第百四話 時は金なり
「ソルグランドとしての復活。本心からそれを望んでおられるのですね、大我さん」
困ったように笑う夜羽音さんに、俺は大きく笑い返した。
一年弱だがとびっきり濃い時間を一緒に過ごしてきたんだ。俺が本心から言っているかどうかくらい、声色だけでもう分かるだろう。
さっきだって確認したのに、改めて問いを重ねてくるのは夜羽音さんなりの気遣いか。ここまで神に気遣われる人間てのも、珍しいんじゃないだろうか。ちょっとは自慢できるかもね。
「もちろん。混じりっけなしの純度百パーセントの俺の本音ですよ。あのヒノカミヒメの肉体が日本神話の精髄であるのは承知していますから、そう簡単に用意できるものはないと分かっていますけども」
今となっちゃあ他国の神話群からコピー神器を貰っているわけだし、製造と言っていいのか、作成と言うべきなのか、ヒノカミヒメの肉体を求めるのはいくらなんでも無茶だったか?
「ここに至っては正直に吐露してしまいましょう。あなたが再びソルグランドとして活動する為の肉体は、実のところ、用意が出来ております。まったく同じ仕様というわけではありませんので、勝手は変わりましょうが大我さんならさしたる問題ではありますまい」
「それはまた都合の良い。即興で用意できるような代物ではないと、俺でも分かりますがひょっとしてここ最近で用意した代物ではないので?」
俺がこちらで目を覚ましてから用意できるような簡単な代物なら、今頃、もっと数を増やしてネイバーなりマジカルドール部隊なりに配備しているだろう。となると考えられるのは……
「予定通りヒノカミヒメと交代した後、俺が今のように戦いの継続を望んだ場合に備えて、用意されていたので?」
「おっしゃる通りです。あなたがシロスケと呼ぶ御方の推薦により、ヒノカミヒメの身体を委ねましたが、大我さんは我々の予想以上の成果を出された。
また人品卑しからず、勇気があり、慈愛を知る人間でした。故に、ヒノカミヒメが完成した後もその力を求めよう、という考えが出るのも当然の流れと言えましょう。
この星の未来を委ねたとはいえ、人の子にそこまで労苦を強いるのを恥じ入る神も少なくはありませんでしたけどね」
なるほど。ヒノカミヒメが完成して肉体の主導権を明け渡したら、今度こそあの世というか、根の国行きだと思っていた俺だが、そこで新たな肉体を用意された上で戦力なることを求められたら、喜び勇んで頷いていただろう。
「俺にとってはありがたい提案です。魔物との戦いが終わっていなくて、燦や他の子供達がまだ戦っている状況で、自分だけ安寧に浸るわけには行きません。それだって死んでしまったんなら、未練を飲み込むしかありませんが、戦える手段があるのなら喜んでその道を進みますよ」
にかっと笑う俺を夜羽音さんは痛ましさと頼もしさの混じる目で見た、と思う。神様に頼もしいと思われたのなら、この上なく光栄だ。痛ましさがあるのは、こんな世の中だからな。つまりは魔物が悪い。
「大我さんは覚悟を固めるのが早すぎます。いえ、以前から固まっていたというべきなのでしょうか。新たな肉体は人間である大我さんが運用することを前提として、生み出されました。畏れ多くも聖上をはじめ多くの貴き方々の助力の下、完成したのはヒノカミヒメと同じですが、いわば大我さん専用機ですからすぐに馴染みましょう」
「至れり尽くせりとはこのことですね。今すぐに俺がソルグランドになって、惑星ナザンに赴くことは可能ですか?」
再びソルグランドとして戦う選択肢を提示されて、少し逸っているのを自覚しながら、俺は夜羽音さんをせっつくような言葉を口にしてしまった。いかんな。年甲斐もなく、いや、年を食っているから焦れてしまうのか。
「逸る気持ちは分かりますが、ぶっつけ本番というわけにはゆきません。多少の慣らしは必要です。急がば回れと申しますでしょう。幸い、ナザンには散発的かつ小規模な襲撃がありますが、情報収集以上の意味はありません」
「ボイドリアを倒してナラカ・コーラルも攻略したのですから、向こうさんもこれまで以上にこちらを警戒して、情報収集から始めているのですかね?」
あるいはナザンに地球側の戦力が集まっているのを確認して、地球とフェアリヘイム、二つの本丸を落とす算段を立てているかもな。そちらの方が危険だが、次はどうするつもりでいるんだ?
「おそらく。ですがこちらもナラカ・コーラルに続いて攻めの一手に出ます。ヒノカミヒメがボイドリアを撃破した際、その肉体に残っていた記録を奪取し、敵本拠地の位置を把握しました。空間跳躍いわゆるワープ技術を確立し、戦力を整えた後、本丸を落としにかかります」
「それは一気に話が進みましたね。これまで拠点一つ、どこにあるかもろくに分からずにいたって言うのに、いきなり敵さんの本拠地の位置が分かるとは。上手くいけば魔物、いやエゼキド監察軍との戦いが終わりますか……」
俺がまだ子供のころから始まった魔物という災害との戦い。それが、本当に終わるかもしれないと思うと、自分でもよく分からない感慨が込み上げてくる。いつ魔物に襲われるか分からない。そして今日は大丈夫でも明日は襲われるかもしれない。
自分は無事でも家族、友人が襲われるかもしれない。そうでなくても世界のどこかでは、毎日、誰かが魔物の所為で命を落としているのが、これまでの世界だった。それが終わる。それが変わるのだ。
「きっとナザンに居る誰もが熱に浮かされているような気持ちかもしれません。半世紀以上続く魔物との戦いを終わらせられるのなら、それは大きな希望ですから。それで、もう一度、ソルグランドとなるのに最短でどれくらいの時間が必要でしょうか?」
そう、肝心なのはソレだ。俺がソルグランドとして復活できたとしても、俺がエゼキドとの最終決戦に間に合わないんじゃあ、意味がない。
俺の意識を移して、動かすのに慣れて、更に戦闘を行えるようにならないと足手まといになる。自分で言うのもアレだが、ソルグランドの復活は魔法少女達の士気を大きく上げるはずだ。なのに肝心のソルグランドが見る影もないくらい弱体化していては、せっかく上がった士気も下がっちまう。
「そればかりは大我さん次第としかお答えできません。ただ先ほども申し上げた通り、大我さん専用の肉体でありますから、勝手の違いさえ飲み込んでしまえばすぐに使いこなせるでしょう。この国の子らは聖上より生を与えられ、根の国のあの御方により死を賜ります。
しかるに大我さんは死を二度、そして生を三度経験した稀な方。その存在は人間でありながら、とりわけ多くの恩賜を有しています。
元通りヒノカミヒメの肉体に戻ったとしても、これまで以上の力を発揮できたところ、専用の肉体に宿るのですからより強くなることはお約束いたします」
なんだか知らない内にソルグランドになったように、俺はまた自分の知らないところで変化していたらしい。まあ、臨死体験とは違うし、最初の死は勘違いというか瀕死どまりだったとはいえ、二回死んだと思って三回生き返った人間は珍しいよな。
おまけにあの時、聞こえてきたあの声は、たぶん、根の国の……うひゃ、凄い方に声を掛けられちまったもんだ。
「用意が出来ているんなら今すぐにでも始めたいところですが、俺が意識を移している間、こっちの身体はどうなりますかね? 普通の魔法少女達と同じように眠って動かなくなるのでしょうか」
もし意識を失うとなると流石に家族になにも言わないで置くのは不味いよな。せっかく意識不明の状態から回復したってのに、また原因不明の意識不明に陥ったら心臓がいくつあっても足りないぞ。
「本来の肉体に戻り、意識を取り戻された以上、以前のようにはソルグランドとして、活動し続けるわけにはまいりません。二十四時間、休みなく活動し続けるのはしない方がよろしいでしょう。ただ大我さんらしく振舞うよう調整した疑似人格を人間の肉体に付与し、新たなソルグランドとして活動している間、真上大我の振りをさせることならできます」
「ふうむ、俺がソルグランドをしている間の身代わりですか。変身ヒーローが正体がバレるのを防ぐ為にするようなことですな。だからこそ有効かも。それに俺の場合、例えバレたとしても死ぬわけじゃなし。こっぴどくカミさんや娘夫婦に叱られるだけで済みますか」
自分の夫や父親が魔法少女をやっていたってのは、だいぶ衝撃的だろうが、今となってはマジカルドールが実現されているから、前例がないわけじゃない。まあ、俺、男性が魔法少女になった最初の例なんだけどな。ははは。
「その時は私も及ばずながら口添えいたします。私共が一方的に大我さんを巻き込んだのは、紛れもない事実ですから」
「その時にはお世話になります。そうなったら妖精のコクウとして話していただかないと、身内連中が全員泡を吹いちまいますね」
やっぱり一番は俺がソルグランドの中身だとバレない事だな、うん。この年になって娘夫婦や孫娘に説教されたくないもんな。がっはっはっは。
*
真上大我が本来の肉体で意識を取り戻し、新たなソルグランドとしての復活の道筋を立てる前のこと、意識データを創造主アンテンラの下へと避難させたボイドリアの姿がエゼキドの本拠地にあった。
彼女が最初に生産されたのと同じ無機質で広大な空間である。継ぎ目のない金属質の素材で構成された部屋の中で、意識データのみとなったボイドリアが立体映像となって、浮かび上がっている。
そして周囲から老爺、淑女、老若男女の入り混じった者と三種の声が発せられる。
『任務の成功と失敗を確認した。代償として最終号機の機体ならびに生体要塞シニクバイ07を損失』
ナラカ・コーラルのエゼキド側の呼び名はシニクバイと言うらしい。そして末尾の数字の通りなら、同規模のものが他に最低でも六つは存在するのだ。
淡々とソルグランド撃破を目的とした作戦の結果を述べる老爺の声に、ボイドリアが反論することはない。これは単なる事実の羅列であった。彫像のように沈黙するボイドリアへ混ざり合った声が問う。
『ソルグランド撃破後、変貌したソルグランドの名称はヒノカミヒメで相違はないか?』
「はい。ソルグランドがラグナラクを撃破した苦殺那祇剣なるエネルギー兵器を使用。戦闘躯体の六割以上が破壊され、戦闘能力を大幅に喪失。大破いたしました」
『外見の変貌、生体エネルギー“プラーナ”と未知のエネルギー“神通力”の大幅な上昇、これらに伴う戦闘能力の劇的な向上が観測された。対ソルグランドを想定したボイドリアの機能は無効となり、想定するスペックを大幅に上回られたことで戦闘による敗北は避けられなかったものと判断する』
情状酌量の余地ありと告げる創造主の声に、ボイドリアは特に安堵した様子はなかった。
例え想定していなかったヒノカミヒメの出現があったにせよ、敗北は敗北と処分を命じられても、ボイドリアは動揺しなかったろう。
ソルグランドの撃破という目的自体は達成したのだから、存在意義の半分以上は叶ったのだと満足していたからかもしれないし、創造主に異を唱える程の情緒を持たないからかもしれない。
ボイドリアの動じない姿は、アンテンラが魔物少女に望む在り方だったろう。アンテンラの女の声がどこか遠い宇宙に存在するこの場所に響いた。
『ボイドリアの第二次機体については、対ソルグランドから対ヒノカミヒメへと仕様を変更し、設計を開始している。ヒガン星系、ウラーグレン星系、ベルナバル星に投入予定だったラグナラク並びに超級生体兵器の生産を停止。そのリソースを用いて試作並びに製造を行う』
「ヒノカミヒメの有する神通力の解析、その進捗は?」
ボイドリアの問いをアンテンラは封殺しなかった。運用する兵器が目的を達成する為の情報を求めているのだ。責める要素は欠片もない。
『耐性の付与は三パーセント。プラーナ同様に無効化が可能となるまで、残り五十小周期を予定している。ボイドリアの新型機体の開発を継続し、惑星ナザンへ威力偵察を行い、ヒノカミヒメのデータ収集を行う』
『地球人類、妖精達の有する生体兵器も評価に値する。だが最も優先度が高いのはソルグランドに代わりヒノカミヒメとする。ボイドリア、貴様の任務もまたヒノカミヒメ撃破へ更新したまま継続とする』
「任務了解。ヒノカミヒメを想定した仮想訓練での戦闘を重ねる。アンテンラにはヒノカミヒメの最新情報の随時更新を要請する」
『了解した。ただし惑星ナザン、地球、フェアリヘイムへの干渉は威力偵察に留める。戦闘宙域並びに戦力配置の再編成を行い、適切な戦力を確保した後、地球人類とその友邦勢力への攻勢を再開する』
地球勢力への攻撃を一旦停止する。それがアンテンラの下した判断だった。あまりに杜撰に広げた戦線と配置した戦力の再編──戦線を縮小するとは言っていない──を行う為に、彼らは地球側に貴重な時間を与えることとなる。
排除したと認識したソルグランドが復活するのに必要な、貴重な時間を。




