サリアの変化
「けど、真田さんは僕らに稽古をつけてくれたんだ。僕らも純粋に、若い頃にやった剣道を、さらに上達すべく稽古した。真田さんとの稽古は、とても楽しかったよ……。真田さんはそうやって、強い人が現れるのを待ってた」
それが……まさか。千堂が僕を見て微笑む。
「そう、アキラくん。貴方が入部してきて、真田さんはとても喜んでた。『最後に、本当に勝負できる相手と稽古できた』って、満足そうに言ってたわ」
真希さん――。
彼女とやった稽古や、昼ご飯を誘いに来た時の笑顔、一緒に食べたお弁当のことが一気に甦る。
僕の眼から、涙が溢れた。
「それでね、『もし私が卒業したら、本当の事を伝えてほしい』って言われてたの。そして、伝言も預かったわ」
千堂はそう言って、一枚のカードを僕の方に差し出した。折り畳み式になっているそのカードを開く。すると、真希の声が聞こえてきた。
「アキラくん、突然、こんな事になって驚かしたかもしれないね。ごめんね。けど私は、アキラくんに逢えて、一緒にお稽古できて、とても幸せでした。本当にありがとう。私が卒業して悲しいかもしれないけど、そんなに悲しむ必要はないから。だってもう、十分に生きたお婆ちゃんなんだもの。若いアキラくんは、まだまだいっぱい生きて、人生を楽しんでね――」
お婆ちゃんとか十分に生きたとか、関係ないよ真希さん。真希さんがいなくなって、僕は悲しいよ。
「……生きてるって、命って、凄いね。とても輝いて、キラキラしてる。アキラくんが、眩しかった。けどそのアキラくんと稽古した時は、きっと私も輝いてたはず。そんな想いを持って、多分、私は人生から卒業するの。最後にアキラくんのおかげで輝けたこと、嬉しかった。ありがとう、アキラくん」
最後に、真希さんの微笑みが見えた気がした。部長も副部長も、そして僕も涙が出て止まらなかった。
*
“――特定個体の消滅がお前に与えた内観的影響は、こんなにも大きなものになるのか”
頭の中で声がする。サリアの声だ。僕は言ってやった。
「それが悲しみという感情だ。お前たちにはないのか?」
不意に、僕の身体からサリアが抜け出した。
「個体の消滅は、種の進化上必要なプロセスだ。特に注目すべき現象ではない」
「僕たちは種である前に、個体――個人なんだよ。真田真希は僕にとって、他に変えようのない人だったんだ。みんなそうだよ。有紗も、レオもマリーネも…みんな僕にとって特別な人だ。それが人に対する想いだ」
僕はそう言いながら、ソファに座り込んだ。プラトニック学園から自分の部屋に帰ってきて、僕は気持ちを整理したかった。けど、サリアが一緒にいたことを、すっかり忘れていたのだ。
サリアはソファの僕の隣に座ってきた。サリアは青いドレスを身にまとっている。いつまでもエロメイドじゃ困るからだ。黒いロングヘアを揺らしながら、サリアは緑の瞳をこちらに向けた。
「有紗に対する想いか。それは情報端末の融合以上の欲求か?」
「セックスしたいという欲求以上に、僕は有紗のことを想ってる。大事にしたいし、楽しい時間を一緒に過ごしたい。それが――愛というものだよ」
「愛――それはよく調査資料に出てきた、最も謎のキーワードの一つだ。個体の消滅も、複製体を作るのも先天的にプログラムされた目的行動に過ぎない。それに対し悲しみや愛という内観的志向性を持つのは、その目的行動の補完作用に過ぎない筈だ」
「僕らの気持ちが遺伝子プログラムの補完だったとしても、そんな事以上に僕は有紗を愛してるんだよ」
サリアは僕の眼を見つめてきた。
「真田真希に対する気持ちは、有紗への気持ちと同等のものか?」
「ううん……ちょっと違うかな。けど、正直に言うと、ちょっとときめいたかもな。彼女がとても素敵だったから」
僕は悲しみの中で、苦笑した。寂しい。真希さんがいなくなったことが、本当に寂しい。これだけは真実だ。
「ワタシに対して、そういう気持ちはあるか?」
サリアが僕の眼を見つめる。え?
「いや……それはないだろ」
「ワタシは今、有紗と同じ表層データを有している。それでは不十分か?」
「顔が同じでも、サリアと有紗は別の存在だろ。同じにできないよ」
「ワタシとセックスしたではないか」
ぶ。なんて事を言い出すんだ、こいつ。
「あれは、有紗が許可したからしたまでで、お前に対してそういう気持ちを持ったからじゃない」
なんか、間の悪い言い訳みたいだ。が、サリアはそんな事に構わず、不意に俯いた。
「…ワタシが個体消滅しても、誰も悲しんだりしない」
寂しがっているのか? 表情には、あまり出ていない。けど、サリアの中で、感情というのが芽生え始めてるのかもしれない。