電子涅槃経のアンジェラ
「私は別に公安じゃないけど」
ケイトが呟いた。僕は構わずに、公彦に――いや、堂内に響くように大声を上げた。
「アンジェラ様! 会いに来ました、神楽坂明です。前にお会いしましたよね? 直接、お話しがしたいんですが」
僕の言葉を聞いて、ケイトが声をあげた。
「明、貴方、アンジェラに会った事があるの?」
「ケイトさんもありますよ」
「えぇ?」
ケイトが驚きを見せたところで、教徒たちの向う側から声が響いてきた。
「――神楽坂明、よく来ました。お入りなさい」
その声と同時に、教徒たちが脇に避ける。すると奥の部屋の大きな扉が、ゆっくりと開いた。
「神楽坂明の方がいいかな」
僕はそう言ってから、アバターを倉坂アキラからミラリアに変えた。ケイトもそれに倣い、滝川和樹は公安の和宮になる。僕らは奥の部屋へと進んだ。
奥はさらに豪華な部屋だった。絢爛に飾られた輿のような台座に、アンジェラが座っている。ただ、そのドレスは漆黒の色だった。
僕らが前に進むと、奥の扉が閉まった。
「ようこそ、電子涅槃教へ」
アンジェラはゆっくりと輿から降りながら、その美しい姿を僕らの前へと現した。僕はアンジェラに言った。
「そのアンジェラのアバターはバージョン違いというところですか。それで電子涅槃教のようなもので人を集めて、どうするつもりなんですか――ジェイコブ・レインさん」
「え? えぇっ!」
横でケイトが声を上げている。アンジェラは嫣然とした微笑を浮かべた。と、その姿がジェイコブ・レイン氏へと変化する。
「……まったく、鋭いな君は。何処で気が付いたのかな?」
ジェイコブ氏の問いに、僕は答えた。
「僕たちとの会話の中で、『自律した生命体であるバグ・ビースト』って貴方は言ったんですよ。けど、あの段階ではディグが情報生命体であることは、アンジェラからそう言われた僕と、その話をしたケイト、国枝さんの三人しか知らない話しでした。ディグは世間的にはただのバグと見做されてた時です。貴方がそう言えるという事は、貴方がディグたちの言う『創造者』である以外にありえない」
「えぇっ! そうなの?」
ケイトがまた横で声を上げる。ジェイコブはその様子を見てか、口元に笑みを浮かべた。
「つまり、貴方が一連のバグ・ビースト騒動の首謀者だ。そして僕を拉致した首謀者の筈。一体、何が狙いなのか――話していただきましょう」
ジェイコブはため息をついた。
「どこから話したものかな……。まあ、順を追って話そう。アンディと広河、そしてぼくはレナルテとフロート・ピット、そしてノワルド・アドべンチャーの開発に成功した。僕らは一躍有名になり、大物になった。その裏で、アンディは広河に恋心を抱いていた。しかしそれが報われることはなく、彼は自殺した。ここまでは前に話したね」
「ええ。それから…何があったんです?」
「実は、ぼくはアンジェラに恋していたのだよ」
ジェイコブは、懐かしむようにそう言った。
「ぼくとアンディは以前から友人だった。とてもいい奴だと無論、思っていたよ。けど、ノワルドでアンジェラとして振る舞う彼…いや、彼女を見て、ぼくは彼女を好きになったんだ。そしてその気持ちはアンジェラに対してだけでなく、アンディに対しても持つようになった」
ケイトが怪訝そうな顔する。それを見て、ジェイコブはため息をついて僕の方を見た。
「君は、日本のメタバース文化の中で、『お砂糖』と呼ばれる関係があるのを知ってるかい?」
「美少女アバター同士に多いのですが、特定の相手とカップルになる事ですね」
「そう。その実態は男性同士かもしれないが、メタバースの中ではアバターを通して人柄の魅力にダイレクトに惹かれて、お砂糖の関係になる。中にはね、リアルで『ナカノヒト』同士で知り合い、お互いに男性だと判っても、さらにリアルで恋人同士になる人もいるんだよ。アバターを通すことで、人は見かけ上の先入観から解き放たれ、人格に直接触れられるようになる。ぼくもそうだった。アンジェラを通すことで、ぼくはアンディにも恋愛感情を抱くことになった」
「……けど、アンディは天城広河が好きだったのよね」
「そう、ぼくの恋は報われず、アンディは自殺した。ぼくの悲しみは絶望的だった。しかしぼくは、アンディが何をしようとしたのか判ったんだ。アンディはコンピューターに人格を移植し、アンディを捨てて完全にアンジェラになろうとしたんだ。アンディの記憶の一部は、多分、コンピューターに焼き付いた。けど、それはただの記憶の塊で、『生命』とは言えない。生命とは止まった記憶の集積ではなく、新陳代謝を行い、成長変化を遂げるものだ。もし、記憶を移植する対象が、そういう素材であったら……。僕はそう考えるようになった。しかしそんな素材は、AIを複雑化しても作ることはできなかった。つまるところ生命は、46億年もの歳月をかけて、進化したのだ。それだけの手続きを踏んで生まれたものだ。そう考えていた時、君――いや、時壊の剣士グラードが現れた」