第97話「蠢く策謀」
帝都の朝は重苦しい曇天に覆われていた。灰色の空は議会の空気そのもののようだった。
中央議事堂の門前には衛兵がずらりと並び、通常の倍以上の警備が配備されている。混乱は街だけでなく、政治の場にも深く食い込んでいた。
議場に集うのは、皇帝派、公爵派、そしてアルノルトを中心とする中立派――三勢力。
昨日に続く再開議会は、治安対策を議題として始まったはずだった。だが、早々に空気は濁り始める。
議場がざわめきの中で開会されると、まず口火を切ったのは皇帝派の老侯爵だった。
「……まるで戦時下ですな。議事堂の前まで武装兵が溢れている。まさか、帝都を軍靴で踏み鳴らすおつもりではあるまいな?」
その穏やかな声音の裏に、刺すような棘が潜んでいる。公爵派の壮年貴族がすぐに応じた。
「民の暴動を抑えるための兵が“軍靴”とは……。平和なご領地にお住まいのようで羨ましい。民が屋敷を焼こうと押し寄せてきても、あなた様は“陛下の威光”で追い返せると?」
議場にくすくすと笑いが走る。
侯爵は涼しい顔のまま、扇を開いて答える。
「ええ、威光は十分にございますよ。少なくとも、無用な血を流さぬ程度にはね。……剣を振り回さねば統治できぬ領もあるようですがな」
公爵派の別の若手が口を挟んだ。
「おや、我らの領は“剣”ではなく“秩序”で統治しておりましてね。民が飢え、怒りを募らせるまで“放置”するような真似はしていない」
「ふむ……では今のこの帝都の混乱は、“秩序”の結果というわけですかな?」
侯爵の笑みがさらに細くなる。
若手の貴族も引かず、皮肉たっぷりに応じた。
「少なくとも、“玉座の威光”とやらが民の腹を満たしたという話は聞きませんな」
議場の空気がピリ、と張り詰める。
言葉の応酬は鋭いが、どちらも直接的な批難には踏み込まない。
――剣ではなく舌で戦う、帝都貴族の“戦場”がそこにあった。
皮肉と嫌味、言葉の刃が交錯する。まるで治安などどうでもいいと言わんばかりの応酬だった。
---
この空気を断ち切るように、アルノルトがゆっくりと立ち上がった。
「……飢えです」
重い声が議場に響く。
「混乱の根はそこにある。飢え、そして“飢えるのではないか”という恐れだ。人は、飢えに勝てはしない」
静まり返る議場。
アルノルトは続けた。
「今、帝都で最も話題になっているのはフォルス商会の“黒いミスリル”だ。この商会が小規模な実験機だが、新しい冷蔵の技術を持っている。私自身の目で見た。……確かに有効な技術だ」
その言葉に、議場がざわめく。
続いてハルトヴィッヒ伯爵が立ち上がった。
「私も拝見しました。間違いない技術でしょう。帝都に巨大冷蔵庫を建設すれば、民の不安を取り除く象徴となるはずです」
ハルトヴィッヒの公平な発言に場がさらに傾くのを確認したアルノルトは頷き、提案を明確に口にした。
「この技術を用い、皇帝の名のもとに帝都に巨大冷蔵庫を建設する。明確な対策があれば不満は落ち着く。莫大な費用がかかるが……それに見合うだけの価値がある」
---
皇帝派の席から、すぐに財政を理由にした渋い声が上がる。
「予算の問題がある。いくら技術が確かでも、帝都の財は無尽蔵ではない」
一方、公爵派の席からは、別の視点での牽制が飛んだ。
「……その“冷蔵庫”とやら、ミスリルはどうする? 魔力効率を高めるには相当な量が必要で何度も其の計画は頓挫していると聞くが」
そのとき、ウォーレン子爵が席を立った。
「ミスリルの供給なら、我が領で賄える見込みがあります。流通は従来通り、公爵殿にお任せすれば混乱もないはず。いかがですかな、ヴァルシュタイン公?」
議場の視線が一斉に公爵席へと集まった。
――予想に反して、ヴァルシュタイン公爵はあっさりと頷いた。
「良い案です。確かにかなりの金が動きますが、見返りは”数年単位で”十分に得られるでしょう。……ミスリルが足りなければ、こちらから融通しても構いませんよ」
その一言に、公爵派の若い貴族たちがわずかにざわめく。だが、公爵の言葉には誰も異を唱えられない。
皇帝派も意外な反応に口を閉ざし、議場は一瞬、ヴァルシュタインの主導で空気が変わった。
---
アルノルトはこの流れを逃さず、もう一手を打った。
「この事業を進めるにあたっては、フォルス商会のリーナ殿に準男爵位を与えるべきだと考えます。……商会単独の事業ではなく、国家事業として体裁を整える必要があります」
皇帝派・公爵派双方から、牽制めいた声があがる。
「商人に爵位を与えるなど……前例がありませんな」
「アルノルト伯、随分と推しますな」
しかし――ヴァルシュタインがまたも声を上げた。
「余計な干渉が入らぬためにも良い策でしょう。いいではないですか」
公爵の一言に、議場が一気に沈黙した。誰も逆らえない。
アルノルト、ウォーレン、ハルトヴィッヒは互いに目を合わせるが意図を測りかねる。
---
ヴァルシュタインはゆったりと席を立ち、提案を続ける。
「しかし、これだけの事業です。我々も実物を確かめたいし、技術者とも直接話をしたい。……この場で説明する機会を設けるというのはいかがでしょう?」
アルノルトはその意図にすぐ気づいた。――技術者、つまりソウマを公の場に引きずり出すつもりだ。だが、流れは止められない。
「……準備にも時間が必要です。一週間、いただきましょう」
(この一週間で決めなければならない。勝つか、潰されるか――その分岐だ)
「よろしい。では一週間後に」
ヴァルシュタインの獲物を値踏みするような笑みは、どこまでも老獪だった。
---
議会が終わると、石造りの廊下で公爵派の若い貴族たちがヴァルシュタインを取り囲んだ。
「まさか爵位の話まで賛成なさるとは……」
「どのような意図がお有りか教授いただけないでしょうか?」
「技術者は異郷人だ」
その一言で場の空気が変わる。
「代わりはきかん。昔、我が領の研究所にいた女技術者もいるようだが癇癪を起こして自ら去るような人間だ。貴族の駆け引きにはついてこられまい。どうとでもなる」
若い貴族がニヤリとほくそ笑む。
「皇帝派の連中が異郷人に莫大な予算をつけるはずもない。極端な異郷人嫌いも多い。いずれアルノルトごと潰しにかかるという訳ですね」
ヴァルシュタインは何も言わず、ただ薄く笑う。
――駒はすでに盤上に並んだ。あとは、どう動かすかだけだ。
---
その頃、アルノルト邸では緊急の作戦会議が開かれていた。
アルノルト、ウォーレン、ハルトヴィッヒ――三人は沈黙の中で顔を突き合わせる。
「……完全に主導権を持っていかれましたな」ウォーレンが唸る。
「……見事な引き際でしたな」
ハルトヴィッヒが、時間を稼いだアルノルトに静かに賛辞を送る。
アルノルトは深く椅子にもたれ、夜空を仰いだ。
「だが……何か案がなければ時間が無情に過ぎるだけだ」
妙案は出ない。だが、戦いはすでに始まっていた。
ヴァルシュタインの狡猾な策謀の影が、静かに帝都を覆い始めていた――。




