集会
泥氏八幡宮の木漏れ日の溢れる森の中を、大柄で軍服を着た男性アバターが一人歩いていた。
顔は強面で右目に縦一文字の傷跡のあるスキン。口ひげが鼻の下から左右に門のように分かれ、どこかハルクホーガンを彷彿とさせる。太い眉毛はぎざぎさだがのっぺりしたスカルプ製。「泣く子も黙る鬼軍曹」とでも呼称されそうな岩のようにいかつい面構えである。口には太い葉巻をくわえ、バズーカ砲を肩に背負っていても違和感のない風貌だが、デフォルトアバターの古さは否めない。
服装はカーキ色のレイヤー軍服と軍帽。胸には階級章の他に『SDF』と書かれた胸章が大きく貼られている。グループタグにも『SDF連合』と記されている。SDFとは、シム・ディフェンス・フォースの略であり、迷惑なSLテロリストたちに対抗するために早くから立ち上げられた対テロ防衛軍の先駆け的組織であった。その男はかつてグループの幕僚として名を馳せた『テリー将軍』として知られる人物であった。アカウント名をTeriyaki Enzoという。
かつて数々のシムを部隊の仲間たちとともにテロリストから守り、先頭で戦ってきたリーダー格のテリー将軍。彼がヘテロセラ大陸の辺境をたった一人で歩いていたのには理由があった。
数日前、テリー将軍はアバターの容貌からすれば場違いな、夜景の都市を演出した近代的なシムを彷徨っていた。ビルの谷間に光が煌き、音楽が鳴り、冷たい雨がアスファルトに鏡を作り、ネオンサインを映し出す。アバターゆえに濡れることはないが、放置同然に雨に打たればがらテリー将軍の心は感傷に浸っていた。かつてそのシムはネオン街などではなく灼熱の荒野であった。古くはSDFの本拠地だったのだ。対テロ演習用の廃墟群と荒野の中に司令部の軍用テントが常設され、見上げれば熱い太陽の下でSDFの旗が誇らしく翻っていた。数々の仲間やSL新兵たちと模擬戦を行い、語らい、過ごした家であり広い庭であったのだ。しかし、時が経つとともにSDFの活動の場も減り、代表が去ってグループが解体されてから数年、そこはすでに別のオーナーの持ちシムとなり、景観はすっかり別世界へと様変わりしていた。
身を貫く雨の中、追憶の中に身を置いていたテリー将軍だったが、現実へ引き戻すように一通のノートカードが送られてきた。
「 突然のご連絡、失礼いたします。
私はネクストライフ・プロデューサーの Box Botha と申します。
当社は仮想世界内での特務を行っており、現在対テロ防衛経験をお持ちの方を求めております。
当チームの主力メンバーとして、テロ防衛の経験をいかんなく発揮いただきたいと考えております。報酬は10万L$とさせていただきます。特務完了時にはさらに40万L$のボーナスをお支払いいたします。
ご興味を持っていただけましたら、ぜひ面接にてお話しさせていただきたいと思っております。
集合場所は泥氏八幡宮先のキャンプ広場とさせていただきます。
参加者が現地に揃い次第、説明後にミッション開始となります。
Box Botha 」
あまりにも胡散臭い。テリー将軍はノートカードを破棄しようとした。第一、集合場所は書いてあるものの、集合日時が書いていないではないか。
「バカにした悪戯だ」そう考えた直後、課金を行った時のようなじゃらじゃらという音を耳にした。所持金を確認したところ、本当に10万L$が振り込まれている。これは嬉しい以前に不気味すぎる。急ぎ、返金したがすぐさま振り込み返された。IMを送ってもノートカードを送ってもBox Bothaなる人物からの返事が来ない。まるで問答無用の参加要請だ。名前のアカウントを検索するとごく普通の仮想世界民である。グループ欄を見ると誰もがグループに入るような有名店の名が並んでいるだけだった。
テリー将軍は悩み始めた。どうしたものか。気味の悪い金を返したいとも思ったが、この10万は活動資金になるかも知れない。そう、考えていたSDF連合再建のための資金だ。もしこの話が本当なら、ミッションを達成すれば50万L$もの大金を得ることが出来る。そうなれば大陸の一等地に再びSDF連合の本拠地を構えるのも夢ではない。グループの本拠地さえあれば、この世界に散り散りとなった仲間たちも帰って来るはずだ。テロリストからシムや人々を守り、喝采を浴びたあの栄光の日々を再び送ることが出来るかもしれない。もう一度夢を見たい。
テリー将軍は自然とヘテロセラ大陸へ足を運び、ノートに名を記された泥氏八幡宮の場所を探し始めた。
そしてついにたどり着いたのだ。
「テリー将軍が来ましたね。予定通り。私の認識は正しかったようです」
「チッ、本当に来たのかよ」
「これ以上は増えて欲しくないね」
広場には3人の人物がテリー将軍を待っていた。
Audrey rozenbaumは、ドロシー邸の二階の書斎で新しく考案した科学実験設備の図面を描いていた。お団子ヘア―に白衣のアニメアバター。どんな時でも自信なさげで気弱そうな表情をしている。彼女の呼び名は『助手ちゃん』で知られている。ドロシーがSOHOのプリム屋でフィリップのプリムを売りつける騒動を起こしていた頃、一人残っていた助手ちゃんは、設計図を眺めながら頭を傾けて目を上げ、ふと、あることに気づいた。ミニマップ上に緑色の点が重なっており、付近の土地に4人ほどのアバターの存在を認めたのだ。
そこは線路の向こう側にあるドロシー所有の土地であった。一角にはチェーンソーを祀る泥氏八幡宮が竹林の中に静かにその姿を覗かせ、手前には木々の自然に囲まれたキャンプ場が設置してある、静かな野原がある。カーブを描くSLRR線路と木製高架橋が、土地を囲い込む壁のように他所との境界線となっている。
4人はキャンプ場広場に居るようだった。助手ちゃんはカメラを飛ばし、アカウント名を確認してみたが、見たことの無い名前と見たことの無い容姿のアバターばかりである。大陸旅行者の寄り道だろうか。しきりに手を動かして会話を行ってるようだ。
助手ちゃんは覗き行為は良くないと思いながらも、以前制作した遠隔スパイ衛星発射装置HUDのスイッチを入れた。それは極小サイズの透明の球体オブジェクトで、アバターとの位置関係や距離が自動調整され、非常に探知されにくいという助手ちゃんの自信作の盗聴器である。
空間に出現して射出されたスパイ衛星は、4人の集団もとへ矢のように飛び、場のチャットを拾い出した。助手ちゃんの画面にも彼らの会話が表示され始める。
「それでは、運命の導きに選ばれしプレイヤーの皆さま。散々ごねてくれましたがフレンド登録も済ませたことですし、ゲーム説明の前にお互いの自己紹介でもしましょうか」
そう言ったのはスーツを着た男性。しかし、一点、異様な部分がある。頭が青白いプリムなのだ。人間アバターが頭部にプリムをすっぽりと被っているような姿。その容姿で短絡的に名付けるなら、プリム男である。アカウント名を見ると、Box Botha。名前も箱みたいだ。
助手ちゃんはドロシーが語った怪談を思い出し、何かぞっとするものを感じた。
8日前。
「二人とも、『人喰いプリム』の噂を聞かなかったか?」
この日は、近くまで散歩に来た越後屋がドロシー邸を訪問し、館を間借りしている助手ちゃんは小間使いのように紅茶セットをインベントリーから取り出して、二階テラスのテーブルに設置した。さて三人でティータイムの和やかな雑談を交わそうかというところで、ドロシーが唐突にそんな話を切り出したのだ。
「またSL怪談ですか?ドロシー博士」
「何かホラー映画でも見たんじゃろ」
助手ちゃんはドロシーを博士と呼ぶ。これは発明家の助手ちゃんと知り合ってから、ドロシーが彼女に対して自らを博士と呼ぶように要求したためである。が、ドロシーは特に博士号など持ってはいない。そう呼ばれたいだけなのだ。
そしてドロシーが三度の飯と同じくらい怖い話が大好きなのはいつものことだ。越後屋も助手ちゃんも怪談話は別に興味はないのだが、無下に話を遮ると、鬱憤晴らしに爆発するバナナを投げたり火炎放射器で辺りを燃やすなど始めかねない。二人は内心仕方なく家主であるドロシーの話を聞いてあげることにした。
「これはフレ(友人)から聞いた話なんだけどね」
ドロシーは秘密の内緒話をするようにテーブル中央に身を乗り出し、二人に顔を近づけた。目の周りが薄紫色の隈で、口から三すじほど血を垂れ流しているゾンビスキン顔である。話を聞く前から百物語のお化けが出るようなものだ。そんなドロシーの顔を前にしても、二人は表情一つ変えず紅茶を口に含んだ。単純にそういうアニメ動作なのだが、実際もう見慣れた顔だ。
ドロシーはチャットの内容が長いためか、文章を一行ごとに切りながらチャットを打ちだした。
「つい最近、フレのフレであるフレフレ氏が、急にウンコしたくなって一時退席(AFK)したんだって」
「戻ってきたらビューワーが落ちていて、再ログインを試みるも」
「どうしても入れなかったんだって」
「それでサブ垢でログインしたら、そこには自分のさっき使っていたメインアバターがまだ消えずにつっ立っていたんだって」
「でも、おかしいのは首から上に四角いプリムを被っていて」
「落ちる前にプリムを頭に装備した覚えもなかったんだって」
「見ていると突然、フレフレ氏のメインアバターが空へ飛び去って」
「慌ててリンデン(運営)にチケットを切ったんだけど」
「それから今日まで戻ってこないんだって」
話を聞いた越後屋はジト目、助手ちゃんは困り眉だったが、もともとそういう表情のまま暮らしているので、内心を読み取ることなど誰にもできようもない。
「アカウント乗っ取られたんじゃろ。そのアバター、『jajajajaja』とか言っておったに相違ない」
「きっと困ってるでしょうね。カード登録とか消さないといけないですし」
二人の反応を見てドロシーが手をガチャガチャと動かし始めた。
「この話には続きがあってだな!一部始終をフレが見ていたんだって。トイレに行くために一時退席になったB氏のアバターの頭の上に、空からプリムが降ってきて、ガブッと頭を食べたんだって。アバターを喰うプリムなんだよ!」
「うーむ。今回の創作は30点というところじゃな、助手ちゃん殿」
「続きの話が余計でしたね」
ドロシー邸のテラスが赤々と炎で燃え、溢れんばかりの大量のバナナが飛び散り、周囲一帯に連続爆破音が鳴り響いたのはこの後すぐの事だった。気晴らしが済むとドロシーはガチャイベントで知られるArcade会場へテレポートした。そしてレアが出るどころかコモン商品ばかり引き当て、大惨敗の大爆死で財布をすっからかんにして帰ったのだ。それが、ドロシーがフィリップリンデンのプリムを売りに行く騒動のきっかけとなった日の出来事だ。
助手ちゃんは遠くドロシー邸からカメラで覗きながら、これから何か悪い問題が起こり始めるような嫌な予感がした。
あの箱男こそ、イニシャルから察しても、アカウントを盗まれたというドロシーの知り合いのアバターではないのだろうか。怪談話に上がった人物が実際に出てくる。その話の出所がドロシーである点が、何かろくなことが起きない予兆に感じられた。
「ネクストライフって何なんだ?」
スパイ衛星により、彼らのチャットが流れてきた。
「何でも、ヒマジーという方が我らをそう名付けたそうですよ。いや、これから名付けるのかも知れません。とにかく手順を進めましょう。このゲームは手順が大切なんです。それでは、テリー将軍から自己紹介をどうぞ」
プリム男は右隣にいるプロレスラーが軍服を着たような大柄な男性アバターに促し、紹介された男はのっしのっしと肩を揺するAOの歩き方で前に出た。
「『SDF連合』のテリー将軍だ。グループ名くらいは聞いたことがあるだろう。特に貴様は、知らないとは言わせんぞ。ガープ」
「その名前で呼ぶなよ。ミッション中に背後から撃たれてログアウトしてぇのか?俺のことはダークと呼べ」
ダークと名乗った赤いトサカの生えた黒毛のオオカミ頭が、牙だらけの口からぺろりと舌を出してそう答えた。テリー将軍には別名で呼ばれたこの人物は、俗にファーリーと呼ばれる獣人系アバターである。アカウント名はDark8Heroと表示されており、グループ名は無い。まだアカウント登録して1年しかたっていない。衣装は70年代のイギリスパンクロックを彷彿とさせた。ダイナマイトをくわえたドクロのイラストが描かれたTシャツの上に、至る所にリベットが打ち込まれた、汚いスラング文字だらけの黒皮ジャケットを着ている。下は太いチェーンのぶら下がった極太ベルトと赤黒のタータンチェックのズボンに、刺だらけの黒ブーツを履いていた。ヘビメタバンドを真似たチンピラ崩れといった印象だ。
「俺は当然、成功報酬が目的だ。前金もでかかったしな。昔はSLテロ組織の一員だった。こんなところでテリー将軍に会うとは嬉しくないねぇ。SDFも廃れてとっくに解体したって聞いたが。まぁ。あんたも人の子、金は欲しいよな」
「ふん。貴様とドンパチやりあったときは名前がDark4Heroだっただろう。あれから四回アカウントを消されたってわけか。懲りないクズめ」
テリー将軍は壁のような巨体に乗せたそのしかめっ面で毒づいた。シム荒らしのテロリストであるダークと、シム防衛の対テロ部隊のテリー将軍。二人は顔を合わせたときから火花を散らしている状態で、どうやら互いに仇敵のようだ。
「まぁまぁ、将軍にダークさん、今はチームなんですからその辺で。じゃ、ブーブーさんどうぞ」
「よろちくびー!ブーブーです。以上!」
空気をまるで読まずに挨拶したブーブーと言う人物は、とても大きな頭をしていた。まるでテーマパークか何かの着ぐるみマスコットのようなクマの頭部。ただし、その頭には人造人間のようなボルトが数か所突き刺さっており、左右の眼が全く別の方向を向いているので、精神異常のクマにも見えた。着ぐるみキャラクターに近寄ってきた小さい子供も、一目で踵を返して逃げそうなキャラクターだ。しかし身体は普通の人間アバターだった。服装は白いTシャツに赤いスカジャン、ダメージジーンズにコンバース風のシューズというラフな格好。スカジャンの背中にはテディベアが刺繍されていた。
「ランキング荒らしのBooBoo Kiddか。名前は見たことあるぜ」
チンピラ狼男のダークが関心ありげに近づくと、気狂いクマ頭は寄るなと言わんばかりにドロップキックのジェスを放った。
BooBoo Kiddは、陸海空のあらゆるレースの順位ボードのトップに名を刻んできた存在だった。そして、どんな汚い手を使ってでも1位をもぎ取るダーティーレーサーとしても有名であった。ブーブーがレースに出た場合、出場者には必ずアクシデントが起こるのだ。REZゾーン通過中に急にハンドル操作を誤りコースアウトをする者、車両が揺れて速度が極端に落ちる者、突然に衝突音が聞こえて横転する者など、頻繁にリタイアが続出するおかしな偶然が続く。それはブーブーが事前に妨害アイテムを設置しているからであった。海洋のボートレースや、複葉機の撃墜戦、戦車の殲滅戦でも、参加したイベントには必ずトップか上位グループに名を残すため、本来罠など仕掛けずとも、乗り物の操作なら種類を問わずの得意分野と思われる。
「私の認識が正しければ、皆さま方は隠れた伝説と言いましょうか。ある種、有名な方々で実力者です。チームとしては最高の逸材と言えるでしょう。もう御一方を紹介します」
プリム男は司会業のように、誰もいない空間に片手をひらりと指し示した。
軍人テリー将軍。テロリストのダーク。レーサーブーブー。先に紹介された三人の目の前の地面に、黒い魔方陣がぼうっと現れた。魔方陣の中央、地中から地獄の底で亡者の群れが唸るような声とともに、一体のアバターが頭からせりあがってきた。この不気味な効果はテレポートエフェクトを装備しているのだ。
その人物は黒いボロボロのフードを全身に纏っていた。陰になって見えない顔の奥には、両眼だけが、消えた薪の奥でくすぶる火種のように赤く鈍く輝いている。地面との間には足が確認できず、アバターはふわふわと浮いているように見えた。近寄ると生命力を吸われそうな死霊のようだ。
助手ちゃんがプロフィールを確認すると、wの文字が一つ刻まれた岩マークのイラストが貼られていた。他は全て空白で、グループ名もない。しかし、そのマークにはどこか見覚えがあった。アカウント名はWwww Rockと表記されていた。
「誰だかわかりませんか?この方は伝説の兵器屋、ワーロック氏ですよ」