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第八十六話 トウセンショウ

 真神身神社を中核とするヒノカミヒメの神域は拡大の一途を辿ったが、広がっているのは人の手の入っていない、葦原の中つ国とはかくの如くと評すべき光景だ。

 神域は主である神にとって自分だけの領地であると同時に、その心や在り様を反映する鏡のような空間だと夜羽音は言う。


 境内こそソルグランドの手によって現代文明の趣が一部あるものの、外に広がる光景を見れば、ヒノカミヒメが日本に根付いた純然たる日本神話群の女神である証明となるだろう。

 日本人の精神の奥に根差した原初の光景、日本のイメージそのものが真神身神社の外に広がる世界なのかもしれない……などとソルグランドは神域の中をたっぷり三時間かけて散策した帰り道に、考えていた。


「いっそ静かすぎるくらいだが、神通力なんてものを回復させるには、似合いの場所か」


 真神身神社での休養三日目の昼。ワイルドハント司令部には緊急通信用の大鏡を残し、今日も今日とて時間の流れを忘れるような過ごし方をしているソルグランド。

 境内に組み立てた長椅子に腰かけたソルグランドの膝の上には、ヒノカミヒメの頭が置かれていてスヤスヤと小さな寝息を立てている。膝枕だ。

 親鳥の後をついて回るヒヨコかカルガモのように、ソルグランドにくっついて回るのがヒノカミヒメの日常だ。


 今日も今日とてソルグランドの散歩に付き合って、山野と川沿いに咲く花や実った果実を見て回り、風に揺れる枝葉の合奏や川のせせらぎに耳を傾けて、穏やかな時間を過ごした。

 ソルグランドが休養に入ってから、幸い魔物側に新たな動きはなく、ナザン調査拠点の復旧と人員の編成も順調に進んでいるという。

 人類やカジン、妖精との連絡は夜羽音が一手に引き受けてくれている。それが高天原のいと貴き方々より任せられた彼の役目とはいえ、ソルグランドが激闘を乗り越えるにつれて、過保護になりつつある夜羽音であった。


(思ったより神通力の回復が速い。これなら後四日、丸一週間で戦えるようになる。苦殺那祇剣を作り上げた時よりも、俺に対する感謝や信頼の情が増したおかげか。善因善果というものかね。それとも情けは人の為ならず、か?)


 左手でヒノカミヒメの頭を撫でながら、テーブルの上のコップに右手を伸ばしたところで、不意にソルグランドは首筋がチリチリとする感触に襲われる。邪気は感じないが、何か強い力の塊が近づいてくる?


「ヒノカ──」


「!!」


 健やかな寝息を立てていたヒノカミヒメはソルグランドが呼びかけるよりも速く、まるで発条仕掛けのおもちゃのように跳ね起きて、そのまま風のような速さで山道のど真ん中に移動し、社を正面に見つめる位置で足を止める。


「これはただ事じゃないな。ヒノカミヒメ、何が起きているか分かるかい? 強い力が近づいてきているのは分かるんだが」


「間違っても敵ではございません。ただ、私も少々どうすればよいのか、対応に困る方ではございます」


「対応に困る方、か。単独なのがまだ救いかなあ」


 敵ではないとヒノカミヒメが断言してくれたおかげで、ある程度、緊張と警戒は解けたがヒノカミヒメが緊張しているのもまた確かだった。

 魔物少女達を前にしても緊張一つしない彼女がこうなるのだから、よほどの事態が発生しているらしい。

 戦闘態勢を整えるわけにも行かない様子で、ソルグランドとしても様子見する以外にこれといった選択肢が思い浮かばない。


 とりあえずヒノカミヒメの左隣に歩いてゆき、同じように社へと目を向ける。中に収められた大鏡を通じて、誰かがやってくるのだろう。

 二人して不意の来客の到着を待ち始めてからすぐ、大鏡の鏡面と共に空間が揺らいで誰かがこの神域に入ってきたのが伝わってくる。


 一つは慣れ親しんだ夜羽音の気配。それにマジカルドールのような、そうでないような気配が同行している。

 独りでに障子が開き、夜羽音と見慣れないマジカルドールが姿を見せた時、咄嗟にソルグランドは片膝をついて頭を垂れた。許可を得ないまま、視線を向ける無礼を避ける為だ。

 考えてした事ではない。純粋な女神の肉体がマジカルドールの中身が、異郷の神であると判断したのを人間である大我が感じ取り、神を前にした人間の行動を取ったのである。


「ただいま戻りました、ソルグランドさん、ヒノカミヒメ。事前の報せもなしに申し訳ありませんが、お客様をお連れしました」


 夜羽音は片膝を突くソルグランドと客に向けて会釈するヒノカミヒメの姿を認めてから、参道に降りた客と二人の間で滞空した。

 女神として振舞うヒノカミヒメと人間として振舞うソルグランドの姿を見て、そのマジカルドールは大きく破顔した。懐かしい友人に遭ったような気持ちになる、不思議な笑顔だった。


「突然の来訪、心よりお詫び申し上げる。異郷の新しき女神殿、そしてまた女神の代行者たる人の子よ。故あって名乗れぬ無礼をどうか許されよ。

 先の異星ナザンでの見事な戦いぶりは、我らの間でもたいそう評判で誰もがあなた方を賞賛していた。魔法少女ソルグランド、顔を上げられよ、そして立ち上がられるがよろしかろう。

 名乗らぬ限りにおいて俺が何者であるかを知る術はなく、目線を合わせたとてなんの無礼にもなりゃしねえからよ」


 途中までの畏まった口調を放り投げて、マジカルドールは砕けた口調でソルグランドに語り掛けた。その方が自分もやりやすい、と言外に告げる言い方に、ソルグランドは素直に従うことにする。

 立ち上がって、改めて夜羽音の連れてきたマジカルドールを無礼にならない程度に観察する。

 背丈はそれほど高くない。百五十五センチかそこらか。黄色と赤を基調とした中華風の道着に、簡素な手甲と脚甲を纏い、臀部からは猿の尻尾が伸びている。愛嬌のある愛らしいアジア系の顔立ちだ。


「ではお言葉に甘えて失礼いたします。改めてソルグランドと申します。人間としては真上大我。女神ヒノカミヒメ様の玉体を一時的にお預かりし、魔物との戦いに臨んでおります」


「はっはっは、そこまで畏まることはねえって言ったばかりじゃねえか。真面目な爺さんだね。隣のお嬢さんなんか、あんたに様付けで名前呼ばれたくらいでショック受けてんぜ」


 ケラケラと笑うマジカルドールの容姿に、ソルグランドは見た目の印象通りだったらまず間違いなく中身はアレだとほぼ確信していた。三蔵法師と一緒にありがたい経典を求めて天竺を目指した……


(超有名どころじゃねえか)


「本当なら俺以外にも何柱か挨拶に来るはずだったんだが、本来、人間であるあんたといたずらに縁を結ぶのも良くないって話になってな。それにこの国の神々の不興を買っちまうから、ご近所の俺だけ挨拶しに来たってだけさ」


「それはご丁寧に。畏れながら、マジカルドールの身体を使っているということは、今後、魔物との戦いの場にお出になられるのですか?」


 許しを得ても畏まった言葉遣いを続けるソルグランドに、それ以上、マジカルドールは訂正を求めなかった。ソルグランドの好きにすればいい、というわけだ。

 他神話の神々と接するのが初めてのヒノカミヒメは、大我に負けず劣らずの緊張を覚えながら一柱と一人のやり取りをハラハラと見守っている。


「出るもなにも、本当は気づいているだろう? この前のラグナラクとの戦いの時、俺以外にも二柱がマジカルドールを借りて、ちょいと時間稼ぎしたのをさ。

 残留していた神気は微量の筈だが、その新しい女神さんの肉体はヒンドゥーで言えば女神ドゥルガー、仏教でいえば准胝観音に相当する。備わっている基礎的な能力だけで、察せられただろう?」


「ラグナラクの足を止めていたのが、魔物少女達だけでなかったのは明白でしたから。それに世界ランカーの魔法少女でも、ラグナラクの足止めが出来る者は限られています。

 あの時の戦いで魔法少女の増援がなかったのは確認が取れていますから、答えはおのずと分かるものです」


 なおソルグランドはラグナラクを足止めした後、神々が撤退したものと思っているが、実際は出力に耐えきれずに自壊している。今使っているのは専用に調整されたものか、練習用の躯体だろう。


「そうかいそうかい。肉体ばかりでなくそれを操る方も察しが良いらしい。この国の上の者達との話し合いも済んでな。次の大きな戦いからは、地球の各神話群から立候補した連中がいくらか参戦する。

 本来、人間用だったマジカルドールを神用に調整するのに手間取ったが、これから少しはお前達の助けになってやれる。少しは期待してくれていいぜ。

 信仰が遠のいたか、絶えて、歴史や知識だけの存在になり果てていた奴らなんかは、見ていて引くほど気合が入っているくらいだ」


「畏れながらお尋ねします。地球には多くの神々が居られますが、やはり信仰の復活、あるいは神々の実在の証明を考えておられるのでしょうか」


「ふふ、こちらの神々にも問われたよ。今も信仰を受けている連中と、そうでない連中とでは事情があまりに違うが、今回みたいな異常事態でもなければもう人間が栄えるのも滅びるのも、人間が決める時代さ。

 求められたら応じたくなる気持ちは分からんでもないがね。人の栄達も滅びも、星や太陽が生まれ、滅びるのもまたこの大いなる宇宙の流れの一つに過ぎないのだ。その流れに抗う自由が人間や妖精にはあるってだけの話よ」


 神や仏とて真に不滅かどうかは分からねえが、とただの人間が耳にするには恐ろしいことを口にするマジカルドールに、ソルグランドは溜息を吐きたい気持ちを抑えながら尋ねた。


「お答えいただきありがとうございます。ではもう一つだけ。マジカルドールに入っている間、貴方様をなんとお呼びすればよいのでしょうか?」


「お、そうだな。現場で一緒に戦うんだ。名前ぐらい知らなくっちゃな。魔物相手じゃ名乗りを上げる甲斐もねえし、今の内に伝えおくか。俺はマジカルドール“トウセンショウ”と覚えてくれ。

 他の神話の連中と一緒に妖精女王肝いりの特殊部隊って触れ込みで、参戦する予定なんだよ」


 トウセンショウ……漢字に直せば闘戦勝か。ちなみかの西遊記に登場する孫悟空の仏としての名は大力王菩薩の他、闘戦勝仏(とうせんしょうぶつ)とされている。


「それは、隠している意味があるので?」


「はっはっは、そう思うだろう? 俺もそう思う。ただ魔法少女にはもう俺をモチーフにした娘っ子が居るし、神話やおとぎ話の登場人物にあやかるのは前からあった話さ。

 闘戦勝仏にあやかった少し特殊なマジカルドールが、この俺、トウセンショウってことで納得してくれるかい」


 そう言われてソルグランドに断る選択肢があるわけもなかった。ほんの少し恨みがましく夜羽音に視線を向けると、おそらく突然、案内を言い渡されただろう夜羽音は気まずそうに頭を下げるのだった。

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