第百話 涙と目覚め
ソルグランドの両手に闘津禍剣が現れ、握るのと同時に駆け出していた。
ナラカ・コーラルの心臓部が停止したとはいえ、これまでボイドリアに流れ込んでいた膨大な量のプラーナは、まだ余裕を持って残されている。
ボイドリアの消耗を期待しての長期戦はもとより選択肢にはなく、また体内から取り出された“常夜”という武器を相手に受けに回っては、敗北が色濃いものになるとソルグランドの肉体が全力で警告を発していた。
「しゃぁっ!」
上位の魔法少女でも視認不可能な速度で迫るソルグランドに、ボイドリアは左手を向けた。
先ほどは全身に口を生やして光弾を放ってきたが、今度は腕の付け根から指先に至るまでが無数に枝分かれしながら、ソルグランドへ向けて襲い掛かってきた。
闘津禍剣で細切れにするか、あるいは常夜のみを注視して回避するか、ソルグランドが行動を起こすよりもわずかに早く、枝分かれしたボイドリアの左腕がさらに細かく分かれて、大きな網となってソルグランドの視界に広がる。
(攻撃ではなく拘束。常夜さえあれば俺を倒せると確信している? アンテンラとかいう親玉が精魂込めて作った魔物少女。基本スペックと必殺の武器があれば、俺の撃破は確実と踏んだか)
広がる網に突入する寸前、弧を描いて軌道を変えながら両手の闘津禍剣を網の中へと投げつける。ボイドリアの体内に神通力によるダメージが残っている状況ならば、プラーナの無効化能力に支障が出ているかどうか、それを確認する為の一手だ。
果たして闘津禍剣は網に絡めとられるとほぼ一瞬で、プラーナの結合を解かれて消え去ってしまう。無効化能力に陰りはなし。ボイドリアにとっては呼吸をするようなものなのだろう。
「こっちの基本戦術は変わらんか」
だが、これまでの戦闘でプラーナ無効化の範囲もおおよその検討は着いてきている。こちらを嵌める為に意図していないのなら、ボイドリアの無効化範囲は体表を守っているバリアまで。
直接触れるような距離でもなければ、影響はないと考えていいだろう。
神通力の呪いとダメージから快復される前に、あるいは解析され耐性を得られる前に一気に押し込めなければ、ソルグランドの勝機は潰える。
(苦殺那祇剣発動用のプラーナを溜め込んでいると気付かれないようにしつつ、攻めに出なければならんとは我ながら難しい選択肢を強いられたもんだね!)
床を伝った冷気がボイドリアの周囲に大小無数の氷を生み出し、ソルグランドはそれを利用して瞬間移動を繰り返して、ボイドリアの攪乱を狙ったのだが……
それもボイドリアの首筋に、後頭部に、背中に、腰裏に新たな眼が開いて、ギョロギョロと視線を巡らせている姿を見て、死角からの不意打ちは根本的に断念せざるを得なかった。
「文字通りの死角なしかい」
視界が全方向に対応しているうえに、関節も自由自在に向きを変えられるとあっては、本当に物理的に死角がない。不意を突くこともほぼ不可能と言っていいだろう。
こうなればもはや精神と神経を削りながら、正面からやり合う以外に手はなし。
改めてそう腹を括れば恐怖は消えなくとも不思議と落ち着くもので、ソルグランドはボイドリアの背中を前にして足を止めた。
グリンと音を立てるような勢いでボイドリアの首がこちらを向き、関節も次々と向きを変えて行く。ちょっとしたホラーのような光景にも、ソルグランドが怯むことはない。
「ボコボコのメタメタにしてやるからな!」
「貴機が本機に勝利する可能性はゼロと断定」
元通りの形に戻っていたボイドリアの左腕が、今度は手首から先が無数の棘となり、凄まじい速さでソルグランドへ向けて伸びてくる。大きく体を倒し、前かがみの姿勢で駆け抜けるソルグランドの頭上を鋭い棘が通過し、幾本かの髪と山犬耳の先端をかすめていった。
耳の一部を削られた痛みを認識するよりも早く、ソルグランドはボイドリアを間合いの内に収めた。
「勝てないから諦めろって? そんな戯言が通じないのも分からんとは、意外とポンコツなんだな!」
「本機はエゼキドの粋を凝らした機体である。ポンコツなる評価は極めて不適当。訂正を要求する」
(一丁前にプライドはある。それとも創造主を馬鹿にされるのが許せない?)
淡い程度ではあるがボイドリアの感情の発露を、ソルグランドは見逃さなかった。惜しむらくはその乱れが、ボイドリアの戦闘行動に悪影響を及ぼさないことか。
ボイドリアの右手の常夜に最大限の注意を払いつつ、ソルグランドの手足は絶え間ない連撃を繰り出す。一撃一撃が一級の魔物を絶命させ、ディザスターの頑強極まる肉体にも通じるプラーナを込めた必殺の威力。
ボイドリアは全身の鋭敏極まる諸感覚を総動員して、神通力のダメージによる機能低下を補いながらソルグランドの一撃一撃を丁寧に時に大胆に捌く。
ソルグランドからすればこれまで以上に苦しい戦いだったが、ボイドリアからしても口にするほど安易に勝てるものではなかった。
戦闘開始前に分析された戦闘データからすれば、既にソルグランドに大きなダメージを与えていたはずが、不可解な現象によってナラカ・コーラルの動力は機能を停止し、今も致命傷を与えられずにいる。
ソルグランドが戦闘中も技術蓄積により、成長して戦闘能力を向上させることは想定されていたが、想定を超えた速度で成長している。
通常の魔法少女と異なるソルグランドのボディを解析できれば、より強力な魔物少女や新型の魔物の開発へと繋がる。
やはり常夜を開発した創造主は慧眼であらせられる、とボイドリアは表情をピクリとも変えずに、内心で賞賛の声を上げていた。ソルグランド用に開発されたこの武器は、プラーナ無効化能力を突き詰めただけではなく、ある機能が備わっていた。
ボイドリアの喉、胸の中央とソルグランドの左右の拳撃が叩き込まれ、鋭く伸ばした前蹴りの爪先が深々とボイドリアの臍のある位置へと突き刺さる。
無効化能力に対する考察と慣れを済ませたソルグランドの攻撃は、膨大なプラーナの消耗と引き換えに、ボイドリアの肉体には着実にダメージが積み重ねられていた。
今もなお暴れ狂う神通力による病魔や呪毒が、打撃に伴って注ぎ込まれるソルグランドのプラーナによって活発化し、常に変異を繰り返しながらボイドリアを蝕み続ける。
人間で例えるのなら体温が毎秒単位で摂氏三十度から四十度までを反復し、胃袋そのものを吐き出すような嘔吐感、全身を引き千切られるような痛み、立つこともままならない眩暈といった症状が広がり始めている。
(機能低下を確認。新型抗体作成、既存抗体改良、免疫機能ならびに再生機能の強化へリソースを配分。プラーナ残量問題なし。苦痛、悪寒、嘔吐、眩暈、発熱……本機に発生する機能障害を定義。アンテンラへの報告事項に追加)
ボイドリアが自身の状態異常をリアルタイムで報告する中、ソルグランドの勢いは風を受けた火の如く猛々しくなり、プラーナ無効化にも慣れたことで徐々にボイドリア本体に通るダメージが増えつつある。
当然、ボイドリアもまたソルグランドの動きを学習し、解析し、対応しているが、お互いの学習速度がほとんど同じである為、常にソルグランドがわずかずつ上回る場面が連続していた。
基本スペックの差によって、この状況を続けても先にソルグランドの方が力尽きて、ボイドリアの勝利に終わる可能性が極めて高いが、ソルグランドがそれを理解していた上で戦っているのは、生まれて間もないボイドリアでも理解できる。
ソルグランドの勝ちの目はラグナラクを撃破した苦殺那祇剣にしかない、とボイドリアは分析している。彼女に常夜があるように、ソルグランドには苦殺那祇剣がある。
どちらが先に切り札を相手に当てられるのか? この一点にかかっていた。
ボイドリアが分析と演算を繰り返す中、ソルグランドは打撃を重ねる都度に集中を深め、無為の攻撃に意味がないことから神罰と呪いを増幅させる為の怒りと恨みを、打撃に乗せ始めている。
「ずあああ!!」
鬼気迫る勢いで猛攻を続けるソルグランドの左腕がボイドリアの胸を貫き、背中まで抜けた状態でピタリと固定される。
(貫かされた!)
胸を貫かせたのはわざとだと察したソルグランドの左腕に、周囲のボイドリアの肉が一斉に食らいつき、同化しようと蠢き始める。
「肉を切らせてなんとやら、か。魔物側がこれをやるとはな。だが、こっちにしても好機だぜ! 雲気を纏い空を覆う 草地焦がす火を祓う」
セキュリティを兼ねる祝詞を上げるソルグランドの右手に現れ始める、膨大なプラーナと神通力に、ボイドリアは誕生されてから最大の危機感を抱き、生命が失われる恐怖を感じながら常夜を使った。
ボイドリアの肉体を使った拘束に対し、ソルグランドは回避を選択しなかった。
拘束を解いて回避するよりも速くボイドリアの一撃が届くのは確実であり、それならば最悪、相討ちを覚悟して苦殺那祇剣を繰り出す好機と割り切ったからだ。
ラグナラクではなくこのボイドリアを用意してきたことから、おそらく魔物側──エゼキドもラグナラクは運用コストが高く、ここでボイドリアを片付ければ地球側にかなりの時間の猶予を得られる筈と推測してもいた。
この身体が失われることで、本来の主であるヒノカミヒメに迷惑をかけてしまうが、ソルグランドの運用データを糧にして、より強力な肉体が用意されるだろう。
(すまん、ヒノカミヒメ、すまん、燦!)
今度こそ死出の旅だとソルグランドは祝詞の続きを叫ぶ。
「……八俣より天地に解き放つ!」
「常夜、全機能解放」
ざぐん、と祭具の如き常夜の刃がソルグランドの左わき腹から突き刺さり、そのまま右の肩甲骨付近から切っ先が突き出る。この程度のダメージなら数多の神々や妖怪の伝承を備えるソルグランドにとって、即座に行動不能になるようなダメージではない。
あまりに死に難い神々や死なずの怪物の伝承が、ソルグランドの肉体を簡単には死なせないからだ。しかし、ソルグランドを襲ったのは肉体のダメージだけではなかった。
(こ、れは、肉体だけじゃない。俺の、真上大我自身の精神にも、ダメージ、を。それに肉体との繋がり、に、も)
常夜に貫かれるのと同時にソルグランドを襲ったのは、神の造りたもうた肉体に入れられた真上大我の魂との繋がりを脅かし、襲う激痛だった。
肉体と魂の双方に痛みが走っている。痛みの大部分は肉体だが、それでもソルグランドとなってから、いや、そうなる以前から初めて魂を蝕まれる痛みに、ソルグランドの顔にかつてない苦痛の色が浮かび上がる。
「魔法少女と呼ばれる生体兵器がプラーナで構築された躯体に、人間の意識を転送して捜査しているのは以前から判明していた。躯体を破壊しても意識は戻り、再度、戦闘に赴くことも。故に躯体と意識の連結を破壊し、躯体と共に意識を破壊する為の研究を、我が創造主アンテンラは進めていた。常夜は貴機を破壊する為に特別な調整の施された、その結晶」
ボイドリアのプラーナ無効化能力からを更に強化したもの、と常夜の能力を推定していたソルグランドだが、実際にはソルグランド用に更にチューニングさせた、元々は魔法少女殺しの武器だったのだ。
この常夜で斬られると、通常、本来の肉体に戻るはずの意識が戻らず、魔法少女の肉体と共に破壊されてしまう。その現象が、ソルグランドを構成するヒノカミヒメの肉体と真上大我の精神に襲い掛かっている。
「貴機を動かすオペレーションシステムは不要。その肉体のみを鹵獲する。全ては創造主アンテンラならびにエゼキド監さ……」
真上大我の精神を蝕むのにつれて、ボイドリアが腹を貫かせていたソルグランドの左腕の同化も進んでいたが、それがボイドリアの意思を無視してピタリと止められた。
ソルグランドの体内を凄まじいプラーナと炎熱が駆け巡り、ボイドリアの体内で鎮静化していた神通力も勢いを取り戻し始める。
想定外の事態にボイドリアはソルグランドの顔を見た。目と鼻と口と耳から、赤い筋を流し、今にも存在が崩壊しそうな状態で、しかし、彼は笑った。
ロウソクが燃え尽きる寸前に見せる、最後の輝きか、あるいは死を悟った人間の最期の意地が笑みを浮かばせたのか。
「苦殺那祇剣!!!!」
「!?!?」
常夜による予想を超えたダメージの大きさに一度は霧散した苦殺那祇剣のプラーナと神通力を、強引に着火させるようにして苦殺那祇剣を発動させたのだ。
不完全とはいえソルグランドの持つ最強最大の火力は、逃げ場のないボイドリアを容赦なく巻き込んで、ナラカ・コーラルを内側から焼き尽くす炎となった。
ソルグランドとナラカ・コーラルの異常は、必死に突入方法を探る人類側にもはっきりと分かるものだった。
夜羽音の導きにより脆弱かつソルグランドに近い距離を探し当て、ナラカ・コーラルの外殻の破壊を進めていたソルブレイズ達も、はっきりと分かる膨大なプラーナの高まりに、その場を離れざるを得なかった。
ナラカ・コーラルの心臓部が機能停止をし、防御手段もまた同じく停止していたとはいえ、ナラカ・コーラルの四分の一近くが、内側から溢れる苦殺那祇剣の炎によって吹き飛ばされ、大部分が融解する。
咄嗟にその場を離れるザンアキュートやソルブレイズ、夜羽音達は、宇宙の闇を照らし出す爆炎の中にそれを見つけた。
常夜を引き抜かれ、力なく顔を伏せるソルグランドを左腕に抱えるボイドリアの姿を。ソルグランドの左腕はボイドリアの腹部から引き抜かれ、常のような神威とプラーナは消え去っている。
糸の切れた人形を思わせるその姿に、ザンアキュートとソルブレイズの脳裏に最悪の結果が、そんわけはないと否定しても次々と浮かび上がってくる。
「ソルグランド様!!!」
「ソルグランドさん!?」
「……間に合いませんでしたか」
二人の魔法少女の悲鳴が燃える宇宙に響き渡り、夜羽音は真上大我の意識がこの場から消え去ったことに、唯一気付き、悲しみを隠さずに目を伏せた。いや、気付いた者は、もう一柱。
ボイドリアは高い再生能力をもってしても、治りきらない火傷を全身に負っていた。特にソルグランドの左腕を貫かせていた腹部は、大部分が炭化して首元近くまで黒く焦げていた。
その表情こそこれまでと変わらぬ無表情だったが、神通力による後遺症と暴発された苦殺那祇剣によるダメージは凄まじく、いかにボイドリアといえども機能停止寸前にまで追い込まれている。
「機体、損傷、甚大。機体性能、著しく……低下。再せ、機能の修復、再起動を、ゆうせん」
壊れたラジオのように言葉を紡ぐボイドリアはアンテンラに求められた通りに撃破し、更には鹵獲に成功したソルグランドの抜け殻を固く抱きしめている。例え自分が機能を停止したとしても、コレだけは必ず持ち帰るとそう決めているのだ。
残る魔法少女と不良品の魔物少女、妖精達の撃退は流石のボイドリアも現在の状態では困難を極める。この場は撤退するしかないとボイドリアが決めた瞬間、彼女の右の手首を握り締める手があった。
常夜を握るその右手を例え万全のボイドリアでも振り払えないほどの力で、左腕で抱き留めているソルグランドが握っているのだ。真上大我が消え去り、抜け殻になったはずの、ソルグランドが。
それまで閉ざされていたソルグランドの瞳がゆっくりと開き、目じりから透明な雫が凍りもせずに流れる。そして長い白髪が根元から黒く染まり始めていく。
「あの方が……あの方が居なくなってしまった。その刃の脅威が私に及ばぬようにと、全てを受け止めてこの身体から」
ボイドリアの右手を握る左手を振り回し、彼女は最後の魔物少女をナラカ・コーラルの破片の一つに投げつけた。
凄まじい勢いで破片に投げつけられたボイドリアは、二百メートル近い破片に着弾する寸前、なんとか体勢を立て直し、足から着地してその腰近くまでめり込ませる。
「ソルグランド内部に爆発的なプラーナ、と、未知のエネルギー、増大を、確認。緊急システム、による、再起動?」
ついに髪の毛をすべて黒く染めた彼女は、凍らぬ涙を流しながらボイドリアに告げた。
「私はヒノカミヒメ。お前に、お前の主達に滅びをもたらすものだ」
常夜の一撃によって真上大我の去ったソルグランドの肉体に、本来の正統なる主が帰還したその瞬間であった。他の誰でもないヒノカミヒメ自身が、その帰還を悲しみながら。




