8、プラトニック学園 中華料理屋での会合
登録者数2000万人を越える超人気Vドルの顔が盗まれた事件は、あっという間に世間の注目のニュースとなった。バグ・ビーストが『ノワルド・アドベンチャー』という一ゲーム内のバグ問題だったのに対し、デジタル新武蔵野に現れた怪物は、あらゆるレナルテ空間に出現しうる脅威である。人型になった怪物は『バグノイド』と呼称されるようになり、その動向が注目されるようになった。
「――バグノイドと話した、ですって?」
ケイトが僕を睨みつけた。どうやら怒っているらしい。
「どうして貴方はいつも、そういう場面に出くわすのよ」
「いや、偶然なんですって本当に」
僕は弁解するように両手を出した。丸テーブルの斜めに、ケイトは座っている。どういう訳だか、今日は中華料理屋に来ている。二重の丸テーブルの上段には、海老チリや麻婆豆腐、回鍋肉などの中華料理が並ぶ。ケイトはふくれっ面のままテーブルを廻すと、麻婆豆腐をレンゲで自分の小皿に取り分けた。
「それで、取り逃がしたのね?」
「バグノイドには、もうデリート・ソードが効きません。それに…超高速も使えます」
「超高速――『ノワルド』以外でも使えるんですか?」
やはりテーブルを廻して八宝菜を取り分けた国枝が訊ねてくる。きっとこの店はこの人が選んだのだろう。リアルの中華料理だが、結構高級な店だ。そして何より、美味い。
「クロノス・ブレイカーは、レナルテでのアルゴリズム速度を上げたものなんです。だから原理的には、レナルテ内のどのゲーム、どのワールドでも使える。……ただし、今まではほとんど使った事はありませんけど」
「けど今回は使った。そして、相手もその速度に追いついてきた」
「そうです。そしてバグノイドは……喋りました」
「えぇっ!」
麻婆豆腐を口に含んだケイトが、驚きの声をあげた。僕はかいつまんで、バグノイドとのやりとりを話した。国枝が口を開く。
「それではバグノイドは今も、我々の世界を学習中というわけですね?」
「多分。レナルテの中には図書館もあるし、学習しようと思えば相当に情報が得られるんじゃないでしょうか」
「それで…創造主って、何者なのよ? 何のためにバグノイド…いや、そいつら自身の言葉でいうディグを創ったのかしら?」
ケイトの問いに対して、憶測ですら答えを持っていない。僕は黙らざるを得なかった。
「まあしかし、彼らの話から察すれば、しばらくは大群で押し寄せる事はなさそうですね。実は今、デジタル庁の方でも対策チームを組んで、対バグノイド対策の戦略を練る予定だそうです」
「そうですか」
遂に政府も動き出したのか。その感慨もよそに、国枝は微笑を浮かべた。
「そっちは政府に任せるとして、こちらはアンジェラに対する新たな情報を得ました。厳密にはデジタ
ル・ニルヴァーナに関する情報ですが」
あ。そういえば。
「『プラトニック学園』というゲームの中で、デジタル・ニルヴァーナへの勧誘活動を行ってる者がいるという話です」
それ、社長にも言われてた事だ。
「実は僕も、そんな話を聞いてました」
「行ってみるしかなさそうね」
ケイトがそう口にすると、国枝は微笑みながら片手を上げた。
「実は、今度は私は同行できません」
「どうしてよ?」
「米大統領の訪問に向けて、色々忙しくなるんです。それに――実は『プラトニック学園』には、既に同僚が潜行中なので」
「公安の人が隠れているって事ですね?」
僕の問いに、国枝は微笑しながら頷いた。
「お二人が行っても特に身分を明かすことはしないでしょう。お二人は気にせずに調査してください」
「…大体、どういうゲームなの?」
ケイトはウィンドウを開いて検索を始めた。プラトニック学園の概要を読んでいるらしい。しばらくすると、ケイトが口を開いた。
「これ、私にできるかしら」
「え、難しいゲームなんですか?」
「学生服来て日本の学生生活を堪能するなんて……私じゃ目立ちすぎるでしょ。仮に日本の高校生になったとしても、背景の文化が判らないから振る舞いようがないわ」
「外国からの転校生って感じで行けるんじゃないですか?」
僕はそう思い付きで言ってみた。
*
が。果たしてそうなった。
「はい、静かにー。今日来た転校生です。それじゃあ自己紹介して」
担任の女性教師に促され、僕は教壇で挨拶をした。
「えっと、倉坂アキラです。よろしくお願いします」