて揺れる。輪郭が滲み、背景と混じり合っている。
(迷彩……カメレオン型の魔物か、しかも数匹いる?)
「後退しよう。ゆっくり…」
二人が下がった瞬間、影が跳ねた。
「ッ!」
ソウマはミラを押し倒すように伏せさせた。
鋭い爪が空を裂き、砂と葉が舞う。爬虫類の鱗が闇に光った。
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「先生ぇぇぇ!」
近くにいたのか、カイが駆けつけた。身体強化の魔法を纏い、剣を振りかぶる。
「喰らえぇ!」
だが振り下ろした剣は軽くいなされ、逆に体勢を崩す。
「なっ……」
鱗にかすめただけで刃が弾かれ、カイは尻餅をついた。
それでも彼はすぐ立ち上がり、渾身の蹴りで魔物を吹っ飛ばす。重量差で押し飛ばしたにすぎないが、ほんの一瞬の間を作った。
しかし、それもつかの間、別の個体がカイに襲いかかる。両手で必死に受け止めるカイ。剣は落としてしまっている。
「先生! 俺じゃ押さえきれねぇ!」
「ミラは横から別のヤツが来ないよう牽制! カイは時間を稼げ!」
「了解!」
三人は必死に立ち回った。だが攻めきれない。魔物は素早く、硬い。三人の動きはぎこちなく、じりじりと押し込まれる。
「くそっ、やべぇぞ……!」
カイが顔を歪める。魔物が低く身を沈め、三人をまとめて狙う姿勢を取った。
その瞬間、カイは大きく息を吸い込んだ。
「――おおおおおおおい!! 誰か来てくれッ!!!魔物だーー!!!」
身体強化で増幅された声は峡谷全体に響き渡り、風の音すら掻き消した。
数秒後、焚き火の方から怒号と足音が迫ってくる。
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「そこまでだッ!」
地面が震えた。ザイルが駆け込み、両手を叩きつける。
魔物の足元を土と岩が絡め取った。爪で引き裂こうともがくが、岩混じりの塊はがっちりと食い込み、逃れられない。
「今だ、斬れッ!」
ザイルの怒号と同時に、コハルが一気に飛び込む。
剣が月光を受けて閃き、硬い鱗をものともせず首を両断した。
絶叫すら許されず、一匹目の魔物は崩れ落ちた。
護衛の中でも巨躯を誇るダンカンは、隙だらけの構えで悠々と歩いてくる。その手には巨大なウォーハンマー。
油断しているとみられたのか、もう一匹の魔物が後ろから迫るが、あと少しで爪が届くという時...
片手とは思えない速さでウォーハンマーが轟音を響かせ、気づけば襲いかかった魔物は、頭部のない肉塊と化していた。
「あと一匹!!ロックバレット!!」
ザイルが再度、魔法を放つと、無数の岩礫が硬い鱗の魔物を穴だらけにした。
ザイルは額の汗を拭い、にやりと笑った。
「ふぅ……見たかよ、先生。これが俺の本当の実力だ!」
「土木以外もできるんだな」ソウマが小さく返す。
「うるせぇ!」
周囲に笑いが広がり、張りつめた空気が少し緩んだ。
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戦いの後、ソウマは地面を探る。だが落とした手帳は見つからない。
「先生……ごめんなさい。大切なノートだったのに。私が薪なんて言い出したから」
ミラが項垂れる。膝を擦りむき、血がにじんでいた。
ソウマは無言で彼女の頭に手を置き、ぽん、と軽く叩いた。
「別にいい。大した怪我がなくてよかった」
ミラは瞬きをし、潤んだ瞳で見上げた。
ソウマの胸の奥に、不意に温かいものが広がる。
孤独に耐えてきたこれまでの人生では感じたことのないもの――仲間を守り、仲間に守られるという感覚。
その小さな温もりが、焚き火の残り火よりも確かに心を照らしていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
- -次回予告 明日14:00公開
第11話「魔の山の洗礼」
最大の難所“魔の山”で次々と襲いかかる脅威。
極限の夜、ソウマたちは何を見るのか――
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