アンディ・グレイの死
レナルテとフロート・ピット、そしてノワルド・アドベンチャーは驚異的な成功を見せ、アマギ・エレクトロニクスはAMGと社名を変更した。
『ノワルド・アドベンチャー』は最初アマギ・エレクトロニクスから発売されていたが、AMGになった際にソフト部門を別会社化する。それがAn.GelとB―Rainであり、An.Gelの社長にはアンディ・グレイ、B―Rainの社長にはジェイコブ・レインが就任した。
ソフト制作の会社を二つにした経緯について天城は次のように語っている。「グループ内にも競争があった方が、良いものができるという判断だ」と。An・gelはアメリカに本社を持ち、B―rainは日本に本社を置いている。日本の有能なソフト開発者を取り込み、アメリカ開発者との差異化を図るのが狙いであるという。これは後に、インドに本社を置くC/Entryが創られたのも同じ意味である。しかし一方ではジェイコブ・レインとアンディ・グレイのソフト開発を巡る方針上の対立が原因ではないかと囁かれた。
レナルテ創始者であるアンディ・グレイは、世界中で注目の的となっていた。特にレナルテをオープン・プラットフォームにした経緯については、多くのマスコミがインタビューを重ねた。その中で、アンディ・グレイの最も有名になった言葉がある。
「Everyone can become who they want to be.(誰もが、なりたい自分になる)That’s Renalt」
アンディ・グレイはweb.3時代の、新しい民主主義の象徴のように扱われた。レナルテ内の仮想通貨レナルを、ドルではなく円に合わせたことも、支配的なドルの体制から脱却するためと本人は語っている。アンディ・グレイはその発言の全てに注目が集まるようになった。端正で繊細そうなアンディ・グレイの風貌も、その人気に一役買っていたと思われる。しかしその中、突然の訃報が発表された。
天城広河によると、彼は自殺であった。
機械による感電死、と警察発表があり、一部では事故死ではないかと噂されたが、アメリカの警察はそれを否定している。状況によると、自ら接続しなければそのような通電現象が起こらない状況であったと、警察は説明をした。
自殺の動機については、全く発表がなく、様々な憶測が流れた。しかしそのどれもが憶測にすぎず、決定的な説明には至っていない。天城広河とジェイコブ・レインは哀悼の意を表したが、アンディ・グレイの死の理由について語ることはなかった。
*
――と、いうのが概ね僕の調べたところである。
「じゃあ結局、アンディ・グレイの自殺については何も判ってないんじゃない」
「そうなんです」
ケイトの声に、僕はそう答えた。
ケイトは助手席にいて、僕は後部座席に座っている。朝一番で呼ばれると、国枝の運転する車に乗せられたのが30分ほど前だ。僕は車内で、昨夜調べたアンディ・グレイについて一応披露したのである。けど、二人とも情報機関の人間なので、このくらいの事はとうに知っていたかもしれない。
「私の方は、アンディの自殺について本部に問い合わせてみた」
ケイトが自分のウィンドウから画像を外へ出す。僕のARグラスにも、それが大きく映るようになった。
画像は大型の機械と、フロート・ピットのようなヘッドギアの組み合わせである。
「これは?」
「それがアンディ・グレイが自ら装着して死んだ機械。開発中の次世代型フロート・ピットだったらしいわ」
「じゃあ、やはり事故なのでは?」
運転席の国枝が口を開く。
「ところがAMGによれば、それは試作の段階で欠陥があり、危険だという事は判っていた、というの。敢えて危険と知りつつ、それを装着し、許容量以上の電荷をかけて自殺を図った、というのがアメリカ警察の調べだわ」
「さすが、これは当時、表には出てこなかった映像ですね」
国枝が感心したように呟く。
「けど、動機については警察の報告書にも、何も書いてない。うつ病等の心の病や、健康面にも問題はなかった。周囲の人間関係も概ね良好。原因らしい原因は判っていない」
「なるほど…。これはやはり、ジェイコブ氏に訊いてみるしかなそそうですね」
「ところで、この車は何処へ向かってるんですか?」
僕は改めて国枝に訊いた。ジェイコブと面会するのなら、B―Rainの本社がある地区だと思ったのだ。だが、この車は郊外へ向かっている。




