第99話「再会の午後」
翌日の昼下がり。帝都の貴族街は、穏やかな陽光に包まれていた。
白い石畳の道には手入れの行き届いた並木が続き、行き交う馬車や通行人の装いも華やかだ。街全体が、地方では見られない“余裕”と“洗練”に満ちている。
だが――ミラの表情は晴れなかった。
リーナとソウマの結婚話が浮上した翌日。心のどこかで覚悟はしていたはずなのに、胸の奥がざらついている。
アルノルトの、*もう、そういう関係なのだろう?”
という言葉が頭の中でリピートされる。どうにもできないもやもやが、ずっとまとわりついていた。
「ちょっと!ミラ、そんな顔して歩いてたら余計暗くなるわよ!」
軽快な声でそう言ったのは、隣を歩くサラだった。
無理にでも外の空気を吸わせようと、彼女はミラをお茶に誘い、貴族街の目抜き通りを散歩していた。
「男なんてね、世の中いーっぱい居るんだから! 一人にこだわってどうするのよ!」
サラはカフェのテラス席から聞こえる音楽に合わせてスキップするような足取りで言う。
だがミラはうつむいたまま、力なく笑っただけだった。
「……ありがとう、サラさん。でも……そんなに簡単に割り切れたら、きっと苦労してません……」
その小さな声に、サラの笑みが少しだけ和らぐ。
「……そりゃそうよね」
彼女はミラの肩に手を置いた。
「無理しなくていいわ。でもね、あんたのこと、ちゃんと見てる人はきっと他にもいるんだから」
ミラは返事をしなかった。ただ、並木道の影の中を、俯きがちに歩き続けた。
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「――ほら、見てよ!」
突然、サラが声を上げてミラの前方を指さす。
「え?」
と顔を上げたミラの視界に、二人の男性が映った。
一人は品のある金髪に淡い青の上衣、姿勢は凛と伸び、歩くたびに外套が柔らかく揺れる。
もう一人はその傍らに立つ落ち着いた風貌の青年。護衛というより、忠実な従者の雰囲気をまとっていた。
「さっすが帝都の貴族街……。あの人、本当に王子様みたいじゃない」
サラがうっとりと呟く。
だが、次の瞬間――
「――エルンスト様! クラウスさん!」
ミラが突然駆け出した。
「え!ちょ、ちょっとミラ!? どうしたの!?」
サラが慌てて追いかける。
声に反応して振り返った二人。優雅な金髪の青年は、ミラの姿を見ると一瞬驚き、それから穏やかな笑顔を浮かべた。
「……ミラさん! こんなところで会えるとは!」
「エルンスト様……!」
駆け寄ったミラを前に、エルンストは両手を軽く広げて歓迎する。クラウスも目を細めて深くお辞儀をした。
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「えっ……ちょっと、ミラ。知り合いなの……? 貴族と……?」
息を切らせたサラが隣で目を丸くする。
「はい。エルンスト様は、ソウマさんと村で一緒に研究をしていた方です。クラウスさんはその付き人で……」
「……えええ!? そ、そんな貴族と!?」
サラは興奮気味に、まじまじとエルンストを見上げた。
その整った顔立ちと立ち居振る舞いは、まさしく“帝都貴族の王子様”という言葉がぴったりだった。
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「せっかくの再会だ。少し話をしませんか?」
エルンストは周囲を一瞥し、穏やかな笑みを浮かべた。
「この先に、私の行きつけの店がある。――帝都でも、最高級の店だよ」
そう言って彼が案内したのは、白い大理石の門構えに、衛兵と給仕が立つ格式高いカフェだった。
店先には季節の花が飾られ、奥には噴水が流れる中庭が見える。メニューに目を落としたサラが「ひぇっ」と小さく悲鳴を漏らしたのは言うまでもない。
「こ、こんなの……一杯で、宿代が吹っ飛ぶじゃない……」
「遠慮は無用だ。今日は再会を祝う日だ」
エルンストは自然な所作で席を取り、店員に注文を告げる。その手つきも言葉も、洗練されきっていた。
サラは完全に舞い上がり、姿勢を正して貴族の淑女のような顔をしている。ミラは少し居心地悪そうに笑った。
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香り高い紅茶と繊細な菓子が並ぶ中、エルンストは、ソウマたちがオスト村を脱出してからの自分の経緯を語った。
「……あの後、クラウスの必死の嘆願があってね。軟禁は解かれた。ただ条件があった。“二度と独自の研究には関わらないこと”、そして“公爵が必要と認めた研究のみを行う”ということだ。……それで、今は帝都の研究所に戻っている」
「そんな……」
ミラは胸を痛めるように呟いた。
「いいんだよ」
エルンストは柔らかく微笑む。
「僕は家の立場もあるし、監視もされている。でも……生きていれば、再び手を組むチャンスもある。そう信じているよ」
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ミラも、自分たちの近況を語った。
冷蔵庫プロジェクトの話、帝都に来た理由、そして――ソウマとリーナの結婚話。
エルンストは驚くことなく、ただ穏やかな笑みでミラを見つめた。
「……そうか。あの二人らしい、現実的で、そして“強い”決断だね」
「ミラさん。あなたはとても美しい女性だ。外見だけでなく心も美しい。必ず良い出会いがあなたにも訪れます。私が保証しましょう」
その目は、どこまでも優しかった。
ミラは胸の奥がちくりと痛んだが、不思議と涙は出なかった。心の奥で少しずつ、整理が進んでいるのを感じる。
「ありがとうございます…」
いつもなら、そんな私なんて、と謙遜してしまうミラをみてきたエルンストはさら笑顔を向ける。
「大丈夫そうですね、良かった」
「はい!ちゃんとお祝いをします!」
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「そうだ」エルンストが話題を変える。
「ソウマに、結婚祝いを渡したい。……明日、同じ時間にここへ来てくれませんか?」
「えっ……直接渡されては?」
「監視の目があるかもしれない。僕が彼と直接会うのは、少し危険なんだ」
「……わかりました。必ず来ます」
ミラが力強く頷くと、エルンストは安心したように微笑んだ。
「サラさんも、もしよければご一緒に。こんな美しい女性をお誘いしないのは無粋ですからね」
「えっ、えぇぇ!? わ、私!?」
サラが舞い上がって顔を真っ赤にする。
横でクラウスが呆れ顔を見せると、エルンストが軽く肩を叩いた。
「クラウス。女性を前にした時の立ち振る舞いは大事だよ。君も少し勉強しなさい」
その軽妙なやり取りに、サラはうっとりとため息を漏らす。
エルンストはそのままサラに話しかけ、二人の時間が始まった。
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そんな中、ミラはクラウスにそっと近づいて小声で話しかけた。
「……エルンスト様って、こういう方でしたっけ?」
「はい。エルンスト様は昔から、女性に声をかける“習性”をお持ちでして……」
クラウスが困ったように笑う。
「ミラさんを誘わなかったのは、ソウマ殿のこともあり遠慮されていたんだと思います。こんな時にすみません」
ミラは思わず吹き出して笑った。
「いえ……懐かしいですね。こうやってクラウスさんと話すのも、久しぶりです」
午後の柔らかな光と香り高い紅茶の中で――
ミラの心に、少しだけ、あたたかい風が吹いた。




