第1章 7話 優しさの裏側
今週はGWということと、先日まで長期で投稿をストップさせてしまったことの二つの理由から、通常毎週金曜日の更新のところを本日追加で投稿します。
夜の帳が下りて人も町も寝静まった頃、シャルロットはベッドの中で体を百八十度回転させ、何度目かわからない寝返りを打つ。
昨日はメリダに抱きしめられて号泣した後、泣き疲れてそのまま眠ってしまったが、今夜は幾分か落ち着いているぶんいろいろなことが気になって寝付けずにいた。
ジャネル司教やシスター・リエナは今頃どうしているのか。無事でいてくれているのだろか、他にもっとできることがあるのではないだろうか。
それだけではない。先ほどリンカと話していた宙翔のことも気になる。
いろいろなことが頭の中をよぎり眠気がなかなか訪れてくれないのだ。
「眠れない・・・・・・」
思わず呟くと喉の渇きを覚えた。我慢できないほどでもないがこのままベッドの中にいても寝付けそうにないので、気分を変えるためにもシャルロットはむくりと起き上がるとベッドの中から出て床に降りる。
日中は少し暑く感じたが夜中になるとまだまだ肌寒く、床に足をつけると足裏にひんやりとした感触が伝わる。
シャルロットが使わさせてもらっている部屋は二階の個室だが、時間が時間なため大きな音をたてないように気を使いながらそろっと部屋から出て一階の厨房に向かう。
月明りを頼りに廊下を進んで階段を降り、厨房の中に入る。戸棚にしまってあるコップの中から夕食の時に使わせてもらったものを選ぶと、水を入れ半分ほどを一気に飲む。キンと冷たい水が喉を潤し、頭の中をクリアにしてくれる。
もう半分の水を飲み干そうとしたところに、キィィーと扉が開く音が聞こえた。
シャルロットは突然のことに驚き後ろを振り返ると、そこには寝間着姿の宙翔がいた。
「シャルどうかした? もしかして眠れない?」
宙翔もまさかこんな時間に人がいると思わなかったのだろう。一瞬驚いたような表情を見せたが、そこにいたのがシャルロットだとわかると眉をハの字にして心配そうに声をかけた。
「はい。どうしても司教様たちのことが気になってしまって・・・・・・」
素直にシャルロットが答えると宙翔はシュンと肩を落とした。
「やっぱり心配だよね。ごめんね、すぐに見つけてあげれなくて」
そんな宙翔を見てシャルロットは勢い良く首を左右に振る。
「いえ、宙翔さんのせいではありません。ただあの二人は、王都に残っている精霊教会のみなさんも含めて私にとって家族同然なんです。だから少しでも早く見つけ出してあげて、不安に思っていたら安心させてあげたいんです」
「そっか、シャルにとってその二人は、俺にとってのメリダさんやリンカみたいなものなんだね。じゃあなおさら早く見つけてあげないと」
「あの、どうしてそこまでしてくださるんですか?」
笑顔でそう答える宙翔に、夕食前のリンカとの会話を思い出したシャルロットが思わず聞いてしまう。
「昨日宙翔さんに出会ってから今に至るまであなたと行動を共にして、そして町の人やリンカさんのお話を聞いてあなたの優しさをたくさん感じました」
この町には宙翔の優しさに溢れている。そして町の人ひとりひとりの心に彼の優しい気持ちが根付いている。そんな印象だ。
しかしリンカと話をして、そして自分を助けてくれた時のことを振り返ると、そこに何か引っかかるものがあるとシャルロットは感じていた。
「でも、何というかただ優しいだけではないと思うんです。何か胸の内にある強い思いによってそうしているような気がするんです」
宙翔はそれが当然、当たり前だというように人に手を差し伸べていた。しかしそれだけではないような気がシャルロットにはしていた。彼が他者に手を差し伸べるのには、何か特別な理由があるからなのではないだろうか。もしそれが何かしら彼の負担になっているとしたら。
「もし何か無理をされているようなら・・・・・・」
「別に無理をしているわけじゃないよ。そこまで言ってくれるなら話そうかな」
宙翔は自分のコップに水を入れると椅子に腰かけた。シャルロットも宙翔に促され彼の正面の椅子に座る。
「実は七年前の戦争の時に俺は両親を目の前で亡くしたんだ。燃え盛る家の中で瓦礫の下敷きになって。俺は助けようと思ってこの手を伸ばしたけど届かなかった。そして俺だけが生き残った」
宙翔はまず七年前の戦争の時のことを話した。リンカの話だけではわからなかった当時の状況も少しばかり想像することができたが、それはシャルロットが思っていた以上に過酷なものだった。
「大切な人をどれだけ助けたくても、俺のこの手はあまりにも短くて、小さくて助けることができない」
宙翔は月明りの下で自分の右手を伸ばし、ギュッと拳を握る。爪が皮膚に食い込み血が滲みそうなほど強く拳を握るその姿はとても悔しそうに、そして当時掴めなかったものを今も必死に掴もうとしているように見えた。
「正直絶望したよ。なんで、なんでって毎日泣いてた」
夕食の最中に宙翔はシャルロットと同い年だと教えてくれた。つまり当時十歳だった少年にこの現実はあまりにも辛いものだっただろう。
目の前の両親を助けることができず無力な自分に打ちのめされ、無気力になり毎日泣いていても誰も責めることなんてできないだろう。責めることができるのは良くも悪くも本人だけだ。
「そんなときにメリダさんに拾われてサクラ亭にやってきたんだ。でも、俺がいつまでもウジウジしてたからかな。リンカを苛立たせてしまって、リンカが宿を飛び出しちゃったんだ。そして追いかけた先でリンカが年上の男たちに絡まれてるのを見つけた」
宙翔がサクラ亭に来てからの話は、おおよそリンカから聞いたものと同じだった。
「助けに行こうとしたけど、そのとき足がすくんで動けなかった。俺なんかじゃ助けられないかもしれないって・・・・・・」
それを聞いてシャルロットは驚いた。宙翔ならきっと迷いなく間に割って入るのだろうと思ったからだ。
だがシャルロットはすぐにその考えを改める。
きっとその時の宙翔の脳内には、戦争の時の燃え盛る家がフラッシュバックしたはずだ。
両親を救うことができず、きっと今度も同じ轍を踏むことになるのではないかという思いに体が支配されたのかもしれない。
「そのとき心の中で声が聞こえたんだ。『またあの時と同じことを繰り返すのか』って。その瞬間まるで心の中に火が灯ったような、消えかかっていた火に勢いが戻ったようなそんな感じがしたんだ」
宙翔は自分の胸に手を当てて言った。まるで自分の胸の中のその温もりを確かめるように。
「そして男が手を振り上げた瞬間俺は走り出してた。もう繰り返したくなかったんだ。目の前で誰かが傷ついて、いなくなってしまうなんてこと」
それからは無我夢中だったんだと宙翔は語った。リンカを守りたい。だからといって相手を傷つけるのも嫌だった。だから反撃しなかったのだと。
「今度はちゃんと家族を守れたんだ。それからかな、困っている人を見かけたら手を差し伸べるようになったのは」
これが宙翔が困っている人を放っておけない、誰かを助けるためにその手を伸ばし続ける理由だった。
これでシャルロットは、あの時の深刻そうな表情と『あんな思いは二度としたくない』という言葉の意味がわかった。それと当時にリンカが言った『痛々しく見える』というその言葉の意味も。
目の前で大切な人を、心から助けたいと思う人を助けられないその悔しさ、悲しみ、絶望を味わわないために、宙翔は自分にできる精一杯でその人に手を差し伸べるのだろう。
そしてこれは同時に贖罪なのだ。宙翔が目に映る困っている人、助けを求める人全員に手を差し伸べ助けようとするのは、救えなかった家族に対する償いと考えているからだろう。
実際のところ彼に罪なんてない。十歳の少年が大人二人を燃え盛る家から救出するなんてこと不可能に近い。だが宙翔はそんなこと許容しないはずだ。当時の自分を決して許さず、このゴールの見えない終わりなき贖罪を続けていくのだろう。
その姿はまさしく痛々しいものだ。
「そうだったんですね」
シャルロットの口調は自然と弱々しいものになる。これで宙翔の心の内のすべてを理解できたわけではない。しかしその一端でも垣間見た今の状態では、もう以前のようにただみんなに優しい男の子というふうには見ることはできない。
「はい。しんみりした話はおしまい」
パチンと手を叩くと、宙翔は話を切り上げおもむろに立ち上がった。
「お詫びといっては何だけどいいもの見せてあげるよ」
その言葉を聞いてシャルロットは首をかしげる。
宙翔は目をつむって意識を集中させる。するとわずかにキラッと何かが光ったようにシャルロットは感じた。
月明りに食器か何かが反射したのかと思ったが、シャルロットの予想を裏切るように宙翔の周りにポツンと一つ淡い光が浮かび上がる。ふわふわと浮遊する光の粒にシャルロットが目を奪われていると、宙翔を取り巻く光の粒の数が次第に増えていき、その数は五十を超えようとしていた。
光たちは星の瞬きのように明滅を繰り返し、手で触れたら壊れてしまいそうな儚さがあった。その幻想的な光景にシャルロットは息を呑んだ。
「これ、すごい・・・・・・」
「小さい頃からかな。こうやって意識を集中すると微精霊が集まってくるようになったんだ」
「宙翔さん、精霊の加護をお持ちだったんですか!?」
「精霊の加護?」
興奮気味に問うシャルロットだったが、耳馴染みのない単語が飛び出してきたので宙翔は聞き返す。
「はい、精霊に愛された証。精霊との親和性が高く、それを持つものは精霊使いとして高い適性があると言われています」
「そうなの?」
「全世界に十人といないって言われてるんですよ! しかもこれほどのものとなるとさらに限られてくると思います」
シャルロットも全世界における精霊使いの正確な数を把握しているわけではないが、確か数千人はくだらないはずだ。その中の十人ともなればかなり希少な存在なのだが、宙翔にはいまいちピンときていないようだった。
シャルロットも精霊使いについてそれほど詳しいわけではないが、これほどたくさんの微精霊に影響を与えられる宙翔ならきっとすごい精霊使いになれるだろうと思った。
「でも、精霊使いになるつもりはないかな」
「そうなんですか?」
そんなすごい才能を持っていながら、どうやら宙翔は精霊使いにはあまりなりたくなさそうだった。
「確かに精霊使いの人たちは多くの人を助けてきてる。でも、戦いの中で相手を傷つけないといけない時だってある。俺は人を傷つけたくないから。それに王国の精霊使いの考え方には納得できない部分もあるしね」
「精霊を道具扱いすることですね」
シャルロットが言うと宙翔は静かに頷いた。
精霊にも魂があり、自我を持っている。だから本質的には人間も精霊も同じなのだ。今日の社での精霊とのやりとりを見ていると、宙翔も同じように考えていることがわかる。
「私たち精霊教会もそのことを大変憂いています」
人間と精霊は本質的には同じなのだから、一方的な主従関係ではなく互いを尊重するべきだとシャルロットも宙翔も思っていた。
「だから俺は精霊使いになるつもりはないんだ。おっと、もうこんな時間だ」
宙翔がふと時計を見ると、話し始めてから時計の針がかなり進んでいた。思ったよりも話し込んでしまったようだ。
「シャルも今日は歩き回ったり、慣れない作業で疲れたと思うから早めに寝るんだよ。眠れなくてもベッドの中で横になるだけでも違うからさ」
(あぁ、でもこの人の優しさは・・・・・・)
にこりと笑いかける宙翔を見てシャルロットの宙翔に対する悲痛な思いは和らいだ。
うまく言葉にできないが宙翔の善意の裏にどんな後悔があろうとも、どんな償いの思いがあろうとも、周りの人に対してこんなふうに思える宙翔の優しさはきっと本物なのだろうとシャルロットは思った。
「はい、ありがとうございます」
そして宙翔がコップの中の水を一息に飲み干してしまうと、シャルロットも残っていた水を飲み切り、二人でコップを洗い戸棚に戻す。
片づけを済ませると二人は厨房を後にして階段をのぼり自室に向かう。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
近くの部屋で寝ているリンカやメリダを起こさないように、二人は静かに各々の部屋に入っていった。
シャルロットはベッドの中に潜り込むと目を閉じた。
宙翔と話をして具体的に何かが解決して、今の現状を打開する方法が見つかったわけではないが、自然と先ほどまでのように不安が頭の中を占領することは無かった。
今はここで悶々と考えていても仕方がない。宙翔が自分にできる精一杯の力で手を差し伸べてくれるのならば、シャルロットは少しでも彼の負担を減らせるように自分にできる精一杯で司教たちを探すしかないのだ。
シャルロットは明日に備えて寝る態勢を整えると、今度はすぐに眠気がやってきて夢の世界へといざなわれた。
***
宙翔たちが夕食ラッシュで慌ただしく仕事をしていたころ、町の外れにある傭兵集団《蛇の鱗》の野営地にてボスであるデトス・チャートは部下からの報告を受けていた。
「例の女ですが、どうやらサクラ亭とかいう宿屋で身を隠してるみたいです」
「そうか。なら明日、女を連れて戻ってこい。今度は逃げられるなよ。それとくれぐれも丁重にな」
デトスに念押しされ部下の一人ザックの最後を思い出した部下たちは、軽く身震いをして頷いた。
「それでもう一つの依頼のほうだが、あれは準備できたんだろうな?」
「はい。おい、あれを持ってこい」
部下が指示を出すと外に待機していた数人の《蛇の鱗》の構成員たちが、四人がかりで大きな木箱を抱えてやって来てデトスの前に箱を置く。
デトスは椅子から立ち上がるとおもむろに箱に近づいた。全長約百二十センチ、高さ五十センチもある大きな箱で、屈強な男四人がかりで運んできたことからもそれなりの重量があることがわかる。
そしてデトスが木箱の蓋を開け中を確認すると、そこには箱にすっぽり収まるサイズの円柱状の装置が入っていた。
「依頼主の指示通りにセッティングしたんで問題なく動くと思います」
部下の言葉を聞いてデトスはにやりと獰猛な笑みを浮かべる。
「よし、これで準備は整ったな。さあて仕事の始まりだ」
シャルロットの所在を特定し、もう一つの依頼の準備を整えた傭兵集団《蛇の鱗》が本格的に動き出そうとしていた。
第七話を読んでいただきありがとうございます。今週金曜日に第八話を更新するのでそちらもお楽しみに!