第9話「初めての成功」
昼過ぎの道は、やけにのどかだった。
風が砂埃を舞い上げ、遠くの山並みがかすんで見える。
商隊は小川のほとりで荷を下ろし、しばしの休憩に入っていた。
談笑したり、干し肉を齧ったりと、それぞれの時間を過ごしている。
カイは離れた場所で、木の棒を振り回しながら九九をしていた。
ソウマはこれまで書き留めてきた手帳を出し、全体をパラパラと俯瞰してみる。
ほぼまっさらだった手帳には、ここ数週間でのスケッチや仮説、思いつきなどが殴り書きされている。
ここまででいくつか分かってきた事もある。
おそらく魔法陣は現象を起こすための”多次元空間接続ゲート”だ。
魔力をエネルギー源とし、目的の現象を起こすために必要な空間へ接続している。
人によって模様が違うのは、イメージによる個人差、不要な装飾や安全装置などもあるのだろう。
しかし、 本質はもっと単純――
どこから魔力エネルギーを入力するか?
どのような属性や出力を指定するか?
そのためにどこにつなげるのか?
本当に重要な要素はその程度のはずだ。
この商隊でアイテムボックスの一番の使い手はリーナだ。
通常アイテムボックスは多量の魔力を必要で実用レベルでの使い手は少ないらしい。
彼女の魔法陣は合理的で、余計な線が少ない。性格そのものが構造に表れているようで、俺の思考とも相性がいい。リーナは膨大な魔力を持っているらしいが、魔力以上のアイテムボックス容量を持つことにも関係しているはずだ。
対して、同じく魔力量が多いザイルの魔法陣は毎回めちゃくちゃだ。統一感などまるでなく、ただ「でかい魔法陣=カッコいい」としか考えていないに違いない。
「ねぇ先生」
唐突に声をかけられて顔を上げると、リーナが腰に手を当てて立っていた。
「暇なら、魔法の一つでも試してみたらどうだい。あんた、ここんとこ他人がやってるのばっか眺めてるじゃないか。実際やってみなきゃ分かんないことかも多いだろ」
――やはり見られていたか。
観察は癖だ。魔法を使う瞬間の構え、詠唱、魔法陣の構造……できる限り頭に叩き込んできた。
「やるなら……アイテムボックスだな」
「はぁ? よりによってそれかよ。先生、魔力ほとんどねぇのに?」
カイが苦笑混じりに口を挟む。
事実、その通りだ。異郷人である俺の魔力の絶対量はアイテムボックスの発動以前の問題らしい。
だが複雑な魔法陣の中には発動すること自体には直接影響を与えない要素もたくさんある。
発動だけ、しかも実用性を完全に省いたものであれば、実際に必要な部分はほんの一握りに省略できると分析していた。
(必要なのは……これと、これだけだ)
ソウマは地面に棒で簡略化した魔法陣を描いた。
複雑な幾何学模様のほとんどを削ぎ落とし、座標指定と接続手順だけを残す。
それは異世界の者たちから見れば、小さく儚い構造だろう。だが、自分の魔力量ではこれが限界だ。
リーナが眉をひそめ、興味半分、懐疑半分といった視線を向けてくる。
深く息を吸い、魔力を一点に集める。
イメージは――質量ゼロに近いもの。形もなく、複雑な構造もない。
空気。
それなら、自分の出力でもゲートを通せるかもしれない。
「……行け」
掌の上に簡素な魔法陣が浮かび上がった。
それは他の誰よりも淡く、小さく、頼りない光だったが――次の瞬間、ソウマの魔力が確かに揺らめき、周囲の空気が一瞬だけ消えた感覚があった。
直後、魔法陣は崩れ、ボックスから同じ空気が戻ってくる。
――入った。
「お、おい……今、何したんだ?」
カイが目を瞬かせる。
「空気を……入れて、出しただけだ」
「……は? 空気? なんだそりゃ。意味わかんねぇ」
商隊の数人が吹き出す。たしかに、傍目には何の役にも立たない戯れにしか見えないだろう。
「なんだ、そのちっせー魔法陣はよ。カッコ悪いぜ」
ザイルが鼻で笑う。
ソウマは肩をすくめた。
「まぁ、そういう反応になるよな」
だが、リーナは違った。
彼女は笑いながらも、じっとソウマを見据えていた。その目の奥に、驚きの色がほんの一瞬だけ走ったのを、ソウマは見逃さなかった。
(……異郷人がアイテムボックス? こいつの魔力は生活魔法しか使えない人間よりも小さいんだぞ...あり得るのか?そんな話。おいおい、冗談だろ…)
リーナはすぐに口元を歪め、「ま、面白いじゃない」と軽く言ってみせる。
「そりゃあすぐには役には立たないかもしれないけどさ。案外そういう小さい発見が商売の種になったりするもんだよ」
軽口の裏に隠された評価。それを読み取れるほど、ソウマはまだリーナを理解してはいない。だが直感的に、この人はただ笑っているだけではないと感じていた。
役には立たない。だが、確かに魔法は発動した。
異郷人でも、理論さえ組み立てれば魔法を扱える――その証明だ。
(科学は......頼りなくて、ほとんど誰も分からない小さな一歩からしか始まらない。だが、その一歩が世界を変える)
ソウマは何も言わず、淡々と次の条件を頭に並べていった。
出力の増強、精度の向上、そして応用の方向性。
誰にも邪魔されない、ただ考えるためだけに存在する時間。
それはソウマにとっての何にも代えがたい至福の時間だった。
焚き火の煙が流れる空の下で、答えを探す指先がまた動き出す。
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