バイオ・カプセル
「とはいうものの、バイオ・カプセルは終末ケアだけに使うものじゃない。そもそもだが、今は仕事がレナルテだけで済む場合も多いし、飲食の楽しみもレナルテの中で味わえる。そうなると、むしろ現実の肉体を、現実で維持する方がリスクが高いとは思わないかい?」
「リスク――確かに、カプセルの中では事故や災害、疫病にも合わないでしょうしね」
国枝の言葉に、ジェイコブは頷いた。
「そう、カプセルの中は雑菌もウィルスもいないからね。だからカプセルの中にいた方が、ストレスが少なく健康管理がしやすいという実証データが得られている。結論から言えば、長生きしようと思ったら、若いうちからカプセルに入るべきだ」
ケイトが目を丸くして、僕の方を少し振り返った。僕は黙っている。
「実際、若くしてカプセルに入ってる人もいる。プロのゲーム・プレイヤーのナオキも、此処にあるカプセルに入ってるんだ」
「え、あのナオキが!」
僕は思わず声を出した。それはノワルドでも有名な、トップ・プレイヤーだったからだ。確かに、ノワルドで金を稼ぐので、そのまま仮想空間に居続ける方が利便性が高いのかもしれない。
「――けど、結構な高額システムなんでしょうね?」
僕はつい思った事を口にした。ジェイコブが笑う。
「まあそうだね。一年、身体を維持するのに数千万レナルかかる。それが払える人でないと、バイオ・カプセルには入れないだろうね。けど、最近は全身の筋肉量増強のためにバイオ・カプセルを利用するトップ・アスリートなどもいて、利用法は様々だ。君たちもどうかな?」
「到底、そんな稼ぎはありませんので」
国枝は片手を上げて、苦笑してみせた。
「それでは本題に入るとしよう。このまま画面越しで対話するのと、レナルテで会うのと、どちらがご希望かな?」
「では、レナルテで逢いましょう。これでは面会してる感じがしないわ」
ケイトが言った。ジェイコブは片手を差し出す。傍にあるフロート・ピットを着けろという促しであった。僕らは椅子に腰かけ、フロート・ピットを装着した。
フロートすると自動で、ある部屋に移動していた。
驚いた事に畳の部屋である。かなり広く、部屋を囲む襖は空け放たれている。その部屋の外に見えるのは日本庭園だ。庭には池があり、中の島には丸い植え込みと石が複雑に置かれている。
「綺麗な庭……」
ケイトが声をあげた。しかし直座りに慣れないらしく、足をもぞもぞさせている。長い脚を横に流して、やっと落ち着いた。
「無窓礎石の庭を模したものだよ。ぼくは彼の作品が好きなんだ」
目の前に、作務衣姿で胡坐をかくジェイコブがいた。
「それで、何を聞きに来たのかな?」
正座した国枝が、ちらりと僕を見た。僕は胡坐のまま、ジェイコブに訊ねる。
「アンジェラに『私を探して』と言われました。そもそもアンジェラは、何者なんですか?」
「アンジェラに? 君がそう言われたのかい?」
「ええ」
ジェイコブは微かな笑みを浮かべると、口を開いた。
「アンジェラは、元はアンディ・グレイのアバターだった。しかし彼が死んだ後は、その権利は誰にも譲ってない。そのアバターを使える者がいたとしたら――それはレナルテの管理AIだけだろう」
「けど、天城CEOは『そんなものはいない』と強く否定してましたが?」
ジェイコブは少し息をつくと、ウィンドウを開ける仕草をした。不意に、目の前に楽茶碗に入った抹茶とお菓子のセットが現れる。
「罪の意識かもしれないね」
ジェイコブは言った。
「罪とは――グレイ氏の自殺に関してですか?」
国枝の問いに、ジェイコブは無言で頷く。
「何故、天城氏が罪を感じる必要があるのですか?」
「アンディは、彼との関係が元で自殺した。……ぼくは、そう思ってる」
「二人の間には、どんな関係が?」
僕の問いに、ジェイコブは柔らかな笑みで返した。
「お茶とお菓子をどうぞ」
「……いただきます」
羊羹を和菓子切りで切り、口に入れる。豊饒な甘さが口の中に広がった。その甘さを逃がすように、黒い楽茶碗の抹茶を一口すする。香りと苦みが、その中にある僅かな甘みを感じさせた。
「苦いわ」
ケイトが不満そうに声をあげた。
「本来、茶碗を回し飲みするのが茶の作法なんだが、そういうものだと思ってくれていい。一つの茶碗を共有する……。それは、秘密や目的を共有することで、結束を高めるという意味があったように思わないかい?」




