第七十四話 恥を忍んで
「いくらお前があたし達に食べ物を寄こしても、なびくと思うなよ。ラグナラクに無謀な戦いを挑んで、すり潰されてしまえばいい」
「そういう生意気なセリフは食べるのをやめてから言うんだな」
ソルグランドは反抗心剥き出しのディザスターに対し、刃のような歯を生やした口の中に皮をむいた栗を放り込んでやった。
モグモグと口を動かしているディザスターの見た目だけはそれなりに可愛らしいのだが、口を開けばコレだ。ヒノカミヒメに天滅之無羅苦莽剣で粉砕された反抗心は、どうやらすっかりと復活しているらしい。
「というか何度でも聞くけどよ、そのラグナラクはお前さん達と俺達を区別しないで、まとめて壊そうとしてくるぜ。
壊すというよりは、分解と吸収されて再利用される感じだが、だから怖くないのか? またプラーナに分解されて、造物主の役に立てるとそう思っているのか?
お前さん達にとっては自分の名前も意思も消えなくなっても、それでも構わないと? 俺なら真っ平ごめんだ。せっかく“自分”ってもんがあるんだ。自分の意思で自分を生きなきゃな」
「……それは、あたし達の作られた意義を全うしようとするのがおかしいと言いたいのか?」
「そこまでは言わねえよ。生まれた理由が最初からはっきりしているのは、ある意味では幸せなこったろう。ただお前さん達の場合はそれ以外に目を向ける考えすら持ってねえだろう?
これから自由を得る可能性だってあるだろうに、お前さん達はそれを生みの親から奪われようとしているんだぜ。本当になんとも思わねえのか?」
今度こそディザスターは押し黙った。ソルグランドの言っていることを、完全に理解していないだろう。それでもなにかしら、彼女の心に響くものはあった。だからこうして口を閉ざして、自分の心と頭の中で言われた言葉を何度も反芻している。
実際のところ、魔物側の初めての捕虜となった魔物少女達が今後、どのように扱われるのかはまだ不明な点が多い。初めて知性を備えた魔物を捕縛した矢先に、異星人の生き残りと接触し、更には過去に類を見ない強大な魔物の復活を知らされたばかりだ。
今もこうしてソルグランド主導の形で拘束が続いているのも、人類と妖精達に代案を示す余裕がないからだ。ラグナラクを首尾よく撃破できたなら、その時には改めて魔物少女達の処遇について、新たな道が開かれるだろう。
シェイプレスはソルグランドに言いくるめられたディザスターを横目に、自分達に起きた変化を魔物少女の中でもっとも敏感に察していた。
自分の身体を体積も含めて自在に変化させるシェイプレスだからこそ、気付けた些細な変化が確実に、ソルグランドから与えられる神饌を口にする度に進んでいる。
(私でも解析しきれない未知の成分による微細な変化……。私達の何かを変えられているのに、何を変えられたのかが分からなイ。いや、私を含めた四体の変化はソルグランドとのコミュニケーションを、消極的ながらもとろうとしているこト?
我々自身に気付かれないように変化させて、人類側に引き込む為の一手ということなのだろうカ。最初にソルグランドにあれらを食べさせられた時点で、すでに手遅れだったのかもしれなイ)
造物主とさえこれほど濃密なコミュニケーションをとったことはない。製造された際に目的と目的遂行の為に必要な知識を与えられただけで、それ以上に成果を期待する言葉も、失敗した際に与えられる脅しの言葉もない。
ソルグランドとの対話が新鮮な行為であるのは、シェイプレスも渋々ながら認めるところだが、それにしたって全員が口を滑らせすぎだ。確実に影響を受けている証拠と言える。
(万が一にもソルグランドがラグナラクに勝てるとは思えないが、ラグナラクがこの星を食べ始めた隙に脱出できるよう備えておくべきですネ。しかし我々が戻ったとして、造物主様はどのようになされるものカ。
地球とフェアリヘイムに送り出されるのならまだしも……。いや、待て、私は造物主様の意見に口を挟むようなことを考えたのカ? 再び兵力として使っていただけるのなら納得して、解体からの再利用には不満を抱いタ。
こんな疑問を抱けるほどに我々はすでに作り替えられているだト。ああ、ここまでされてしまっては、造物主様の下へ戻ったとしても、不良品として処分されるだけダ)
自分達の思考があまりに自由に行える事実に、拘束される以前との差を自覚し、シェイプレスは静かに、そして深く絶望した。
そう、今の自分には絶望などという余計な機能が芽生えてしまっている! この認めがたい事実そのものがシェイプレスにとっての絶望と恐怖だった。
ソルグランドとしては少しでも効果があるといいなあ、くらいの軽い気持ちで行ったヨモツヘグイ兼神饌による餌付けは、表面的には分かりにくいが魔物少女達の深部を着実に変化させつつあった。
シェイプレスに深い絶望を与えたとは知らぬまま、本日の餌付けと尋問を終えたソルグランドは孫娘達を引き連れて禍岩戸を後にし、尋問で得られた情報をワイルドハント司令部に端末で送信しつつ、ナザン基地に足を運ぶ。
地球ら資材と人員を送り込み、大急ぎで建設された拠点はとりあえずの完成となり、ナザン基地と正式に命名されている。
「それじゃま、次はお互いに邪魔をせず、助け合えるようにチームワークを深めるとするかね」
祖父世代の年長者として、また戦力的にもラグナラク戦でメインアタッカーを務めるソルグランドがナザン基地の正門前で孫娘達に呼び掛ける。
許された時間は残り少ないが、少ないなりに有意義に過ごすべきだとワイルドハントのメンバー全員が思っているのは確かだ。
「ナザン基地のシミュレーターの精度はどの程度なのですか、ソルグランド様?」
「最新式のが搬入されていたはずだ。現実の方で俺達がラグナラク戦を想定した出力でやり合ったら、半径数十キロは焦土になるからな。シールドがあっても安心できん。やっぱり仮想空間内でのシミュレーションが妥当だろう」
ザンアキュートの問いかけに、ナザンの滞在時間では先輩のソルグランドが記憶の棚を漁りながら答える。特にラグナラク相手となると、草薙剣にあやかった最後のとっておきを使う必要が出てくるだろう。
とんでもなく堅固かつ特殊な能力を備えている敵だから、使いどころを見誤ると一気にこちらが全滅する恐れもある。
「ラグナラク戦で使うつもりの手札は、あらかじめ皆に見せておくつもりだぜ」
死力を尽くした戦いになるのは、もはや言うまでもない。ただ、今回はソルグランドばかりでなく上澄み中の上澄みである魔法少女のトップ層と妖精達全員が死力を尽くす必要がある規模なのだ。
神懸った、どころか真実、日本の神々の手掛けた美貌を引き締め、この上なく凛々しい表情を浮かべるソルグランドに、アワバリィプールはうっとりと見惚れながら臆病風に吹かれる、という芸当を同時に行っていた。器用なものだ。
「ひええ、今やワールドランキング第一位より強いって評判のソルグランドさんの本気ってことぉ? 頼もしいけどそれが必要になる戦いってことですもんね。今からでもいいから、あたしもなんとか天の羽衣に適応しないかな~」
それでも戦う気概は固まっているのだから、勇気のある少女なのは間違いない。
人類と妖精、カジン達が協力してはじき出した、復活後のラグナラクのデータは既にナザン基地のシミュレーターにも入力されている。
敵も味方も準備は万全とは行かぬまでも、なにもしないまま三日間を過ごすよりはよっぽど有意義な時間を過ごせるだろう。この惑星ナザンと今後の魔物との戦いの趨勢を占う戦いでもある。手を抜けるところは欠片もない。
「今から新たな力を手に入れても、それを使いこなせないと意味がないよ、アワバリィプールさん。天の羽衣って基本的にもともと持っていた固有魔法の出力向上とか、解釈の拡大がメインなんだけれど、強化内容の把握にも結構時間が要るから大変だよ?」
アワバリィプールが腕を組んでウンウンと唸るのに、天の羽衣に関しては先輩のソルブレイズがそんなにいいものではない、とばかりにアドバイスを送る。
ザンアキュートとソルブレイズは万全のバックアップと時間の余裕があった上で天の羽衣を習熟できたが、この短時間でアワバリィプールが天の羽衣を獲得してもそれほどプラスにはならないのではないか、とソルブレイズは考えていた。
「うーん、付け焼刃じゃ足手まといになるだけかなあ。はあ、うん、今ある手札をもっと上手に使いこなせるようになるのが正解だね、うん。頑張るよ!」
「うん、その意気だよ、アワバリィプールさん。ラグナラクがどれだけ強いかは分からないけれど、カジンさん達は私達なら勝てるって思ったから話をしてくれたんだし、勝ち目はある!」
グッと握った拳を突き出して力強く宣言するソルブレイズに乗せられて、アワバリィプールもやる気に満ちた顔になって、落ち込んだ気分を再び盛り返せたようだった。
「うん、うん、そうだね。いちいち落ち込むのはもう止め止め。星を食べる怪物だって倒すしかないんだから、倒しちゃうもんね。そんで魔物の親玉をギャフンと言わせよう!!」
「そうそう、その意気、その意気!」
盛り上がりを見せるソルブレイズとアワバリィプールを横目に、ザンアキュートは呆れるように笑う。凸凹コンビだと少しくらい思っているのかもしれないが、ぬくもりのある笑みだった。
見ればソルグランドも同じような笑みを浮かべている。こちらは孫娘とその友達の触れ合いを見守っている祖父の笑みというのが正確なところだ。
死地に挑むのがソルグランドを除いて十代半ばの少女達という残酷な現実は変わらないが、それでも今、この瞬間、ここには良いものが、温かなものがあった。
「ふふ、アワバリィプールはアレが普通なのかもしれませんね。あまり心配しなくてもなんとかなりそうだわ」
「君も含めて厄介な戦いに付き合わせて悪いと思っているが、今更戦うなとは言わん。全員で生きて帰って、勝利を明るく祝えるように頑張ろうや」
「はい。必ずや勝利の美酒をソルグランド様と、そして共に戦う全ての人々と妖精で味わいましょう」
勝利の美酒とはこれまた洒落た言い回しをするなあ、とソルグランドは感心しながら、ザンアキュートに頷き返した。
本来の肉体から戦闘用の魔法少女の身体に意識を映しているザンアキュート達は、例え魔法少女の肉体が消し飛んだとしても命に危険が及ぶことはないが、ソルグランドは……
ソルグランドが敗北した時、本来、ヒノカミヒメのものであるこの肉体から真上大我の意識はどうなるのか、それをおくびにも出さず、ソルグランドはただ頼りがいのある笑みを浮かべるだけだった。
あるいは内心にある恐怖を押し隠し、年上の見栄と意地で浮かべる強がりの笑みだったかもしれない。彼とてただ一人の人間であるのに変わりはないのだから。
*
重力アンカーのエネルギー切れを前に、有利な状況を整えた上であえてラグナラクを復活させ、倒す作戦はオペレーション・ドーンオブトワイライト──DOT、“黄昏の夜明け作戦”と名付けられた。
世界の終末、神々の黄昏とされる北欧神話の“ラグナロク”に酷似した名前のラグナラクに対し、黄昏を越えるという意味からのネーミングである。
地球の動かせる有力な魔法少女達、更にナザンの環境に適応が済んだ一部のヌイグルミ、キグルミ達がナザン基地に集結し、決戦の地への出発を今か今かと待っている。
ソルグランドはラグナラクの存在が発覚してからは、海流と気流によるテラフォーミングの拡張を止め、迎撃態勢の充実にプラーナを割り振っていた。
天交抜矛、天魔禍反刺戈、風土埜海食万を組み合わせた強力かつ堅固な安全圏に、新たな異物が入り込んでいた。
巨大な翼を生やした亀を思わせる、全長二十七キロメートル超の白亜の船体がどっしりと大地の上に鎮座している。現在の地球ではまかり間違っても建造できない、規格外の汎用戦闘母艦ザンエイだ。
もとはカジン達が母星を脱出し、別の恒星系への移住を計画した際に建造が進められていた移住船、いわばノアの箱舟と言える。
魔物の想像を超える進行速度に衛星軌道上での建造が中止されていたものを、情報生命体化した後に建造を再開し、数年前に完成していた代物だという。
量子サーバーをザンエイに移設し、星系からの脱出もカジン達の中では議論されたが、母星への愛着とラグナラクに対する責任感から、こちら側の月の裏側に隠されていたのを、ラグナラク討伐に合わせて降下させたのである。
地球では到底建造の叶わない、地上、宇宙で運用可能で更に単独で大気圏を離脱・突入し、恒星間航行すら可能な巨大戦艦に地球人類は改めてカジンの科学力を思い知らされ、度肝を抜かれながら興奮したものだ。
ザンエイに使われている技術の一端でも解明できれば、地球の技術は数十年、あるいはそれ以上進むだろう。ラグナラク撃退の折には地球人類への譲渡が約束されており、地球各国をざわつかせているが、これから死闘に挑むソルグランド達にとってはノイズだ。
未だ人類にとってはSFの世界の産物を前にして鍛えられた軍人達のマジカルドールも興奮を覚えていたが、今は必要な装備と弾薬、プラーナ補充装置などの積み込みを時間ギリギリまで行っていて、ラグナラク討伐に出立する直前まで騒がしい。
各国から作戦に参加する魔法少女達はほとんどが乗艦を済ませて、割り当てられた部屋で休んでいるはずだ。そして最大戦力と見込まれているワイルドハントも既に乗艦して割り当てられた個室に落ち着いている。
さしずめ士官室と呼ぶべきグレードの部屋の内装は、元からなのか地球側に合わせたのかは分からないが、必要最低限の家具とそれなりの広さを持っていた。
作戦実行の前日にラグナラクの拘束されている現地へ到着し、そこから部隊の展開を行って戦闘の用意を終える算段だ。
オペレーションDOTに参加する他のメンバーとの顔合わせと、実際の戦闘での打ち合わせが予定されている中、直前になって思いがけない来客がソルグランドとコクウを訪ねてきた。
『こうして直に話すのは二度目だな、ソルグランド、コクウ。重大な作戦前に申し訳ないが、一度、君達と話がしたかった』
ソルグランドの個室を訪ねたのは、ホログラムによる仮初の身体を投影したカジンだった。身長二メートルほどの青白い人型のシルエットだ。目鼻と口らしい窪みや盛り上がりはあるが、眼球などは見当たらない。
生き残った人々の意識の集合体であるから、性別や年齢の混在したビジュアルとして、手抜きのようにも見える姿を取っているのだろう。
「俺としては別に気にしません。この戦艦は元々あなた方の物で、俺達は協力の対価に乗せていただいている身です。こんなとんでもない隠し玉を持っていられたあなた方だ。話をしたいと言われれば、少し緊張する、というのが本音ですよ」
『君を緊張させる意図はない。ラグナラクとの戦いに悪影響を及ぼす意図はなおさらだ。ただ、例え自分達が完全に滅ぶとしても、地球人類と妖精達に協力するのを決めたのは、ソルグランド、君の戦いを観測した結果なのだ』
「おや」
と意外そうな声を出したのはコクウこと夜羽音だった。八百万の神々の造りたもうた決戦女神が、異星の人々の重大な決断をする後押しをしたとは、流石に予想外だったらしい。
だがソルグランドの戦いぶりを思い返せばさもあらん、と夜羽音も納得が行く。自分達の造り上げた最高傑作と呼ぶべきヒノカミヒメと宿る大我が褒められたようで、誇らしい気分にもなる。
「俺の戦いぶりが? そう言えば俺が連れ込まれたあの戦いが、あなた方にとっては魔物が明確に負ける初めての光景だったわけで、興味を惹くには十分でしたか」
『ラグナラクを別とすれば、あの魔物少女と呼ばれる特殊個体はもちろん、特級と称されている個体群も、我々の文明では後先を考えない大量破壊兵器の投入をしなければ、打倒できない絶望的脅威だ。
それを単独であそこまで翻弄し、戦い抜いた君の──貴方の存在は大きな衝撃だった。同時に魔物に対するプラーナ技術の必要性を改めて突き付けられ、我々にはもう無理でも地球人類と妖精にはまだ希望があると確信もした』
仮にソルグランドがナザンに連れ込まれなかったとしても、ラグナラクの解放からほどなくしてナザンごとカジン達は今度こそ本当の滅びを迎えただろう。
ひょっとしたら星ごとラグナラクを道連れにする手段を持っているかもしれないが、ソルグランドと魔法少女達の存在は、カジン達に母星と共に生き残る未来を繋げ、更に魔物へ本格的な反攻を行える可能性を示したのだ。
『ソルグランド、貴方が他の魔法少女とは根本的なところで一線を画す極めて特異な存在であるのは、察しがついている』
「謎の秘密結社ヤオヨロズの作品ですから、毛色が違うのは事実ですわな」
『貴方はきっと妖精や魔法少女よりも魔物側にとって、巨大なイレギュラーなのだ。既にその双肩に地球とフェアリヘイムの未来という重荷が乗っているのを承知で、我々は恥を捨てて願ってしまう。どうか、我々の、ナザンに生きた命の仇を……討って欲しい』
そうして電子で結ばれたカジンは深く腰を折って頭を下げた。元からこうした所作が存在していたのか、地球側を学習したのかは分からないが、まさに血を吐くような思いでカジンが頭を下げているのは疑いようがない。
青白いシルエットの向こうに無数のナザンの人々の無念と懇願を透かし見て、ソルグランドは小さく頷いてからどこまでも優しい笑みを浮かべて答える。
「どんと任しておいてください。魔物を造った連中の顔面を二目と見られないくらいボコボコにしてやりますよ。それからナザンや地球、フェアリヘイムに手を出したのを心の底から後悔させてやります」
ナザンという惑星一個分の敵討ちも、まるで重荷ではないさと告げるソルグランドの気遣いに、カジンは感謝と申し訳なさ、そして罪悪感を噛み締めるように微笑を浮かべるのだった。
ソルグランドのか細い肩に新たな重荷がドカッと乗せられました。けれどもおじいちゃんは弱音を吐きません。どれだけしんどくても、それが彼の意地であり、優しさであり、覚悟であるから。




