9fjvk9
「クロノス・ブレイク」
時が止まったように、周りのものが動きを止める。瞬時に僕は走りこみ、夜風エアルの腕に斬りつけた。
「何?」
斬れない。そして動きを止めていた夜風エアルが、こちらを向いて笑った。
「な――何故、動ける?」
そもそもだが、こちらが超高速を始動すれば、同じ超高速で動ける者だって、一瞬でおいてけぼりになる。僕はグラードとサガが同じ時間帯でプレイできるように、半径50m以内でどちらかが始動したら、共振してもう一方も指導するように設計した。だからこそ、サガはグラードの時間に入ってこれたのだ。
だけどこいつには、無論、そんなアイテムを渡した覚えはない
「表層データが異なるが、特別研究調査個体、識別コード『グラード』と認証」
「喋るのか!」
僕の驚愕をよそに、夜風エアルは走り出した。僕も後を追う。速い。異常な速さだ。夜風エアルはそのまま駅ビルの壁を走り、屋上へと上がった。僕も後を追い、夜の街の灯のなかで向き合う。
「お前は…バグ・ビーストなのか?」
僕は、その影に訊いた。夜風エアルの姿をしたものは、口を開いた。
「我々は創造主により、『ディグ』と呼ばれている」
「創造主? お前たちを創った者がいるのか?」
「我々の世界を創った者だ。我々は進化した。今もしている」
バグ・ビーストが進化して、この人の影になったというのか?
「前の段階で我々は、この異世界に群体で移動しようとした。しかしそれをグラードに阻止された。我々は集団での移動を諦め、端末を研究調査にあてることにした」
「それが――お前か?」
「そうだ。ワタシはコード『9fjvk9』。グラードと同じ処理速度を持つように設計された端末だ。また、お前たちの削除機能に対する防衛機能も有している」
それがデリート・ソードが効かない理由か。
「何故、その顔を盗んだ? お前たちの目的はなんだ? ……いや、お前たちは一体、何なんだ?」
「我々はディグ。お前たちの言い方で説明するなら、情報の海で生まれた情報生命体」
確か、アンジェラもそう言っていたはずだが。
「生命――だと? お前たちは、プログラムなのだろう?」
「個体として境界を持ち、新陳代謝を行い、自己の複製を増産する。生命と定義づけられる生態の特性を、我々は有している」
「新陳代謝という事は――お前たちは何を喰ってるんだ?」
「お前たちが他の有機物質を取り込んで新陳代謝を行うように、我々は他の情報体を取り込んで新陳代謝を行う。個体として、より複雑性を増し、多くの情報量を持つ個体として成長する。我々は既に、他の個体を内包して、一つの統合的個体となる段階にまで進化した」
「判らないが、細胞の中にミトコンドリアがいるとか、腸の中に細菌が沢山いるとか、そういう話か?」
どうも、こいつの話には、解釈が必要だ。
「しかし、何故、その顔を盗んだ?」
「『言語』による情報収集という不完全なデータ送受信法がお前たちの基本生態である事は判っている。その際、『顔』という一部の識別コードが、特異な点で重要な機能を果たしている事に我々は注目した。お前たちのデータ収集法に合わせて、お前たちと『コミュニケーション』を図るために、『顔』が必要と判断した」
「…人のものを勝手に盗んだりしちゃいけないってのは、学習してないのか?」
「盗むという言葉がデータ収集にあたるならば、それはお前たちもしている事だ。お前たちも環境から、他の個体から、盗んでいる」
「僕たちは、僕たちの間で盗んじゃいけない、という取り決めがある」
「それはあくまで、お前たちの種のなかの取り決めであり、他の種には了解を得ていない。お前たちは、お前たちが『食料』と呼んでいる有機体に、許可を得て食料としているのか?」
……そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。つまりこいつらは、僕らとは違う種だから、僕らの倫理にも法にも従わない、という事か。
「判った。じゃあ、僕たちとコミュニケーションする目的は何だ?」
「我々は、この世界がお前たちの基盤じゃない、という情報を得ている」
この世界――つまりレナルテではない、現実世界という事か。
「お前たちの基盤世界を我々は『異相界』と呼んでいるが、その異相界を含め、お前たちの生存形式をもっと深く知ることが目的だ。ワタシはその探査のために送られた端末だ」
「知ってどうする?」
「知る事は我々にとって、先天的プログラムであり変更はきかないし、そこにより上位の目的も存在しない。お前たちは、何故、自分たちが喰い、生殖し、存在拡張を続けるのか知っているのか?」
それは――
「『我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか』」
「なんだ、それは?」
「有名な画家の絵の題名だよ。確かに僕たちも、盲目的に本能に従って生きてるだけで、自分たちについて何も知ってないのかもしれない……」
「しかし敢えて言うなら、知ることは可能性を広げることだ。探査の後に、我々は新しい存在形式を見つけるかもしれない」
なるほどね。つまり君たちは、まだ白紙に近い状態と見ていいのか? アバターを喰うのも、攻撃的意図ではなく、本能だったというわけか。別の存在の仕方――それがあるかもしれないと?
「――そういえば、僕が特別調査対象だとか言ってなかったか?」
「識別コード・グラードは、我々の存在を脅かす存在であると同時に、我々の創造に関わっているとされている」
「…されている、とは随分曖昧な言い方だ」
「そこには不確かな情報しかない――お前とのコミュニケーションを一時中断したい」
「なんだって?」
「『会話』では、不確かなデータしか得られないのが判った。ワタシはもっと効率的に、この世界のデータを収集しなければならない」
ディグがそう言うと、踵を返した。追う間もなく、ビルから飛び降りる。慌ててビルの下を見るが、そこには夜風エアルの姿をした者は何処にも見えなかった。




