第七十五話 甘い奇跡
すり鉢状の巨大なクレーターの底で、空間が歪んで見える程の重力に拘束されるラグナラク。卵とも繭ともつかぬ休眠状態の姿を、遠方から巨大戦闘母艦ザンエイは観測していた。
ここまで運んできた魔法少女と妖精達は既に出撃を済ませて、扇形に布陣して合図を待っていつでも攻撃を行える用意を整えている。
ザンエイの広大なブリッジには地球から持ち込まれた管制機器とオペレーター達が配置され、作戦の現場指揮を任されたマジカルドールが司令席に腰かけ、艦長席にはイギリス海軍で提督を務めた人物が中に入ったマジカルドールが座っている。
とはいえこれまで人類が手掛けたことの無い、空を自在に飛ぶ巨大というのも馬鹿らしい巨大戦艦だ。どんな船乗りであっても、その経験を活かせるか分かったものではない。
そんな状態でも艦をどうにか扱えているのは、ほとんど量子コンピューターが自動で制御してくれているのと、あらかじめカジンが地球側の規格に合わせて調整しておいてくれたからだ。
実際にこれほどの異星テクノロジーの産物を地球人類と妖精の手だけで運用するには、年単位の時間を必要とするだろう。
ブリッジにはソルグランドを訪ねた時と同じ姿のカジンも顔を出しており、ザンエイの観測機器が捉えるラグナラクの姿に何を思っているのか。
妖精の操るヌイグルミ達は全高数十メートルのサイズに見合う巨大な銃火器や弓矢、杖を装備し、いつでもラグナラクに攻撃を加えられる用意を整えている。
マジカルドール達も超遠距離支援の為に用意された装備の点検に余念がなく、選抜に選抜を重ねた魔法少女達も、緊張に心身を浸しながら息を呑んで作戦開始の合図を待つ。
大量に投入されたカジン達の兵器によってクレーターだらけになっている荒野には、ソルグランドを筆頭とするワイルドハントの姿もあった。
緊張が度を越した結果、一周回って落ち着き払った様子のアワバリィプール、いつでも天の羽衣を発動できる用意を整えたザンアキュートとソルブレイズ、そして背中に光輪を背負い、神々しすぎる程の輝きを纏うソルグランド。
初めて見る程の魔法少女や妖精達に囲まれながら、全員が星食いの怪物との戦いを前にしているとは思えないほど落ち着き払っている。
ひとえにソルグランドの存在が大きい。どんな強敵も苦境も全て勝利し、人類と妖精と未来を切り開き、希望を見せてきた勝利と導きの女神が、今も自分達と共にいると安心できるのだ。
本人は今でも俺一人でどうにかできないかな、と考えては知恵ある神々の分霊成分が極めて困難と否定し、感情をなだめるのを繰り返している。
そんなソルグランドに、通信機を通して話しかけてくる声が複数あった。
数キロメートル離れた場所に布陣している他の魔法少女達──日本から出向となったファントムクライ、ジェノルイン、ワンダーアイズ、ユミハリヅキら精鋭集団の内、ランキングを考えれば場違いのダンシングスノーだ。
ソルグランドが一度だけ、窮地に陥った彼女を救った縁があるが、それ以上は縁を深める機会もなく今日まで至ったのだが、彼女がこの場に居る理由をソルグランドは知っていた。
『お久しぶり、ソルグランド。貴方の活躍はしょっちゅう私の耳にも届いているわ。活躍もそうだけれど、お元気そうでなによりよ』
「おお、ダンシングスノーか。君も元気そうでなによりだ。それに天の羽衣に適応したって話も聞いているよ。今回はたっぷり頼りにさせてもらっていいかい?」
『ええ、もちろんよ。貴方に助けてもらったお礼を今日まで出来ないままだったんですもの。それじゃあ、私の沽券に関わるわ』
通信機の向こうでツンと澄ましているダンシングスノーの横顔を思い描き、ソルグランドは背伸びをする孫娘を相手にしている気分になって、微笑んだ。これで笑い声が聞こえたら、ダンシングスノーの機嫌を損ねたところだろう。
なにがおかしいのかしら? と追及してくるに違いない。接した時間は短いが、気位の高い少女であるのを、ソルグランドは覚えていた。
「お礼をしてもらうには随分と厳しい状況になっちまったが、やる気に満ちた仲間がいてくれるのはありがたいやね。ただくれぐれも無茶はしてくれるなよ、俺の心臓に悪い」
『一番に無茶しそうなのはソルグランド、あなたではなくて? 元から日本中あちこちを飛び回って、縁もゆかりもない魔法少女を助けて回っていた人なんですもの』
的確な指摘と言えた。一度死んだ身だから、という割り切りとこれまで子供らばかりに戦わせていた、大人達が普遍的に抱える罪悪感の所為で、ソルグランド──大我は我が身を真っ先に危険に晒し、自己犠牲を厭わない戦い方になっている。
「他の誰かが無茶をするより自分が無茶するのが、一番、気が楽なもんでね。客観的に見てもよ、無茶をした後で一番リカバリー出来るのも俺だから、俺が無茶をするのが妥当だろう?」
『そもそも無茶も無理もしないように準備をしておくものでしょう。これだけの魔法少女と妖精達を動員しておいて、あなたにだけ無茶をさせてしまったら、私だけではなく誰もが自分の不甲斐なさにお腹の中が煮えたぎるわね』
とはいえ今回の戦いではソルグランドだけでなく、戦場にいる全員が無茶をしてもまだ足りないかもしれない。それほどの敵だ。ダンシングスノーもそれを分かった上で、ソルグランドだけが無茶をするな、と暗に窘めているのだ。
「ふふ、口の勝負だと俺に勝ち目は無さそうだ。君達を頼りにしながら全力で戦う。それでこれ以上、いじめるのは止めてくれないかね」
『あら、人聞きの悪いことを。でもこれだけあなたに言ったのだもの。それだけの働きはして見せるわ。もちろん、無茶も無理もなしでね?』
「俺の心臓の為にもそうしてくれると嬉しい」
どうやらダンシングスノーからの“口撃”を凌いだらしいぞ、とソルグランドは一安心。二人の会話をワイルドハントのみならず他の前線部隊も聞いているが、彼女らの緊張も少しは和らいだだろう。
かつて特級魔物の出現で人類絶滅の危機に追いやられた時と同じか、それ以上に人類と妖精が一致団結し、更に異星の生き残りであるカジンらの協力もある今回の一大決戦に緊張していない者などいない。
ダンシングスノーが矛を収めるのを見計らっていたように、明るい声が通信に加わる。アメリカから参戦しているスタープレイヤーだ。
『ソルグランドも口の勝負では最強ってわけでもないのね! ふふ、良いこと知っちゃったわ』
それにイギリスからビクトリーフラッグと共に参戦したブレイブローズも、戦闘を前にした最後の猶予の時間に参加してきた。
『そうけ……そう? 私は親しみやすさを覚えて、良かったと思うけれど』
「二人とも、この間、助けてもらった時以来だな。あれから特に強力な魔物の出現はなかったが、きちんと休めたか? 俺の方は万全だぜ」
『もちろんよ! この戦いに参加する魔法少女は地球代表みたいなものじゃない? 選ばれた以上は恥ずかしい真似は出来ないもの! これまでで最っ高のパフォーマンスを見せてあげる!』
『私もブレイブローズの名前に恥じない戦いを御覧に入れます。勝利の暁にはお茶会にご招待させていただきます、ソルグランド』
通信機の向こうから聞こえてくる自信に満ちた声に、ソルグランドばかりでなく通信を聞いていた他の魔法少女達もラグナラクとの戦いを前に抱いていた不安や恐怖を和らげる。
そう、ここに居る者達は魔法少女の上澄み中の上澄みだが、ソルグランド、スタープレイヤー、ブレイブローズはトップ五人の中に名を連ねるだろう最強達。
このメンバーで勝てなければ、もうどうしようもないくらいの豪華なメンバーなのだ。そして、そのメンバーにはこの魔法少女も含まれていた。三人の通信に新たな声が加わる。
『楽しいお話し中にお邪魔してごめんね。こうして直接話すのは初めてよね、ソルグランド? 魔法少女スイートミラクルよ。名前くらいは知ってもらえていると思うけど……』
「もちろん、名前も顔も、それからこれまでの活躍もよく知っていますよ。ワールドランキング第一位、世界最強の魔法少女スイートミラクルを知らない人間なんて、地球だったら産まれたばかりの赤ん坊くらいのものでしょう」
これまで最も人類存続に貢献してきた魔法少女を相手に、ソルグランドの声には紛れもない敬意が込められていた。
長らく世界最強の称号を冠し、今もワールドランキングトップに君臨している偉大なる魔法少女こそ、このスイートミラクルだ。
ソルグランドと共にラグナラクに対するメインアタッカーの役割を任されており、支援魔法を得意とする魔法少女達と部隊を組んで、別の場所に布陣している。
十代の少女達の中にあって唯一、二十代の容姿をベースに手足は白く、胴体は緑色をベースにしたパンツスタイルの衣装に身を包み、栗色の髪の毛がストレートに長く伸びている。
百七十八センチのすらりとした身長に、他の魔法少女よりもずっと大人びたスタイルと雰囲気は、周囲から見て余裕と自信に満ちているように見える。
スイートミラクルは現役魔法少女最高齢の二十九歳。十二歳で魔法少女に覚醒してから、今日に至るまで魔物との過酷な戦いを勝ち続けてきた生ける伝説。
人類にとって最高にして最大の戦力。眩く輝く希望の星。初めて単独で特級魔物を撃破した紛れも無き偉人その人である。
『貴方に世界最強って言われると、むず痒くなるわね。ふふ、今では貴方こそ最強に相応しいって評判なのに。私も実際、そう思うしね?』
「さっきから他の皆さん方もこの通信を聞いているんだが、貴女が俺を最強と認めるって発言はかなり問題なのでは?」
実際、通信機の向こうからいくつか息を呑む音や言葉にならないざわめきが漏れ聞こえてくる。
これまでのソルグランドの戦いぶりから、世界最強の呼び声が高まっていたとはいえ、これまで長らく世界最強と呼ばれていたスイートミラクル本人が認める発言をしたとなれば、言葉の持つ重みが桁違いとなる。
『いいじゃない。事実は事実として認めないとね』
朗らかに答えるスイートミラクルだが、どこかほっとした響きが含まれているのを、ソルグランドは聞き逃さなかった。日本の特災省九州支部でザンアキュートに泣かれた時とよく似ていると思った。
十代から青春を奉げ、三十路手前になるまで人類からの期待と重圧を背負って戦い続けたスイートミラクル。きっと弱音を吐ける相手など数える程も居なかったろう。
そんな彼女の前に自分を超える魔法少女が突如として現れたのだ。いったいどれほどの衝撃を受けたことだろうか。あるいはもっと早く現れて欲しかったと嘆いたかもしれない。あるいはこれでようやく肩の荷を降ろせると喜んだかもしれない。
きっと本人も自分の感情を言葉にすることは途方もなく難しいに違いない。そんな複雑な感情の果てに、今、ソルグランドを前にスイートミラクルが表現しているのは、ささやかな安堵だった。
「ま、本人にそう言われたのなら俺も胸を張って、俺こそ世界最強の魔法少女だって宣言してみるか。安心して全部俺に任せて楽隠居してもいいんじゃないか?
ああ、でも隠居っていうには若いか。ならこれまでしたくても出来なかったことを、全部やってみるとか。魔法少女ってのは使い道がないか、使いきれない報酬が山ほどあるものなのだろう?」
スイートミラクルの心情を察し、おどけるように告げるソルグランドの気遣いを、スイートミラクルも察し、思いがけず内心を吐露してしまった自分を恥ずかしく思った。
ソルグランドに対して、戦いの前だというのに甘えてしまった自分は、緊張感が緩んでいるどころではない。緩んだ気持ちをきっちりと引き締める必要なければ、と強く自制した。
『ふふ、つい貴方こそ最強って口にしちゃったけど、これでも十年以上、ランキングトップだった意地だってあるもの。引退するまで最強で居続けるつもりよ。貴方にも簡単には最強の座を明け渡すわけにはいかないわ』
「それくらいの気概がある方がこっちも張り合いがあるってもんさ。いいじゃないか。最強と呼ばれる二人が揃って肩を並べて戦うんだ。魔物の最終兵器だが決戦兵器だが知らんが、負けやしないさ」
『ええ、心から同意するわ。まだ始まってもいない内からこんなことを言っては、油断していると思われるかもしれないけれど、今回の戦い、勝つのは私達よ』
この通信を聞いている全ての魔法少女と妖精達を鼓舞する為の言葉だったが、スイートミラクルは言葉の通り絶対に勝てるとそう信じていた。そう信じなければならなかった。
次から地獄の大決戦!




