ノワルド・J
「機械でできない細かい作業なので、相変わらず人の手でやってるんです。わたしは上から下まで真っ白の衛生防護服を着て、帽子を被りマスクをし、ビニール手袋をはめて仕事をしてます。仕事してる時は、同僚も誰が誰だか判らない格好です。けど、わたしは元から地味で目立たない、引っ込み思案な性格なので、ちょうどよかったんです。うちにはお金がなかったので、高校を卒業してすぐに働きだしました。毎日、残業もあまりなく、定時にあがってます。そんな毎日でした」
正直に言うと、こんなに喋るマリーネを見たのは初めてだった。多分、レオも同じ気持ちだったのだろう。驚きと同時に、神妙な顔つきで彼女の話を聞いている。
「……それで仕事が終わってからの時間をもてあまして、ゲームをするようになりました。色々やってみて、違う自分になれる『ノワルド』をやるようになった時、とても楽しかったんです。少しずつゲーム内の人とも話すようになったりして…。それでランクCの時、キアラさんに声をかけてもらいました」
マリーネは僕の方を見た。もう、目が潤んでいる。
「…わたしはキアラさんに育ててもらったも同然です。衣装を変えたり、敢えて眼鏡をかけたり、技の時の効果も作ってもらって、キャラクターとして個性が出るようになりました。ストーリー作りの際には、わたしの素の性格を組んでもらった上でセリフをもらえて……。泣き虫のわたしの性格も、『そのまま出せばいいよ』って、言ってもらえたんです」
そこでマリーネの口が、横に広がり、眼に涙がたまり始めた。
「わたし…ずっと弱虫で泣き虫な自分の事が嫌いで……けど、それを『そのままでいい』って言ってもらえて、凄く嬉しかった…。それで、いつの間にかレベルが上がって、レンタルされるようになり、わたしみたいな地味な人間が、人から必要とされたりするんだって嬉しくなりました。仲良くしてくれるレオさんの事も大好きで、このライオン・パレットが本当に大好きで――わたしの心の支えになったんです……」
そこまで言うと、マリーネは感極まって、ボロボロ泣き出した。僕がレオの顔を見ると、レオもこちらを見ている。僕は少し苦笑すると、俯いて泣いているマリーネに声をかけた。
「まあ、人気が出たのは、元からマリーネに魅力があったからだと思うよ。僕だってマリーネが歌ってるログを見て、この子は魅力があるな、と思ったから声をかけたんだし――それで、もっと輝いてみたい、って思ってるんだね」
「ごめんなさい、わたし……。けど…ライオン・パレットのおかげで、輝ける自分がいるのを知ってしまって…普段の生活が嫌になってしまったんです。ライオン・パレットが好きだけど、お二人は本業を大事にしてるのを知ってます。それで…悩んでる時に誘いがあって――」
マリーネは眼鏡を外して顔を手の甲で顔を拭いながら、僕の方を見た。ミラリアの再現度は高く、眼は赤くなっていた。僕は苦笑しながら口を開いた。
「いいんだよ。最初に声をかけた時、『やめたくなったら、いつでもやめていい』って言ったでしょ。…だいぶ前だけど。どのくらいになる?」
僕は敢えて、レオに話を振った。
「2年前だな。まあ、オレもキアラに育ててもらったからな、マリーネの気持ち、よく判るよ」
「レオさん……」
「いいんじゃないか、挑戦したいんだろ? やればいいさ。オレはいつだって、マリーネを応援するよ」
「支援されてばかりだけどね」
僕は軽く茶化した。マリーネが泣きながら笑う。それを見て、僕は言った。
「正直に話してくれて、ありがとう。僕がミラリアでの打ち合わせを条件にしてたのは、こういう時のためなんだ」
「…こういう時?」
「うん。プレイヤーがキャラクターとして振る舞うゲームの世界では、ゲーム内にいるだけで演技してるようなものだ。そこではその背後の自分、っていうのを意識したくない人もいる。そういう人は当然、ミラリアで打ち合わせするなんてやりたくない。それで、ストーリーとかチーム運営に不満があったり、都合が悪くなったりすると何も言わないで急に消えちゃうケースが多いんだ。逆にミラリアで会える人は、素の自分がいるのを知った上で、ストーリー上の演技をしてくれる人。そういう人の方が、何かあった時、ちゃんと素で話をしてくれる。――まあ、そんな感じだったんだよ」
「なるほど、意外に苦労してきたんだなキアラは」
レオが感心したように頷く。僕はマリーネの方に向き直った。
「ところで、プロとしてやるとなるとプレイ時間も長くなるけど、その辺は話を聞いた?」
「はい。アルフレは主戦場がノワルド・Aなんです。それで昼間にゲームをするスタイルになるそうです」
「なるほど。日本とアメリカの時差は…州にもよるけど大体14時間か。仮に日本で朝8:00とすると、アメリカでは前日の18:00。ノワルドはそこからマイナス8時間だから、10:00か。つまり2時間遅れくらいで、昼間のノワルドに入るんだね」