笑う男
大きな会社だなと思う。 降り注ぐ光をギラギラと反射してそそり立つビルを目黒はしばらくぼうっと見上げていた。ほら、見ろよ。あんなに高くそびえ立って。俺を見下ろしているつもりなのか。
「いやぁ、いつもすまんねぇ」
そう言われて、目黒は振り返った。
「何言ってるんですか、僕もこれが日課になっていますから」
無いと逆に調子が狂ってしまいますよ、と笑って見せる。
そうかい、と微笑む目尻の皺が、追い詰めてくる気がした。そんなこと少しも思っていないくせに、と。
彼は気が急くのか、先ほどからチラチラと車道の奥を盗み見ている。バスはまだ来ない。
「目黒くんは、どうして今の仕事に就いたんだい?」
あぁ、この質問はもう31回目だ、いや、32回目だったかな。まぁ正味な話、数えてなんていないのだけれど。
「うーん、どうしてでしょうね…」
目黒は特別思い入れがあってこの仕事を始めたわけではなかったし、強く望んで勤め続けたいとも思っていなかった。ただ自分の置かれた環境が、そうせざるを得なかっただけだ。
「-あ、来ましたね」
車道の奥を見つめながらそう伝えると、お、と彼はゆっくりと腰を上げて席を立った。
「婆さんは元気にしてるかなぁ」という呟きに「顔を見せて差し上げれば元気になりますよ」と言って目黒が口角を上げると、彼はそれにつられるように微笑んだ。
「君が笑ってくれると安心するよ」
その途端、向かってくるバスが歪んで見えた。彼の笑顔も、目尻の皺も、見慣れた車道も、バス停も、ギラギラと降り注ぐ光さえ。目に映る全てが歪んで見えて、足元がぐにゃりと捻れた気がしたが、目黒はまた笑って言った。
「これだけが取り柄なんです」