第2章 29話 里の精鋭たち③(中編)
突進してくる魔獣に向かって駆けだしたフードの女性は、懐から何かを取り出す。
取り出したのは短剣。
しかし、ただの短剣ではないようだ。
フードの女性が短剣へと霊力を流し込むと、それに反応して周囲の微精霊が刀身に集まっていく。
彼女が手に持っているのは、短剣型の擬似霊具だったのだ。
《擬似霊具》
それは精霊使いが扱う精霊の武具化《霊具》を模して作られた。
たとえ少ない霊力量であっても、埋め込まれた霊応石が流れ込んでくる霊力に反応して、周囲の微精霊の力を集約し斬撃力強化や光弾発射を可能にする。
魔獣に近づいたフードの女性は、短剣型の擬似霊具で魔獣を斬りつけた。
しかし魔獣の体を覆う硬い体毛に阻まれ、ダメージを与えるには至らない。
だがそれでいい。
彼女の狙いは、魔獣の意識を自分に向けさせることだから。
攻撃を受けた魔獣はダメージこそなかったものの、フードの女性の狙い通り自分に害意をなす彼女を標的に定める。
魔獣は急停止するとフードの女性の方を向き、霊力出力量をあげて精霊術を発動した。
魔獣の樹木のような太い角が、枝分かれしながら伸びてフードの女性に迫る。
フードの女性は迫り来る幾重にも枝分かれした角を擬似霊具でいなしつつ、軽やかなステップで回避をしていく。
しかしながら膨大な量の霊力をもつ魔獣の精霊術の規模は凄まじく、枝分かれした角はあっという間に彼女の視界を覆いつくす。
魔獣が精霊術を発動してから、ものの数秒の間に擬似霊具による捌きとステップ回避だけでは対応しきれなくなってしまう。
気が付けば、身に着けていたコートは何度も魔獣の角がかすめたことでボロボロになっており、コートからのぞく手足も小さい傷が幾つも刻まれていた。
そして魔獣が精霊術を発動してから十秒が経過しようとした時、魔獣が急に首を横に振る。
それにより、うねるように伸びる角の軌道が急に横薙ぎへと変わる。
この急激な軌道変化に彼女は対応することができず、伸びる角が彼女を薙ぎ払い、そのまま近くの家屋へと吹き飛ばした。
衝撃により家屋は倒壊し、大きな土煙が舞い上がる。
生身の人間であれば、その衝撃に体が耐え切れず命を落とすだろう。
魔獣も目の前の敵を屠ったことで、次の標的を探してその場を離れようとした時。
「悪いけど、今の私は機嫌が悪いんだ」
強い意志のこもった声が魔獣の耳に届いた。
魔獣が声のする方を注視すると、激しく舞う土煙の中から人影が浮かび上がる。
すると土煙の中から、角で吹き飛ばしたはずの女性がしっかりとした足取りで歩いて出てきたのだ。
よく見ると彼女の身に纏うがコートが淡い光を放っていた。
そして彼女が土煙から完全に姿を現すころには、光は幾つもの小さな光点が散るようにして消える。
実は彼女が羽織っていたコートは擬似霊装と呼ばれるものだったのだ。
〈擬似霊装〉
そもそも霊装とは、精霊使いが精霊の力をその身に纏うために戦闘装束として具現化したもの。
擬似霊装はそれを模して作られたもので、擬似霊装に霊力を流し込むと生地に散りばめられた霊応石のかけらが反応。周囲の微精霊の力を集約して、一時的に防御力を高められるものだ。
少量の霊力量でも霊応石が反応して周囲の微精霊の力を得て防御力を得られるため、精霊使いの適性が低いC級精霊使いの主防具として用いられている。
またナイトオブスピリッツの制服としても使われている。
フードの女性も魔獣の攻撃を受ける直前、擬似霊装の効果を発動させたので最小限のダメージで済んだのだった。
「機嫌が悪い」と言いながら土煙から姿を現したフードの女性は拳を強く握り締め、肩をわなわなと震わせていた。
その様子は機嫌が悪いというよりも、怒りに満ちているようだった。
「あの時、シャルの身が危険にさらされてるっていうのに、あのクソ司教が『傭兵集団の目的と依頼主の正体を探るためにも、今は捕まったふりをするべきだ』とかぬかしたせいで、シャルをすぐに助けに行けなかった。そのせいでシャルが危険なめにあって・・・・・・そのうえ、私の大事なシャルがどこの馬の骨とも知らない男と一緒に旅をすることになったんだぞ!」
ため込んだ鬱憤を一気に吐き出すように、早口で捲し立てるフードの女性。
「思い出すだけでムシャクシャする!!」
しかしながら、その程度では彼女の怒りは収まらないようで、盛大な舌打ちともに自分の感情を魔獣にぶつける。
フードの女性は、一瞬周囲に視線を走らせてシャルロットが屋敷に入ってこの場にいないことを確認すると、ボロボロになったコートを脱ぎ捨てた。
「悪いけど、お前でストレス発散させてもうからな!」
そう言って露わになった彼女の姿は、白い帽子のようなものに黒色のベールを被り、帽子からは亜麻色のボブヘアーがのぞいている。そして白襟の付いたゆったりめのローブを身に纏っていた。
それはシャルロットが着ている修道服と同じものだ。
フードの女性の正体は、つい先日までシャルロットと共に布教の旅をしサクラギの病院で別れはずのシスター、リエナだったのだ。
怒気のはらんだ刺々しい口調と冷たく鋭い目つきで魔獣を睨みつける今のリエナは、シャルロットの知る優しい年上のお姉さんのイメージとかけ離れていた。この場にいないシャルロットが彼女の姿を見たら、きっと驚いて別人だと疑っていただろう。
そして彼女の右手にはまっている指輪を見たら、もっと驚いていたに違いない。
コートを脱ぎ捨てたリエナは、右手にはまる指輪に霊力を流し込み詠唱を始める。
「我を守護する精霊よ。汝、戦場を疾く駆け、彼のものに己が健脚を示せ。ラビー!」
契約の指輪からのエメラルド色の霊力が粒子となって溢れ出す。
溢れ出した粒子は一瞬ウサギの形になると、再び粒子となってリエナの身体を包み込み、霊具と霊装へと形を変える。
リエナが身に纏う霊装は機動性を重視した軽い防具類の上に、肩甲骨あたりまである短丈のエメラルド色のケープ。
頭にはウサギの耳を思わせる白色のリボンカチューシャ。
腰部にはウサギの尻尾を思わせる飾りまで付いている。
そして右手に握っている霊具は、櫛状の峰をもつ短剣ソードブレイカー。
ウサギの要素を前面に押し出した女性的で可愛らしい霊装。
それとは裏腹に右手に持っている独特な形状の短剣、ソードブレイカー。そして怒気と殺気を撒き散らしながら魔獣を睨みつけるリエナの表情は、かなりのギャップがある。
しかしながら、そのギャップがシャルロットと接する時と戦闘の時。優しさと苛烈さを合わせ持つ彼女の二面性を魅力的に引き立てていた。
霊具と霊装を顕現させたリエナは、右足を後ろに引きながら両手を地面につき前傾姿勢になると、精霊術を発動する。
精霊術によってリエナの右足に凄まじい勢いで風が集まってくる。
「行くぞ!」
そしてリエナが右足で地面を蹴りだすと同時に、集まっていた風が爆ぜてリエナの体を前へ押し出す。
これは脚部に風を集約して一気に開放することで蹴り出す力を増大させ、爆発的な推進力を得るラビーの精霊術《風迅脱兎》
リエナは十数メートルあった魔獣との距離を、《風迅脱兎》によって瞬く間にソードブレイカーの間合いまで詰め寄る。
魔獣の眼前まで迫ったリエナは、薄く鋭く速い風をイメージしてソードブレイカーへと霊力を送り、精霊術を発動。
ソードブレイカーの刃先に風が集まり、持ち手から切っ先に向かって風が高速で流れる。
リエナは《風迅脱兎》の突進力を上乗せして、風を纏ったソードブレイカーを振るう。
擬似霊具では傷一つ付けることができなかったのだが、精霊術を発動させたソードブレイカーは魔獣の体に深々と突き刺さった。
これは刃先に風を纏わせて、斬撃を強化するラビーの精霊術《風兎ノ切歯》
リエナは《風迅脱兎》の突進力をそのままに、魔獣の胴体をすれ違いざまに斬り裂く。
魔獣は今まで発したことの無い、苦悶に満ちた叫び声を上げる。
ダメージを受けた魔獣は、怒りに満ちた表情でリエナを睨みつける。
そしてシャルロットに迫った時と同じように、頭を倒して樹木のような極太の角で土砂を削りながら、リエナに向かって猛烈な勢いで突進してきた。
「それはさっき見たよ。そんな直線的な攻撃、簡単に躱せるんだっつーの!」
リエナはシャルロットを助けた時と同様の動きで回避しようとする。
だが魔獣はリエナの眼前に迫ったところで急停止し、頭を左斜め上に向かって擦り上げた。
ただの突進攻撃ではなく、角で削った土砂と共に吹き飛ばすつもりだったのだ。
リエナのスピードに対抗するための土砂による物量攻撃。魔獣は速さで勝る相手への対策を本能で理解していた。
これで倒したはず。
魔獣は吹き飛ばした獲物の姿を探そうと、空中を舞う土砂に向かって視線を向ける。
しかし、魔獣の視界の中にリエナの姿は無かった。
魔獣は小刻みに頭を左右に振ってリエナの姿を探すが、見つからない。
その時。
「それで私の意表を突いたつもりかよ」
魔獣の耳にリエナの嘲るような声が届く。
声は空中を舞う土砂のさらに上方、魔獣の真上から聞こえてきた。
魔獣が見上げると、なんと頭上には無傷の状態のリエナの姿があった。
リエナは魔獣が頭を擦り上げる直前、魔獣の細かな体の動きから予備動作を捕捉。
魔獣が頭を擦り上げる寸前のタイミングで《風迅脱兎》で脚力を強化してジャンプして、魔獣の攻撃よりも一歩早く土砂の届かないところまで跳躍したのだ。
意表を突いた攻撃をしたつもりが、逆にリエナに意表を突かれてしまい魔獣の動きが一瞬止まる。
リエナはその間に《風兎ノ切歯》を発動させたソードブレイカーを魔獣の首元へ突き立てて着地。
そのまま魔獣の背を滑り降りながら、ソードブレイカーで魔獣の体を切り裂いた。
リエナが魔獣の体から降りた直後、魔獣は叫び声を上げながら倒れた。




