四話 初日
「……えっ? メメリュが二人いる」
愕然とした様子で椅子から転げ落ちながらそう言ったのは、ハンターズギルドと呼ばれる建物の受付っぽい所に座っていた男だ。
若いスラっとした長身の男で、無造作に見えてセットされた小綺麗な髪型とバチっと決めたスーツ姿はいかにもモテそうな雰囲気を醸し出している。
ずり落ちた丸メガネをクイっと戻しながら、男は椅子に座り直して俺をジロジロと見る。
「……髪色が違う。魔力の質も、僅かに……そうか、なるほどな……」
男はハンターズギルドの職員だ。ちなみにハンターズギルドとは、異域で資源を回収することを主な収入源としている簒奪者達を管理している組織だ。組合みたいなもんだね。
管理しているのはハンター達だけでなく、ハンターの集めた資源に関してもそうだ。ハンターの代わりにギルドが資源を適正な値段で買い取って必要なところへ売ってくれる。
「メメリュ、お前って双子だったんだな?」
「うん、そうそう」
確信した顔でそう言った男に対して適当に返事をするメメリュ。
「でさぁ、コイツ『ミィロ』っていうんだけど。ハンター登録したいわけ」
「お願いします」
ぺこりと俺が頭を下げると、丸メガネの男はひっくり返った。
「礼儀正しいメメリュだ!」
「おいッ! 大袈裟だろ!」
騒ぐ男に、キレるメメリュ。
全く話が進まない。俺は少しイラッとした。てか、普段どんだけひどいんだよメメリュの奴は。
「悪い悪い。ミィロちゃん? だっけ。俺の名前はガゥダー。ハンターズギルドで……まぁ、働いてる。俺はメメリュの相手“も“よくさせられてるから、困ったらとりあえず俺のとこ来ればいいよ」
にこやかにそう言って書類の様なものを出してきたので、俺は指示に従いながらそれに記入していく。
といっても、『異世島』において簒奪者とは、何の仕事もなかったり、後ろ盾もなかったり、もはや後ろ暗い事情しかないやつでも、誰でもハンターズギルドにさえ忠誠を誓えばなれるお仕事なのである。
その酷い文字面に相応しい扱いを受ける底辺寄りの職業だ。そんな職に必要な情報など、せいぜい名前と年齢くらいのものだ。
カガミネイロ、十五歳……と。
「ん? 全然ミィロって名前じゃないじゃん、メメリュどういうことだよ」
「え? あぁ、ミィロ貸して」
バッ、とペンを奪われた、俺の書いたカガミネイロという名前がぐしゃぐしゃと潰される。そして、その横に汚い字で『ミィロ・ガッキーネ』と書かれた。
俺が首を傾げていると、メメリュはニコリと笑って言った。
「私の名前、メメリュ・ガッキーナだから。あんたは妹だろ?」
「……何で双子のはずなのに今自己紹介してるの? 何で名前消したの? もしかしてヤバ案件じゃない? ちょっと、面倒ごとはもうやめてくんない?」
ガゥダーが何かきな臭いものを察したとでも言いたげな顔でめちゃくちゃ追求してくるが、メメリュはガン無視である。
ちなみに、なぜ俺がメメリュから『ミィロ』と呼ばれているかというと、彼女が普通に聞き間違えたからである。
しかし、ふと俺は気付いて叫ぶ。
「何で俺、文字書けるの!?」
「やめてやめて! さらに怪しい事情ぶっ込んでくるのやめて!」
異世島では当然、日本語は使われていない。それなのに、俺は自然と異世島語を読めるし、書いていた。これは一体……。ガゥダーは耳を塞いで目を閉じた。
「はい。では受け取りました。今から登録してくるから待っててね」
そして目を開き、まるで何事もなかった様ににこやかに書類を持って裏に引っ込んでいく。メメリュがこちらを見て言った。
「ガゥダーが私の担当なのは、ああいうところだな。ややこしいことはとりあえず後回しにして見なかったふりをするんだ」
それ大丈夫なの? あの人。
ところで、なぜ突然俺がハンター登録なるものをしにきたというと、大元は俺が異世島にきた日まで遡る。
*
あの日、俺は見た目は可愛い女の子であるメメリュをドラゴンの炎から守るためにその身を犠牲にした。後になって思えば、そんな必要なかっただろと思うのだが、とにかくその時はそれがかっこいいと思ったのだ。
桃髪の少女をドラゴンの炎から身を挺して庇った結果、燃え尽きたはずの俺は……普通に無傷で目を開けた。目の前にはまだドラゴンが居る。でも何故かは知らないが俺は無傷だった。しかし真っ裸で、思わず自分の体を見下ろすと見慣れない胸の膨らみと、見慣れたはずの股間のモノが無くなっている。
俺は思考がまとまらなかった。何が何だか分からない。しかしこの見下ろしている肉体は俺のものだ。それは実感としてある。
そんな混乱の最中、ふと気配を感じて振り返った先に笑顔を浮かべた桃髪の少女がいた。そしてこう、話しかけてきたのだ。
「死ねェ!」と
振り下ろされたバット。俺は慌ててそれを両腕を交差して防いだ。受け止めた腕に激痛が走り、あまりの力に足が地面にめり込む。直後、視界が反転した。
ぐるぐると回る視界に、同じくグルングルンしてる少女が映る。どうやら、俺達はドラゴンの尻尾で横っ面から思いっきり弾かれたらしい。確かになんだか体の側面が痛い気がする。
しばし空中を舞い、俺と少女は別のところに落ちた。
「なに、なに? なんであの子急になぐりかかってきたの!?」
俺はテンパりながらそう叫ぶが、自分の声が記憶のものと違い、更にテンパる。そのままどうしようかとウロウロと瓦礫の山を歩き、突然何かに躓く。
男の死体だった。
「ぎゃあ!」
思わず悲鳴をあげて腰を抜かした。
頭を強く打ち付けたらしいその死体は、多分ドラゴンと交戦していた簒奪者の一人だ。
素人の俺でさえ一目見て「もうダメだ」と分かるくらいの損傷。現実味がなさ過ぎて逆に吐き気もない。
なんとなくハンターのことを、どこかテレビの向こうで怪人と戦う特撮ヒーローを見る気持ちでいた俺は、どうしようもないただの現実にその時打ちのめされた。
一つ感じたのは焦燥感だ。
次にこうなるのは俺じゃないか?
一度、炎に飛び込んでおいて今更なのだが。あの時は少女を助けるヒロイックな俺に酔っていたのだ。
しかし今は一人で、しかも裸で、肉体が自分のものじゃないくらい変容しているけど、現実味ないけども。
痛い思いは、誰だってしたくない。
ガクガクと震える膝を抑え込みながら、俺は死んだハンターから服を脱がせた。まずは防御力からだ。流石にサイズが合わないので、彼の着ていたマントのような、ローブのような丈夫そうな布を羽織る。
首元の金具を留めようとして、その時ようやく自分がずっと掴んでいたものに気付く。
スマホだ。
俺のスマホ、ポケットに入れて共に燃やされたと思っていたそれを、いつからか俺は強く握りしめて手に持っていた。
首の金具を留めて、丈が長いせいで少し引き摺るので死体の男が持っていた剣を使って足元あたりで切り裂く。
そうすれば、身体は全部隠せるサイズに調整できた。剣はそのまま武器として持ち歩こうと思い……ふとそこで、何故かスマホが気になり剣を手放す。
スマホの画面が光る。
《magical device___》
黒い画面に白い文字でくっきりと浮かんだのはその言葉。
「マジカル、デバイス……」
それは、魔法の杖だ。
日本───いや地球人からすればファンタジーな現象である『魔法』を、異世島人はマジカルデバイスという魔法の杖を介することで使うことができる。
「ガァァァァ!」
背後から突如として野太い獣の叫び声が聞こえてくる。振り返ると、牛頭に人間の身体をした大きな化け物が俺を見下ろしていた。
しかもその手には大きな斧を持っていて、それは今まさに俺に向かって振り下ろされようとしている。
無意識の行動だった。
脳が、『マジカルデバイス』と繋がった肉体が、この体になるまでは無かった『力の源』が、まるで意志を持つように。自然とその言葉を、呪文を俺は口に出していた。
「結界」
チュイイイイ!
スマホの形をしたマジカルデバイスが鳴動する。
それに呼応して、俺の身体を中心にして球状に僅かに発光する透明な壁が生まれた。そこに叩きつけられた牛頭の斧は、火花に似た光を瞬かせて弾かれる。
ゴッソリと、身体の中から何かが失われる。おそらくは魔力と呼ばれる……本来なら俺が生み出せるはずの無かったエネルギーだ。
半ば無意識の行動の後、俺は牛頭の化け物が弾かれた勢いで仰け反るのを見ながら怒りを感じた。
死ぬとこだった。許せねぇよコイツ、いきなり襲いやがって。俺はマジカルデバイスに接続し、《攻撃手段》を模索する。
たった一つ、見つけた。
「星弾!」
スマホを握る左手から、チュイイイイ! とまた駆動音が響く。伸ばした右手の先に、まるで夜の空に輝く星のような光が瞬き、流星のようにそれは牛頭に向けて滑り出す。お腹辺りに着弾し大きく弾けて爆発を起こした。それは俺の3倍近い大きさの牛頭を蹴鞠の様に吹き飛ばすほどの威力だった。
「すごい……っ! 魔法だ!」
身体から抜けた魔力のせいか少し疲労を感じるが、それも吹っ飛ぶくらいの感動があった。つい先ほど殺されかけたことも頭から吹っ飛んでる。
俺はよくも分からないままだけど、漫画やアニメの住人になったのだ。
しかし現実は甘くない。感動している数秒で、牛頭はむくりと起き上がっている。
「……」
俺は口を引き締めた。
なんとなく、デバイスを握っていればどんな魔法が使えるのかは分かった。しかしそれには意識を集中させる必要がある様で、今まさに牛頭がこちらに向かってくる状況と先程までと違い……死地が過ぎ去り緊張が抜けたからこそ、極限に引き絞られた結果牛頭に魔法を当てられた時の様な高速思考はすっかり鈍化してしまっている。
それに冷静になると、あんなでかい牛頭の筋肉隆々な化け物相手に立ち向かう方がおかしい。そう思ってしまうと、気付けば俺は背を向けて走り出していた。
なのに、俺が逃げ出した先にいたのはもっと大きな化け物だった。いつのまにか牛頭が追ってこなくなったぁと思っていたら、目の前にはあのドラゴンが居たのだ。
ドラゴンは建物の影からひょっこり姿を現した俺を目敏く見つけ、ギロリと睨みつけてくる。俺はしょんべんをちびりそうなくらい驚いた。
「おわーっ!」
ギャオオォオォォォン! と、鼓膜が破れそうな咆哮を目の前で喰らって俺の頭は真っ白になる。ドラゴンが口を開きまた炎を蓄えるのを見て、咄嗟にマジカルデバイスを掲げて叫んだ。
「星弾!」
いくつかの光弾が尾を引いて炎が蓄えられたドラゴンの口の中に殺到する。そのまま爆ぜて、こちらに向かって炎を吐こうとしていたドラゴンは驚いたのかダメージがあったのか大きく仰け反った。
おお、やったか? 真剣に狙ってやったわけではないので、ラッキーショットにちょっとテンションが上がる。
もちろんやれてはないが、逃げる隙くらいはありそうだなーと考えたその時
「よくやったガキンチョ!」
「いけーっ!」
「今だーッ!」
その隙を突いて周囲の至る所から簒奪者達が湧き出してきた。ポカンとしている間に、大勢のハンター達から猛襲を受けてドラゴンの悲痛な叫びが辺りに響く。
そうなるともはやドラゴンは俺の相手をしているどころではない。ジリジリと後退っていると
「あーっ! なんでそんなとこに居んだテメーッ!」
と、聞いた事があるような大声が俺の耳を貫いた。声のした方を見ると、なんとあの……俺がドラゴンの炎から庇った相手であり、さっきいきなり殴りかかってきた桃髪の少女がいるではないか。
「そこで待ってろオラーッ!」
そんなことを言いながらバットを掲げ振り回してこちらに向かってくる姿を見たら、当然ながら逃げる。向かう先も何も考えずただひたすら逃げて逃げて……
*
そうして逃げ回った結果、俺は迷子になった。家に帰りたい。思うのはそれだけだ。当たり前か、なぜなら俺は中学生男子。ちょっぴり親に反抗期してた気もするけど、流石にこんな───いつのまにか知らない身体になって、着てる布は分厚いとはいえ一枚下は裸だし、そもそも今立ってるここがどこか分かんないし、もう日は暮れそうだし。
寂しさと焦りしか感じない。俺はどうなってしまうのか。トボトボと歩いていると、海が見えてきた。
異世島が浮かぶ異世湾は、日本の伊勢湾の中にある。
ということは、海を渡ればとりあえず日本に帰れるはずなのだ。
そうと決まれば早速と言わんばかりに、俺は出航する船を吟味する。狙いは、観光客を乗せてきた船だ。異世島には日本を経由して諸外国からも多くの観光客が来る。たとえ、どんな船に乗ろうと……日本を一度は経由するのだ。
そうして狙いを定めた俺は身分証も何も持っていないし、露出狂紛いの格好をしているいかにも怪しい自分を自覚しているので、こっそりと荷物に紛れ込んでみた。
出航してしばらく船は洋上を走る───コロリと横になりウトウトとしていると、気付けば船に乗った岸壁の地面に寝そべっていた。
「え?」
夢を見ていた?
いや、しかし俺は確かに……船に勝手に乗り込んだはず。
仕方がないと、もう一度。今度は別の船に隠れて乗り込む。出航し、しばらくするとまた俺は元の岸壁に戻っていた。
太陽は既に沈んだ。時間が戻っているわけではない。ただ、俺だけが瞬間移動しているのだ。
何故?
今度こそともう一度別の船に隠れ潜み、今度はその瞬間を見逃さないぞとしっかり目を見開く。
船は洋上をしばらく走る。
瞬きの間に、俺はまた元の場所に戻っていた。陸から海を眺め、まるで牢獄に囚われた様な気持ちになる。
異世島から、出られない?
そう、頭によぎった。俺はむしゃくしゃした。ヤケクソだった。海に飛び込み、ひたすら泳ぐ。この身体はとても身体能力が高かった。凄まじいスピードで海を渡る。
もしかしたら、このまま泳いで日本まで帰れるかもしれない。
何分、何時間経っただろうか、いや、そんなに経っていないかもしれない。ただ、異世島の陸が遠く離れた頃───俺は、いつの間にか異世島の陸に帰ってきていた。
ダメか。
流石に諦めがついてきた。なんだかよくわからない力が働いて、俺は異世島から出られないらしい。
「あららぁ。ほんとですねぇ。一体これはどういうことでしょう」
いきなりそんなのんびりとした声が頭上から聞こえたかと思うと、バッサバッサ、と。何かが上から降りてきた。
俺は、人間の女性の形をしているのに、まるで人間とはかけ離れた気配を放つその存在に思わず目を奪われた。
顔のほとんどを隠す銀光輝く兜に、後ろから垂れる銀の髪。高身長で出るところは出ているグラマラスな肢体。その身体のラインがはっきりとわかる薄くて白い布は胸から股間にかけてを隠しており、両腕の肘の先、両足の膝の先は兜と同じ素材で出来た鎧を身に付けている。
剥き出しの太ももからはわずかに白く光る大きな翼が生えており、バサバサという音はその翼をはためかせて起きた音の様だった。
天使。まるで天使の様だと、俺は思った。心の奥底から、どこか畏怖のような感情が湧き上がってくる。
「だから言ったろ! 私じゃねぇって!」
天使のような存在は、右手に何かをぶら下げていた。少女だ。どこかで見たことがあると思えば、彼女は俺がドラゴンから身を守ったあの少女だった。その後すぐに彼女に殴りかかられ、バットを振り回しながら追いかけ回されたことを思い出した。自然と身体は身構える。
「むむむ、これはまた……不思議なこともあるものですねぇ」
「天乙女の! テメェら側の“問題“だろ! 間違いなく!」
首を傾げ困った顔(口元くらいしか見えないが)をする天乙女と呼ばれた女性に、掴まれたままの少女がプンスカと怒る。
「不思議ですねぇ……魔力を持つ者の異世島からの違法の脱出を禁じる『絶対界法』を破ったのは間違いなく“メメリュ“さんなのに、そのメメリュさんは法を破ることのできない位置にいて、しかもそれを私が確認している。そして今、目の前にメメリュさんと、“同じ“メメリュさんがいる。よく見ると魔力の質が別人なのに、それでも『異世島』はこの少女をメメリュさんだと判断した……」
ペラペラとよくの分からない事を話す天乙女に圧倒されていると、いきなり銀の兜の表面に眼球のようなものが浮かび上がり、その瞳に睨まれた瞬間───俺は、身体の奥から底冷えするような感覚に襲われ、同時にずっと感じていた畏怖の感情が大きくなる。
体の奥から湧き出してくる恐怖からガクガクと膝が震え、立っていられなくなりそうだった。
「魂もまるで───そうですか、なるほど。メメリュさん、失礼致しました」
パッと手を離され、メメリュと呼ばれた少女が地面に落ちた。「ぐえっ」と変な声を出し、メメリュはすぐに起き上がって怒りを露わにする。
「なにすんだよ! 乱暴なんだよテメェら天乙女はよぉ!」
メメリュの怒りをまるで意に介さず、天乙女は笑顔を浮かべて言った。
「彼女は『混沌の者』です! 魔物の模倣人形なんかよりも完璧に複製された貴方の肉体情報に、この地球の日本人の魂が混じり合い、魔力を得て完全に受肉した存在なのです!」
「し、混沌の者ァ? な、なんで私の身体をォ?」
「それは、偶然じゃないですかねぇ」
何を言っているのか分からない情報の羅列に、俺は完全に置いてけぼりだった。ボケーっとしていると、どんどん勝手に話が進んでいく。
「しかし困りましたね。『絶対界法』を破った者には制裁を与えねばなりません。そして、その対象者はメメリュさんなわけで……しかし、濡れ衣ともなれば……これは上に指示を仰ぐしか」
「ちょっと待ってくれ!」
俺は痺れを切らせてそう叫んだ。
天乙女とメメリュの二人の視線が俺に刺さる。しかし俺には、どうしても確認しなければいけないことがある。
「俺は、家に帰りたいよ! 出られないって、そうじゃなくて! どうすれば出れるかおしえてくれよ!」
「出られませんよ」
キッパリと、そう言い切られて俺は愕然とした。
「まず、魔力を保有していること。貴方の出自がどうであろうと、この法則は絶対です。それを覆すには魔力封印措置を取らねばなりませんが、その為に何よりも必要なのが個人の識別であり、現状の貴方は異世島においてメメリュさんとほぼ同質の存在なので、まぁ……しばらくは出られないんじゃないですか」
淡々と畳み掛けられて、半分もよく分からなかった。しかし俺の困惑している様子を他所に、天乙女は翼を畳み、俺の腹を思いっきりぶん殴った。
「ッ!!??!?」
「痛そ」
ゴパァン! と、「鳴らしていいんですかその音?」と誰かに聞きたくなるような殴打音があたりに響く。
そして俺は自分の体から響く、内臓が弾け、さらに背骨が砕ける音も聴いていた。
しかしすぐに、何やら暖かい光が俺を包む。すると、見るも無惨なことになっていた腹部があっという間に元の姿を取り戻す。
これは───回復魔法、的な、感じ?
「それと、ペナルティも絶対です。異世島からの違法な脱走には、相応の罰を与える必要があり、それは私に一任されています。分かりやすく、この“痛み”で許しましょう」
痛み。天乙女に言われた通り、俺の体には腹を粉砕された時の、灼熱を思わせる激痛の余韻が治癒してなお色濃く残っていた。
うずくまり、腹を抑える。脂汗はコートをビッチョリにしているし、地面についた膝は削れるくらいガクガクと震えてすぐに立てそうにはない。
異世島から出られないこと、あまりにも圧倒的な暴力に晒されたこと。
その二つは色々と限界を迎えつつある俺に、とある一つの感情を抱かせる。
それは、怒りだ。
コートの中にある───海に落ちてなお、一切故障する様子のない俺のスマホを掴む。それはもう、ただの電子機器ではない。
チュイイイイィィィ……ッ!
大きく鳴り響く駆動音。
マジカルデバイス。それは俺の怒りに応えるように、強く鳴動した。
「おや?」
「へぇ」
天乙女とメメリュが、驚いたように素っ頓狂な声を上げた。
「罰が足りないようですね」
淡々とそう言って、天乙女は俺の顔をぶっ叩いた。デバイスによる身体強化はすでに発動していたが、まるで意味を為していないのではないかと思うくらい、一瞬で意識が持っていかれそうになる───っていうか首から上が無くなったかと思った。
「……ふむ、硬い」
天乙女は、軽く吹っ飛んだ俺が立ち上がるのを見て、もう一度拳を振り上げた。何もやり返す暇がない。流石に次を喰らえば、死ぬんじゃないか。でもさっき殴った上で治してきたよな。ってことは、治しては殴る的な、無限拷問してくる気かな?
俺はムカついた。
ゴォォォン!
まるで大きな鐘を突くような、凄まじい音が肌を震わせる。
「おまえ、『天使』に歯向かうなんて面白すぎるだろ。名前は?」
メメリュが、俺の前に立っていた。
その手には相変わらず野球のバットのようなものを握っていて、強く光り輝き───マジカルデバイス特有の駆動音を鳴らしている。
盾のように構えられたバットには、天乙女の拳が止められている。どうやら天乙女の攻撃から俺を庇ってくれたらしい。
名を聞かれたので、砕けた歯と湧き出る血で喋りにくいけど、答える。
「か…が、ミ…ねイロ」
鏡音色。それが俺の名前だ。すっかり身体は別人になってしまったけど、俺は自分で口にして、なんだか自分を思い出した気になった。
ちなみにメメリュは俺の言葉を聞いたのか聞いてないのかってタイミングで顔面を横殴りにされて吹っ飛んでいった。
「さて、まだやりますか?」
暖かな光が俺を包み、多分とんでもないことになっていた顔面が元に戻っていく。俺はデバイスを構え、まだ怒りを発散していないと強く叫ぶ。
「たりめぇだろ! ぶっ飛ばしてやる!」
「いいぞ『ミィロ』ォ! 私も同感だっ!」
吹っ飛んでその辺に転がっていたメメリュが起き上がり獰猛な笑みを浮かべてそう叫ぶと、天乙女は少し呆れた顔で彼女を見る。
「メメリュさん、貴方にペナルティはありません。しかし、攻撃には攻撃で応えることになりますが」
「上等だ! 濡れ衣着せられて、ぶん殴られてこのまま終われるかボケェ!」
頬をパンパンに腫れさせて鼻血を吹き出している様は端正だった顔つきの面影もない。鬼気迫る表情で、メメリュはバットを構えて強く吠えた。
「ミィロ! 使い方がなっちゃいない! 腹から魔力ブチ込めて叫べ! 魔力全開だァ!」
まるで突風のように、メメリュの体から魔力と呼ばれる不可視のエネルギーが溢れ出す。この辺りいっぺんの大気を呑み込まん勢いだ。その膨大で莫大な魔力量は、異世島の常識を知らない俺にしても、常人離れしたものだと感じる。
「身体強化・起動!」
呪文と同時に、メメリュの持つバット型デバイスに彼女の莫大な魔力が吸い込まれていく。そしてその魔力を使用して、デバイスに刻み込まれた術式が発動した。
バットが明滅し、頂点から持ち手まで何筋か強い光を蓄える。
俺は、その様子を見てすぐに自分も構えた。彼女もやる気なのだ、俺も、一発やり返さなくては気が済まない。
魔力の使い方なんて誰にも教えてもらっていない。しかしまるで自分の手足のように、いつの間にかそこにあって、かつての肉体に無かったからこそ馴染みがなく、故に……俺ははっきりと知覚できたのだろう。
「魔力全開───身体強化・起動っ!」
細かい使い方が分からずとも、蛇口を全開まで大きく捻る事くらいならできるのだ。
*
「えっ。『天使』に喧嘩売ったの?」
すっかり長くなってしまったが、裏から戻ってきては異世島脱出決行あたりからの俺の話を聞かされたガゥダーさんがドン引きした顔でそう言った。
ちなみに『天使』とは異世島における神の遣いみたいなもんで、天乙女さんはその一人ってことだ。
異世島の絶対的なルールである『絶対界法』を破ったら出てくる……まぁ、くっそやばい、逆らうなんてありえない存在だ。
「死刑じゃ、なかったしねぇ。まぁものすごくボッコボコにされたけど」
「そりゃそうだろ……」
メメリュがその時のことを思い出して溜め息を吐く。
あの後二人で天乙女に襲いかかったのだが、見事に返り討ちにあった。ボコボコどころか、スプラッタ手前……いや、スプラッタだったかもしれない。しかし、天使の裁きは死を許さなかった。回復魔法で治しては、殴ってくる。流石に途中で降参して二人で土下座したのは今でも思い出せる。
「いや、なんかもう天乙女別次元に強すぎでしょ。身体強化フルなのに、軽く腹貫通するパンチとかおかしいでしょ」
「ほんとほんと、私生まれてきて一番勝ち目ないなって思ったわ」
ねー。と二人で顔を見合わせて言う。ガゥダーさんはドン引きしたままだった。
「そりゃそうだろ……普通喧嘩売らねぇって……」
異世島の常識で考えればそうである。しかしあの時の俺はまだ異世島に来て初日だったのだ。常識なんて知らなかったし、異世島の住人であるメメリュが好戦的だったからその空気に呑まれてしまったのだ。
「結局、なんの話なんだっけ……」
なんだか俺のことを見る目が変わってしまったような気がするガゥダーさんがそう聞いてくるので、俺はそもそもなんの話をしていたのかを思い出す。
「あ、そうそう。だからハンター登録して、俺自身を異世島に識別してもらおうと思って、そんで魔力封印措置を受けられるようにランクを上げるんだ!」
と、いうわけである。
素性も出自も怪しいし、もはやメメリュと同質の俺が手っ取り早く立場を得られそうだったのが、異世島における最大で有名な自由業である簒奪者だったのだ。
「へぇ封印措置か。ランク7以上ってなるとめっちゃ大変だけど頑張って」
「ちなみに私はランク3」
……いきなりランクがどうこう言われてもよく分からない。