九話 給湯器
「お前らが暴れた後にさ、ファルコスファミリーは別のマフィアに吸収されたらしいんだよ。最近、勢力を伸ばしてる……どこだったか忘れたけど。そこには、なんか急に現れたすごく強い食客がいる的な話を聞いた」
ある日ギルドの食堂でメメリュと共にのんびりお茶をしていると、休憩時間になったガゥダーさんがくたびれた様子で同じテーブルに座り始めたかと思えば急にそんな事を言い出した。
俺は腕を組み、首を傾げる。
「何の話?」
「もう忘れたの!? 一週間経ってないけど!」
横のメメリュを見た。彼女も少し考える。しかしすぐには思いつかないらしい。そしてどうでも良くなったのかお茶を飲み、そっぽを向いた。
そこでようやく思い出した。
「あ、あー……あの、左手刺してきたやつだ」
すっかり綺麗さっぱり治った左手をかざし、もはや顔すら曖昧なゴミカスとやらを思い浮かべた。
俺の左手を見て、ガゥダーさんが手で目を擦る。
「治るの早くない? 誰に治療してもらったの?」
「? 身体強化してたら割とすぐ治ったよ」
ガゥダーさんは数秒目を丸くさせたが、一度頷いて話を変えた。
「まぁとりあえずさ、君らヤンチャしてるグループに喧嘩売ったんだし、その強い食客に襲われるかもしれないから気を付けてってギルドからのお達しね」
「へぇ」
興味なさそうにメメリュが相槌を打つ。マフィアのことをヤンチャしてるグループなんて呼び方、初めて聞いたわ。
そんな話をした日の夕方、俺とメメリュがフラフラと寄り道しながらのんびり帰路についているところに彼らは現れた。二人組だ。
「お前らが、ミィロとメメリュか」
そう話しかけてきたのは二人組の内の一人、金髪を綺麗にオールバックにした男だ。二十代後半頃に見えるが、その身から放たれる威厳のような威圧のような余裕には老獪さすら感じる。
「そうだけど、なに?」
メメリュがどうでも良さそうに答えているが、俺はもう一人の少女の方が気になって仕方がなかった。
艶のある水色の髪を縛る事なく腰よりも下までまっすぐ伸ばして、身長はさほど高くないもののスラリとした体躯だ。
顔は、少し能面染みた無表情が怖いがとても整っている。氷のような冷たさを持つその瞳が、ジッと俺の方を見つめていた。
「いや、少し顔を見たくなっただけだ。悪かったな、これでジュースでも飲んでくれ」
ピンっと、男の方が俺たちに向けて小銭を飛ばしてきた。ジュースなら五本くらい買える金額だ。メメリュが凄まじい速度でそれをキャッチしてマジマジと見つめる。
「本物だ。ラッキー」
メメリュが嬉しそうに笑った。
変な男だ、急に話しかけてきたかと思えば金をくれた。もうちょい怪しむべきでは? そうメメリュに伝えようとして俺は、ギョッとする。
目の前に水色の髪の少女がいた。抉り込むようなその眼力に、俺は怖過ぎて腰を抜かしそうだった。
てか、近付いてきたの全然分かんなかった。気配はどこ? てか速くない?
「お前───」
ガッ、と。水色の少女に手を掴まれた。
その瞬間、脳裏に稲妻が走る。その稲妻と共に、まるで走馬灯のように『過去の記憶』が掘り起こされる。そして、目の前の少女とその『記憶』が合わさった。
「なっ」
俺の喉から、声にならない声が一瞬出た。
「え? あ、雨宮……?」
「お前は、鏡音か……」
お互いに、前世(?)時代の名前を呼び合う。本当にお互い様だが、目の前の雨宮はかつての姿とまるで違っていた。だってあいつ男だったし。
俺も人のことは言えないが、性別まで変わってしまった雨宮はかつての長身を失い今の俺と同じくらいの背丈になっていた。
チラリと視線を落とすと、腰にさげた一本の棒のようなものが目に入る。木刀に見えるが、わずかに重量感を感じるので多分これ《中身》は金属製の刃物だよなぁ、と。考えて、雨宮らしいなと思った。
彼、というか彼女の家は剣術道場と聞いたことがあったし、剣道部に所属してたし、よく正座してたし、なんか居合みたいな素振りもよくしてた。
「もういいのか?」
「いい。確認はできた」
いつの間にか男の元へ戻っていた雨宮が興味なさそうにそう答えてこの場を立ち去ろうとする。ふと、振り返ってこう言ってきた。
「そうだ、鏡音。雨宮馨は死んだ。だから今の私は───『水蓮』だ」
「そっか……」
そっか……。割とどうでも良かった。
多分、今すぐには覚えられないし……。俺も一応、今よく呼ばれてる名前教えとくべきか?
「俺は『ミィロ』って呼ばれてる、よろしく」
「わかった。それではまた機会があれば、鏡音」
そして雨宮こと『水蓮』と、結局自己紹介すらしていかなかった謎の男が去っていった。俺は呆然としながら「いやお前は覚えへんのかい」とぽつり漏らす。
「あの青い髪の奴、やばそうだったね〜」
今まで黙っていたメメリュがいつもよりも少し驚いたような顔でそう言ってきた。珍しい反応だな? と思っていると、こう続けてきた。
「あいつ、殺ろうと思えば私ら二人同時に殺れたんじゃない?」
真顔でそう言ってのけるメメリュに俺は目を見開いた。こいつが、こと戦闘に関して自分が遅れをとるような発言を初めてしたからだ。(天使を除く)
「ええー。前世の知り合いで確かに剣の腕はすごいらしいけど……そんな、さっきので俺たちを殺せるかどうかまでわかるぅ?」
懐疑的な俺に、ジトッとした視線を返してきてため息を吐かれる。
「あんたさ、ここにきて何ヶ月も経って、んでその間に何があったよ? てかさぁ、警戒心無さすぎでしょ。だから前みたいに手を刺されたりするんだよ」
なんだかすごい馬鹿にされてる気がする。しかし警戒心がないのはその通りかもしれない。なぜなら俺は平和な日本で生まれその日本で育ったのだ。ここ最近荒んだ治安の場所で暮らしているとはいえ、やはり生まれ育った土地で育まれた感性というものは簡単には変えられないのだ。
*
あ、これ入れるんじゃね?
未だに残る機界タイプの異域。そこで小遣い稼ぎをしていた時、今まで訪れなかったエリアまで潜り込んだ際に俺は“それ“を見つけた。
崩壊した建物、砕けたアスファルトやコンクリート。大きな窪みになった部分に溜まった湯気立つ水溜まり。かなり透明で、匂いもおかしくないし……ペロリと舐めてみても、多少土というか石っぽい臭さはありつつも、なんの変哲もないただの水だと判断できる。湯気立つという表現の通り、この水は体温より少し高い程度のお湯だった。
入れるんじゃね? というのは、この湯の中にである。
流石に裸は恥ずかしいので、ささっと下着姿になってそのお湯に浸かってみる。ふむ、ちょうどいい。ちょうどいい湯加減だ。
「ふい〜」
「何してんの?」
肩まで浸かり自らの緩んだ頬を自覚しながら一息ついていると、呆れたような声でメメリュがそう聞いてきた。
やれやれ、俺は肩をすくめた。
「見て分からない? 入浴だよ入浴。お前の家シャワーしかないんだもん。日本人の魂がさ、湯に浸かりたいってずっと言ってたのよ」
「? ふぅん」
あまりピンときてなさそうだ。異世島にも入浴文化はあり、大きな銭湯のような建物を見かけたことがあるような気はするが、今までにメメリュがそこへ行く姿は見たことがないしそもそも興味すらなさそうだった。
「俺の故郷ではさ、毎日湯に浸かるんだよ。すると血行が良くなって汗もかくことで新陳代謝が活発になり、かつ水圧がなんかこう良い感じに体をほぐしたり? とかそんな感じのいい効果もあった気がする」
「へぇ。私も入ってみるか」
本気で興味がなさそうだが……。あまりに俺の顔が気持ちよさそうに見えるのか、ものは試しとメメリュも俺に倣って湯に入った。
という、やりとりが数日前のことで。
今となっては異域散策の〆にひとっ風呂浸かっていくのが俺とメメリュの日課となっていた。
メメリュと同じこの肉体はかなり強靭だが、それはそれとして働けば疲れる。その疲れた体に、温かいお湯は心にも沁み入るような安らぎを与えてくれる。
「これ家にもほしーなぁ」
すっかり気に入ったメメリュも、家に湯船の実装を考え始めていた。ところで異世島の居住区においては電気ガス水道は大体のところに通っているのだが……。
「こんな風呂、毎日用意しようと思ったら流石にお金やばいかな?」
もちろん、そういったインフラはタダではない。日本に住んでいた頃よりも高額になりがちなそれらを、日本と同じような使い方をすれば一般人の月の稼ぎなど一瞬で吹き飛ぶ。
俺とメメリュに関しては瞬間の稼ぎは悪くないものの、異域という不確定な稼ぎ所に依存しているため、贅沢なんてしていたらお金なんてすぐに無くなってしまう。
「そもそも今、私らが入ってるこのお湯を作ってる機械がどこかにあるんじゃない? 機界タイプの異域だと、そういう機械見つけて持って帰る人もいるんだよね」
「そ、それめっちゃいい情報じゃん」
俺は声が震えるのを自覚した。
な、ならば、その機械を見つけて家に持って帰れば……お風呂に入り放題?
「でも給湯器みたいなもんだったら、水道代はかかるか」
「? とりあえず探しにいくかー」
そういうことになった。
*
見つけた。
だが、先客がいた。
「ん? 君達もあれが目的か?」
五人くらい居た先客の一人、赤い髪を長く伸ばした女が振り返りそう言ってきた。親指で指す先には、見上げるほどの大きさの機械がある。
「なにあれ」
「言うなれば、給湯器だ。君達も、この魅惑の温泉を生み出すあの宝を求めてここに来たのだろう?」
なんか大袈裟だなこの人。メメリュと顔を見合わせ、とりあえず話を合わせておこうかと頷いた。
「私達は『異世島ゴールデンカンパニー』、あの給湯器を手に入れて、大型人工温泉アミューズメント施設を建設しようと考えている」
へぇ……。
俺達は頷いた。
「しかし……だ」
そう言って、赤い髪の女はもう一度親指で給湯器を指す。給湯器の周りには池のようにお湯が溜まっていた。覗き込んでみると、結構深い。
そんなことより、その池から何やら物々しい雰囲気を放つ機械が顔を出しているのだ。どう見てもロボットである。モノアイがビコーンと機械音を響かせ、キョロキョロとしてから俺を睨む。俺はムカついたので睨み返した。
モノアイの横辺り、ロボットの肩だろうか? ガコン、と装甲が開く。そこから銃口のような物が覗いたかと思えば、チカッと光が瞬き俺の頬を掠めていった。
ツゥ……と、血が垂れる。全く見えなかった。ビーム? レーザー?
「あれは守護者だ。攻撃は速く、装甲は硬い。更にこの深さと体温よりも高い水はこちらの機動力と体力を大きく奪う」
デバイスを起動して『身体強化』を発動。上昇した身体能力にはもちろん自然治癒力も含まれている為、頬の傷は一瞬で治った。
それを横目に見ていた赤い髪の女が目を見開くが、すぐに逸らして話を続けた。自分の周りで静かに成り行きを見ている四人の男達を指す。
「彼らは私の部下のようなものだ。優秀な簒奪者だが、流石にあの機械兵を相手に状況は膠着している」
「てかさぁ、ペラペラ話進めてくるけど、別に私らがアレ狙ってるとは限らなくない? そんなこと一言も言ってないしぃ」
「その問答はよそう。非効率だ、君達はあれを狙っている。私達もそう、利害の一致、手を組もう」
メメリュは天邪鬼なので不満を漏らしたが、赤い髪の女はそれを手で遮りさっさと話を進めてくる。
「私はアカシャ。彼らの名前は後ほど説明するとして、まずは作戦会議だ。少し離れよう」
赤い髪の女ことアカシャの勢いに負けた俺達は大人しく着いていくことにした。給湯器が欲しいのは事実だし。
しかし、給湯器は一つしか見当たらない。そもそもデカい。一体どうやって成果を分配する気なのか……。
「───というわけで、この作戦で行こうと思う。ミィロ、メメリュ、君達への報酬だが……人工温泉アミューズメント施設が完成した暁には、君達に永久利用権を与えようと思う」
「のった!」
ということになった。話が早くていいことである。




