センシング・バック
「で、どうするの?」
「近いんで歩いていきましょう。この前見つけた店なんですよ」
マリーネは札幌在住らしい。度々、札幌でオフ会をやっているので、これは本当だろうと思う。
先を歩くマリーネの後を歩きながら、レオニードが口を開いた。
「いやあ、やっぱり日本の街は綺麗だな」
「キンシャサも大都会じゃないですか。この前、ミラーワルードに行ってみましたよ」
「レナルテにはストリート・チルドレンがいなかったろ?」
レオニードが笑いながら返した。
レオニードによれば、首都キンシャサがあるコンゴ民主共和国の西部は、日本との時差がマイナス8時間なのだそうである。夜の仕事をしているレオは、空いた昼間時間にゲームをしていた。その時、たまたま自国と同じ時間で動いているノワルド・Jを見つけたそうである。
レオニードはフランス語で喋っているのだが、レナルテでは150以上の言語が自動通訳され、しかもそれは脳内に直接情報を送られる形で伝達される。つまり元の言語を聞いた後に、翻訳を聞く形ではなく、本人の声のまま、本人の話す感じで聴けるのだ。その通訳のタイムラグがほとんど存在しないため、レナルテは他国語とのコミュニケーションを極めて円滑なものにした。
実際、レナルテでなくリアルで会ったら、僕とレオとはほとんど会話できないだろう。メタバースの中だからこそ、普通に会話できるし、パーティーも組めるのである。このレナルテの同時通訳システムは、ビジネスや政治などの局面において、他国間との貿易や交渉を極めて円滑なものにした。
ほどなくして、僕らは一件の居酒屋に到着した。
「らっしゃいませ~」
店員に声をかけられて、奥の座敷席に座った。狭い日本の座敷に、大きな体のレオがいるとサイズ感が合わない。僕はマリーネの隣に座り、対面をレオに譲った。
ビールを注文すると、すぐに店員が運んでくる。レナルテの中である以上、飲食物もデジタルデータだ。だからテーブルの上にポンと出現させたりすることもできるのだが、それは多くの店がやってない。というのは、敢えて店員が食事を運んできたり、食事の待ち時間がある方が店の人気が出たからだ。
「それじゃあ、コラボのシリーズが無事、終了したことに乾杯」
僕はそう言って、ジョッキを掲げた。三人でジョッキを合わす。まずビールを一息に呑んだ。美味い。
レナルテの飲食物は、現実の飲食物を味わった時の脳内反応を元に、データ提供されている。つまり、フロート・ピットを装着した状態で飲み食いし、その時の脳内反応を記録しておいて、提供する際にはその情報を流すわけである。このセンシング・バックのシステムがフロート・ピットの大きな特徴でもある。
つまり実際に腹は膨れないが、「美味い!」という感覚だけは伝達されるのだ。普通の飲食店データ元は単独の者であることはなく、100人以上のデータが元になっているらしい。人には個体差があるので「美味い」と思う人もいれば「不味い」と思う人もいる。そのために複数のデータを取って、その平均データを品として提供するのだ。多くの食品メーカーが飲食物のデータを発売しているし、味に自信のある飲食店は、独自に取ったデータを元に提供している。有名シェフの一品なども、レナルテの中では気楽に味わえるのだ。
「今回みたいなゲストとのコラボも面白かったな」
ビールを一気にあおった後で、レオが口にする。マリーネがその話に続けた。
「リスティさんもグレタさんも、とても綺麗な方でしたねー」
「アバターに美女多しとはいうけど、あの二人は美女アバター作りで有名な、タクマ・カワモトのデザインなんだってよ。キアラもイチコロだよな」
レオが含み笑いをしながらこちらを見る。ので、僕は澄ました顔で言ってみせた。
「あの二人、プライベートでも本当の恋人なんだってさ」
僕の言葉に、一瞬空気が止まる。
「え!」
二人が同時に驚きの声をあげた。
『リスティ&グレタ』のストーリーは、友情と恋愛の中間みたいな仲の女性二人が旅をするチャンネルだ。実際のゲイの人たちにも人気があるらしい。マリーネがため息を洩らした。
「そうかあ…けど、なんかそれを聞いて逆にまた好きになったような」
「敢えて公開してないのは、恋人同士だって目線で見られると、二人の危機をハラハラしながら見れないからだってさ。やっぱり、考えて作ってるよね」
「なあんだ、オレはちょっとがっかりだぜ」
レオの言葉に、僕とマリーネは笑った。気を取り直したように、レオが口を開く。そんな会話をしているうちに料理が届く。北海道で美味しい海鮮や、焼き物、焼き鳥なども出てきた。しばらく談笑しながら、レナルテの料理を楽しんだ。