ツバメの巣
エルザは思い出す。
カフェが賑わっていたあの日々。座る場所さえ足りず、立って会話していた人もいたあの時。沢山の出会いと、沢山の努力と、沢山の人々と、沢山の思い出。時は過ぎ去り、皆、自由なツバメとなって各地へ飛び立った。古い仲間が顔を出しにくるのも今では稀だ。それぞれに新しい土地を開拓し、自分に合った居場所、自分に合った友人や家族をこの世界に見つけたのだろう。有名な洋服店を開いたものもいれば、新しい集団のグループ長になった者もいる。一人で過ごしている者もいれば、新しい人々のグループに交わった者もいる。しかし、関わった人たちの半数はその人たちなりの様々な理由でこの世界から去り、戻っては来なかった。あるいは姿を変えて世界のどこかで幸せに暮らしているのかも知れない。
今目の前にいるのは『ツバメの会』初期からのメンバーであるカイとひま爺の二人だけ。休日のカフェには他にも仲間たちが数名いるが、平日のお昼前の時間では限られたメンバーしか顔を出すことはない。だが今日は久々に心躍る日になりそうだった。とても古い仲間が一名、この仮想世界に復帰するのだ。そして、数日前に知り合ったご新規さんも一名呼ぶ予定でいる。さらには最近、女子学生の制服を着たネコ耳ツインテールのアニメアバターが良く来るようになった。時代劇から出てきたような変わった話し方をする子だが、この時間ならもうすぐカフェを訪問するはずだ。
仮想世界でエルザと言う名の彼女は、現実世界で読んでいた本を机に置いた。タイトルは『ロボット』。それはカレル・チャペックの書いた古典SF小説で原題は『R.U.R』といい、ロボットという単語そのものを生んだ本でもある。
指先でキーボードを叩き「さてと、そろそろ活動しようかな」と入力した。
画面内ではカウンターの椅子に座っていた身なりの小汚い浮浪者のアバターが手を動かして答えた。
「さっきからずっと本読んどるの知っとったで」
「どうしてわかるの?」
「わいがひまな時はエルザが本読んどる時や。するどいやろ」
プリム屋での売買騒動の後、越後屋はドロシーを家に帰したその足で6号線の長い山道を通り抜け、今は巨大なGreat Wallの上を小さな蟻のように歩いていた。それは万里の長城を模した巨大な壁で北大陸内周を4分の1ほどを隔てている。長城内部は車両も通れる空洞の道になっており、長い長い石廊を通るのは大陸旅行者にとって醍醐味の一つであった。景観が特別なことから長城の周囲に土地を買う住民も多い。
越後屋の趣味は大陸のあちこちの風景や建物を眺めて散歩をすることだ。基本的に乗り物は使用しない。大陸半周程度なら日常の散歩コースの距離だ。見た目が猫耳娘なので、ドロシーには『猫の縄張りチェック』と揶揄されている。対して越後屋はドロシーの散歩を『ゾンビの徘徊』と呼んでいた。
長城の上を始めて散歩した日、たまたま上部の道に隣接するカフェに立ち寄ってから、越後屋はそこの常連客になっていた。カフェの名前は『スワロウネスト』。長城南方の上部に藁ぶきで半円形の形で貼りついた張り出し台の上に建設されているカフェだ。その名の如くツバメの巣のようだ。
越後屋がミニマップでツバメの巣を確認すると3つほどの点が重なっている。その点が全て黄色のため、いまカフェで過ごしているのは全てフレンド登録したスタッフか常連客だろう。人数は普段から多くはないが今日は特に少なめのようだ。
「「越後屋ちゃんおひさしぶり」」
カフェが見えてきた時点でシャウトの挨拶が飛んできた。名前を見なくてもわかる。オーナーのエルザだろう。カフェのスタッフも長城を通行するアカウント名をミニマップで時々チェックしていると聞く。大陸内の知人が良く通行するためらしい。エルザに見つかって声をかけられると誰でも嬉しくなるのではないだろうか。越後屋はそうだった。スワロウネストの入り口まで来たところで、長城の上から張り出し構造のカフェにいるメンバーに向かって挨拶をした。
「久しぶりじゃな、エルザと皆の衆。また遊びに来たぞ」
「いらっしゃい、越後屋ちゃんも席に座ろう」
「スワロースワロー」
座ろうとスワロウをかけた、顔なじみ特有のセリフが飛び交う。越後屋はこのゆるいような、家庭的なような雰囲気がとても気に入っていた。
「ではスワロウぞ」
スワロウネストの上面は外側と同じ藁敷きのテクスチャーで、小さなカフェエリアと大きな広場に分かれている。カフェは赤い三角屋根でピンクの板張りの壁で囲われている。カウンターもピンクで、6つ並んでいる背もたれのないカウンターチェアーは皮張りの茶色。その他に椅子付きの丸いガーデンテーブルも二つ置いてあり、レースと花で飾られ、メッシュの子猫が床を走り回っている。
カウンターの上にはタッチすると紅茶を受け取れるトレイが乗っており、隣には赤いコーヒーメーカー、隅には丸っこいニワトリのようなチップジャーが飾りのように置かれている。どこにでもあるこじんまりしたカフェだ。あえて言うならいかにも子供でも遊ぶような初心者向けの施設で安心は感じるが、この世界ににこなれた大人が居つくような雰囲気ではない。
だが、そんなイメージとは裏腹にカウンターには2人のむさくるしい男が並んで座っていた。
「お主らがここに座ると、初心者も逃げるのではないのか?」
越後屋がカウンターに座って言った。
「この前も入り口に誰か来て一瞬でテレポートして消えちゃったの。名前を見る暇もなかった。ここってそんなに怖い場所に見える?」
カウンター内で微笑を浮かべてそう答える人物はオーナーのエルザ。アカウント名はElsa Clipだった。金刺繍模様の白いメッシュ製ドレスを着た女性アバターで、流行りのメッシュヘッドに白人系スキン。白い花冠をのせたカーマインレッドのロングヘア―。折れそうな細い腕には、繊細な意匠の金色のブレスレット。澄んだ青空のような瞳で目じりに薄青色のアイシャドウ。尖った耳はまるで生身の妖精かエルフがそこにいるかのようだ。アバターとはかくも現実の人間以上に美しくなれるのか。動く芸術品。麗しいミュシャの絵画から女性が抜けだしたようだ。ここに訪れる男性アバターの大半がエルザ目当てではないだろうか。プロフィールを確認するとアカウント登録が2007年。中身の年齢は「そこそこ大人」と言うのが華ではないだろうか。
「逃げたのは、ひま爺のせいじゃろな」
「うっそやろ?カイの方が見た目怖いやん。しらんけど」
ひま爺と呼ばれた者の外見は、フリービーで配布されていそうな浮浪者アバターの姿だった。風呂にも入ってなさそうなヒゲ顔で腹も出ている。これは仮想世界だからまだ許されるが、現実世界でカフェに来たら見た目やら体臭やらで追い出されるレベルだ。歩く嫌がらせのレベルに近い。アバター周囲をハエが飛ぶパーティクルなんかがとても似合いそうだが、装備だけはしてほしくはない。アカウント名はhimatsubushi Akina。頭の上のネームタグで『ひま爺』と自ら表記してある。ひま爺もまた2007年登録アカウントだが、名前から察するにひまつぶしで始めたセカンドライフが長く続いてしまったのだろう。グループタグには『ツバメの会』が表記されている。オーナーのエルザも同様だ。つまりここのスタッフである。だが、エルザとひま爺のアバターを対比すると、美しさと醜さ、メッシュの新しさとデフォルト古さの違いが際立ちすぎて、カウンターを挟んで別の次元の生き物のようだ。二人の前では美女と野獣も近種の生き物に見えるだろう。
ひま爺は大陸中の道路や土地にとても詳しい。大陸にあるすべての公道はおろか、各地のスターゲートの行先まで知っているとも噂されている人物だ。本人の話では大陸内ならば高度4000mまで把握していると豪語しているが過言ではないらしい。今は閉鎖してしまったが、古いSL専用サイトに『ひま爺のひまつぶし』という各地を紹介する人気ブログを掲載していた事がある。
もう一人のカイと呼ばれた人物はノースリーブの黒装束に煙管をくわえた鬼の面、背中と腰に日本刀を装備しており、両腕にはトライバル模様のタトゥーが入っている。見るからに殺し屋か忍者の風体であった。グループタグには『忍蔵流 怪影』と書かれているが、越後屋は彼もツバメの会の一員だと聞いている。越後屋が忍蔵流について聞くとひま爺が答えた。
「知らん。カイはあまり自分の話をしないんや。だいたい怪影ってなんやねんな。たまにはここのグループタグつけたらええのに」
「いいじゃない。一つのグループタグを使い続けるスタイルって素敵だと思うわ。羨ましいくらいグループ愛を感じる」
「じゃわいもそうするわ、エルザにわいの愛も感じてほしいわ」
カイからの返事は一つもない。滅多に話さないのが忍者らしくもある。会話に参加しないのはひま爺の話がくだらないからでなく、この場合のカイはエルザに言わせると裏でオンラインの格闘ゲームをやっている状態らしい。彼のアカウント名はkaaikaikai jaxxon。2008年登録。恐らく怪物少年の出てくる、昔の子供向けアニメの歌から取った名前に違いない。カイはSLではC:SIという刀バトルを得意とし、大会によく名を連ねた人物のようだ。オンラインゲームでは接近戦のスペシャリストなのだろう。
実のところ、スワロウネストは初心者支援施設としては廃れてきている。カイが席を外している以上、今初心者が来ても対応できるのはエルザとひま爺しかいない。そもそも最近は初心者があまり来なくなっていた。それと言うのも、閉鎖を迎えた別のゲームからセカンドライフへの大量流入が幾度か起こり、各地に大人数のグループが発生した事もその要因の一つだ。新しい人は活動が活発な集団へ入る。スワロウネストは誰が見ても古い人間の集まりだった。セカンドライフ老人会と言っても差し支えないメンバーだろう。
「今日は人が少ないけど、みんなに紹介したい人物が二人いてね。今ログインが出てるから呼びたいんだけど、いいかな?」
エルザは世話好きな性格だ。皆に一応聞いてはいても、どっちみち呼んで紹介するつもりだろう。
「中身が女ならええよ。ひましとるし」
「それを気にしたところでひま爺の姿ではモテぬじゃろ」
越後屋はひま爺の言葉に呆れたようにツッコんだ。小汚い浮浪者アバターで女好きとはどんな了見で仮想世界を生きているのか。「好きなタイプは生ゴミを漁っていそうな老人です」とでも言う特殊な層の女性でも狙っているのか。ツチノコを見つける方がまだ簡単だ。ここはどんな美しい姿にでもなれる世界なのだから、せめて身ぎれいなアバターに変えればいいだろうに。
「じゃ、呼ぶわね。まず一人」
このあと少し間があったのは、エルザがその相手とIMを交わしていたためだろう。やがて店の入り口にもやもやとした赤い霧が出現して読み込み始めた。すぐに表示されないところを見るとメッシュボディのアバターだろう。最初に白いジャケットが現れ、髪が現れ、両手がおかしな位置に現れ、アバターが組み立てられるように構成されると同時に赤い霧は吸い込まれるように小さくなって消えた。
そこに現れた人物は有名店のアニメヘッドを使用した女子アバターで、髪は越後屋と似たような銀色のツインテールだった。おさげの半分からはアイスグリーンの色に変化している。この世界にはツインテール女子は珍しくもなく、むしろ多い。スキンは雪のように白く、澄んだ水色の大きな瞳。服装は腕に縦の黒ライン模様が一本入った前開きの白いジャケットを羽織り、下は灰色のスポーツブラとショートパンツに編み上げの白いロングブーツ。全体的に白肌の露出が多く、一目見たイメージでは「薄青緑のツインテールをした白っぽいアバター」という印象だった。
ひま爺の視点ポイントはカメレオンが虫を狙うかのように胸、股、脚、肌とアニメアバターの上を忙しく舐めるように動き回っている。越後屋は思う。この男にはハラスメントにならないよう視点を隠すという考えはないのだろうかと。
「名前、なんと読んだら良いのじゃろ?」
越後屋がアカウント名を見るとxx22022xxと表記されていた。SLの海中やどこかの人の多いスカイに立ち尽くしている無人ボットアバターのようなネーミングだ。プロフィールを見ると全て灰色の空欄状態で登録が5日前になっている。
「誰かのサブ?誰か生まれ変わったんか?」
ひま爺がお決まりのモラルのない質問を投げかける。
注目が新しい人物に集まっている間にエルザがいつの間にかカウンターの外へ出ていて、彼女の隣にすっと並んだ。二人並ぶとアニメヘッドとリアルヘッドの違いがあるのに、どこか似たような姉妹のように見える。新人アバターの容姿は一目でエルザの趣味によるものだと、越後屋にもひま爺にもすぐにわかった。
「ごめんなさい。まだ名前をタグに出す方法を教えていなかったね。この子の名前はミューさん。数日前にわざわざスワロウネストを訪ねてきてくれたの。最近では珍しい本当の新人だから、一からセカンドライフの事を教えてるところ。外国の方みたいだけど日本語はすごく上手。ミューさんのアバターと衣装は私が揃えてみたの。かわいいでしょ?最初は箱みたいな概念アバターだったんだから」
ミューと呼ばれたアニメアバターは大きな瞳をきょろりと動かして全体を見まわした後、一歩前に出た。その動作でツインテールが前後に揺れる。アバターのモーションは実物の人間のようにとてもなめらかだ。
「ボクはミュー。プリムピアからきたキューボイド。エルザと『ツバメの会』はノートを読んで知っている。よろしく旧人類アバターの皆さん」
もしアバターが無意識に顔を見合わせることが出来たなら、越後屋とひま爺はとりあえず互いの顔を見合せただろう。なんだか変な挨拶で半分くらい意味が解らない。翻訳した日本語だろうか。不思議なアニメアバターの少女の登場に、カウンターに座る二人は強く興味と関心を覚えた。