セカンドライフ
「離せ!…売らせろ!売らせてくれ!」
Arcadeガチャで散財したドロシーが素プリム一つを両腕に抱えて玄関を出ていこうとするのを、越後屋と助手ちゃんがそのスカートを引っ掴み何とか止めようと踏ん張っていた。もみ合っている三人はどれも種類の異なるアニメヘッドのアバターだ。
左右の二人をタッチダウン直前のラガーマンの如く引きずっているのは、黒いゴス系ドレスの腰にチェーンソーをひっさげた白髪ツインテール、片目が血走ってよだれを垂らしているゾンビスキン。その名をドロシーという。もうあと少しで、玄関フロアから家の外に出てしまうという逼迫した状況だ。
引きずられているアバターの一人は、研究員のような白衣を着たお団子ヘアの赤髪で、助手ちゃんと呼ばれている。もう一方は越後屋という名前で銀髪ツインテールに猫耳と腰から尻尾が生えている女子高制服のアバターだが、見た目に反して時代劇のお侍のような口調が特徴的だ。
玄関を出てしまったらもうドロシーを止めようがない。鎖から解き放たれた野犬のように走り去ってしまうだろう。口の端によだれを垂らしているし、もともと人間より狂犬病の犬に近いところはあるが、特に欲が絡むとゾンビのくせにとてつもない力を発揮する。温厚な助手ちゃんでさえ、ドロシーを東南アジアに送って水牛の代わりに田んぼを耕作させれば、少しばかりは人の役に立つのではないだろうかと想像してしまうほどだ。頭の先に肉でもぶら下げればいくらでも馬力を出すだろう。
「ダメですよドロシー博士!それを売るのはSLに対する冒涜です!」
「ドロシー…お主、初めはあれほど喜んでいたじゃろ!『お金では買えない価値がある』とかどこぞのキャッチコピーみたいな事をほざいておったであろうが!」
ドロシーが売りに行こうとしている品物は、仮想世界セカンドライフの創始者フィリップ・ローズデールことPhilip Linden作成のプリムである。プリムとは、仮想世界セカンドライフのインワールド内ならば誰でも生成可能なありとあらゆる物の基本的な素材である。建物や車、アクセサリーや髪や衣服の一部、アバターそのものの部品として使われることもあるが、今では外部制作ソフトによって製作されたメッシュ素材が主流となりつつある。そして、Philip Linden。その名は古い住民にとっては太古の創造神にも等しい。どういう経緯で入手したのか二人は知らないが、ある時からドロシーがフィリップ作のプリムを棚の上にケース保管して拝んでいたのだ。ドロシーに限っては腰のチェーンソーで所有者を斬って奪い取ったと聞いても誰も驚きはしない。この仮想世界のあちこちに指名手配ポスターが貼ってあるのがその証拠だ。そして三人がいるドロシー邸もまた、広大な仮想世界セカンドライフに数ある大陸の片隅の土地にあった。
「『ムツゴロウ氏。UMAを集めて動物王国復活。新たな人気シリーズになるか』だって~」
場の空気などお構いなしに『ドロシーの幽霊』がニュースを読み上げる。部屋には三人しかいないが、この四人目の発言元は本物の意味での幽霊ではない。部屋の片隅にふわふわ浮いている四角い物体だ。それは内部に自動応答スクリプトが仕込まれたボットであり、見た目はテクスチャーと呼ばれる絵を抜いた真っ白なプリムである。アバターの発言に反応して言葉を発するのだが、まるで考える力を持っているかのように高性能で、この館内では言葉を調教したドロシーよりもボットの方が頭が良いと言われていた。もっとも、この家では紛らわしいので単に『幽霊』とだけ呼ばれている。
「越後屋さん、私もうだめです…」
助手ちゃんが力尽きて手を離した瞬間、越後屋の両手の五指を根こそぎもぎ取るような勢いでドロシーが玄関から飛び出した。勢い余って越後屋の膝が床を打つ。
「しまった!」
「南無阿弥陀仏」
越後屋の声に反応してドロシーの幽霊が念仏を唱える。矛盾極まりない。本物の幽霊ならば自らを成仏させてしまう行為だ。玄関から見える線路上を脱兎のごとくかけていくドロシーの後ろ姿は見る間に小さくなっていった。ドロシー邸は駅前に買った土地に建てられているため、自宅前には果てしなく伸びた大陸の線路が引かれているのだ。越後屋はぬぅぅと唸った。どこかに今すぐドロシーを撥ねてくれる電車はいないものか。そもそも死体のアバターなのだから一切責任は問わない。
「助手ちゃん殿。わしは走るゾンビを追いかける。行先はプリム屋以外にはないじゃろ」
「無理しないでください。あと越後屋さん、殿はいりませんので」
本来の越後屋は誰に対しても基本は呼び捨てだが、賢くて優しい助手ちゃんの人間性の前には尊重のあまり「殿」をつけてしまう。越後屋は助手ちゃんと共に、迷惑の権化であるドロシーのお守をすることで仮想世界の平和活動へ大いに貢献していると考えていた。その思いは決して越後屋の驕りではなく『あやつを放っておくだけで社会に対する大きな責任を感じざるを得ない』という強い責務があった。とにかく誰も予想もしないようなろくでもないことを考えてやらかす。大異変の影にはドロシーあり。Dorothy Magicとはそういう存在なのだ。
プリムを売買する店がありそうな場所は、見た目もプリムにテクス貼りの古い町に違いない。ドロシー邸から一番近いそのような場所はSOHOと呼ばれる都市しかなかった。
越後屋がSOHOに到着した時、プリム屋の場所はストリートの3ブロック先からでもすぐわかった。ドロシーの「なんでこのプリムが10L$なのだ!」という怒声がシャウト(叫び)で辺り一帯に流れていたためである。越後屋が店を覗くと、店内にはたくさんのネームプレートが貼られた棚に素プリムが並んでいた。カウンターの向こうでヒゲが生えた男性noobアバターの店主が呆れた仕草のジェスチャーでふぅっとため息をついていた。ため息の音声が海外の女性なのが見た目とのギャップでどこかイラっと来るポイントだ。
「お客さぁん。有名人のプリムというだけじゃ価値は無いんだよ。このPhilip Lindenのプリムはね、フルパー(Full Permission)で出回っているんですぜ。ノーコピーの一点ものか限定数じゃなけりゃ誰でも数を増やせるでしょうが。それでもね、私も古い人間だからPhilip Lindenのプリムには敬意をこめて10L$の値を付けたんだ。本来なら1L$ってところだよ」
店主の言葉に越後屋はなるほどプリム屋のいう事はもっともだと得心した。もしやドロシーは「価値がある」とか誰ぞに騙されてフィリップのプリムを買ったのではないだろうか。ありえない話ではない。ドロシーは怒りのあまりデフォ立ちだ。というかアバターの動作に個性と趣を与えてくれるAO(Animation Override)を面倒くさがって装備しない性格なので、ドロシーは常にデフォ立ち、トテトテ走り、地面の上ではどこでもあぐらをかいて座るようなやつだ。思い通りにならない状況をドロシーがチェーンソーで解決しようとするのは時間の問題である。すぐに連れて帰らないとドロシーの指名手配ポスターが貼られる場所が増えるばかりだ。
「おい、帰るぞドロシー。さっさとそのプリムをインベントリーにしまえ」
ドロシーは悔しさのあまり歯を食いしばっている表情HUDを押していた。
「お前みたいなあこぎな店員は人喰いプリムに喰われてしまえ!」
「何プリムだって?」
よくわからない捨て台詞を残してドロシーは店から出て行き、越後屋は容疑者から目を離さない警官のように後をついていった。
ようやく静かになり、店主は女声の溜息をついた。まったくとんでもない客が来たものだ。二人と入れ替わりに、今では数少ないデフォルトアバターの女性客が店に入ってきた。プリムを売買するだけあった客層も見た目が古いアバターが多いようである。
「あら?今お店から出てきたゾンビヘッド、どこかで見た人じゃない?」
話しかけられた店主は店の外を眺めたまま退席中のように動かない。ヴューワーのクラッシュだろうか。その視点の先を探ると、通りの向こうのビル壁に貼ってある指名手配ポスターに固定されていた。人物の名前はDorothy Magicと書かれている。店主は茫然自失となっていた。さっきのイカレ客があの悪名高いドロシーなら、そのノーコピープリムには高い値が付く可能性があるじゃないか。店主は三度目の溜息をついた。