第2章 28話 里の精鋭たち③(前編)
ここは風間の里の中央部に位置する、里長の屋敷の屋根の上。
「我を守護する精霊よ。汝、我が身に纏い、我を風の中に忍び獲物を狩る狩人と化せ。梟弦!」
そこには里長から索敵と現場の状況把握の任を受けた史郎が、目を閉じて霊装と霊具を顕現した状態で立っていた。
彼の契約精霊は風属性のフクロウの精霊、梟弦。
霊装は自身の身を隠す暗緑色の外套。
霊具は右腕に装備している弩だ。
よく見ると精霊術を発動しているようで、史郎の耳元には周囲から風が寄り集まっていた。
史郎が発動しているのは、梟弦の精霊術《気流集音》
効果は風の流れを操り、耳元に周囲の音を集めて索敵を行うというものだ。
史郎が極限まで集中力を高めて霊力操作に注力すれば、里内のあらゆる音を聞き分けることができる。史郎はたゆまぬ長年の修練によって、ここまで広範囲で洗練された精霊術として行使できるのだ。
そのため史郎は目を閉じて余計な情報を廃し、里全体の風を集めるための霊力操作と、風が運んできた音を聞き分けることに全神経を研ぎ澄ませていた。
東と南方向からは、戦闘音と思わる何かが激しくぶつかり合うような音や、足音、何かが転がるような音が聞こえてきていた。
音の様子を聞くに、それぞれ激しい戦いを繰り広げているようだが、里の精鋭である班長を務める彼らなら、きっと大丈夫だろう。
そう思いつつ史郎は精霊術の効果範囲を広げ、意識を里の防壁の外側まで広げる。
効果範囲を広げたことで拾える音数や音の鮮明さは落ちてしまうが、そのぶんより広い範囲での索敵を行えるようになる。
デメリットを承知で史郎が《気流集音》の効果範囲を広げた理由は、事前に聞いた雷亜の話にあった黒ローブの二人組の男たちを警戒するため。
彼らの目的が里の襲撃ならば、さらに魔獣を生み出して里に送り込んでくるかもしれないからだ。
しかも黒ローブの二人組の男のうち一人は、史郎をはじめとした里の者全員がよく知る人物である可能性が出てきた。
その人物は五年前、班長全員を実力行使でねじ伏せて里を離反した過去がある。
里を離反した理由も、なぜ今回の一件に関わっているかもわからないが、彼を相手にするなら用心をする必要がある。
しかも彼を相手にするのであれば後手に回った時点でもう手遅れでした、なんてことも普通にあり得る話だ。
実は今回、里長が史郎に戦闘に参加せずに索敵に集中するように命じたのも、それらを警戒してのことなのだ。
そんな史郎の耳が、低く響くような音を捉えた。
最初の内は小さかった音が、徐々に大きくなっていくのがわかる。
「何かが近づいて来る・・・・・・」
史郎はその音の正体、そしてどの方角から聞こえてくるか探るために、意識をその低く響くような音の方へと向ける。
「音の具合からしておそらく魔獣の足音・・・・・・。この方角は北か!」
***
時は少しさかのぼり、数分前。
場所は里の中心部にある救護所。
里長の命により第十班の面々は、怪我人を救護所のほど近くにある里長の屋敷の地下に避難させていた。
里長の屋敷内で重症者の受け入れを終わらせた紅葉は、状況確認のため一旦屋敷の外に顔を出す。
屋敷の入り口付近で避難誘導をしていた美景に声をかける。
「美景、避難の状況は?」
「はい。重症者は無事に屋敷地下へと避難させました。軽傷者の方も、まもなく全員地下への避難が終わりそうです」
「わかった。それが終わり次第、あたしは屋敷の守りに着くから、中のことは任せたぞ」
「はい、わかりました」
状況確認を済ませて美景から視線を外すと、怪我人の避難を手伝うシャルロットの姿が目に映る。
列をなして屋敷へと向かう怪我人の中で、足を引きずる人が転びそうになったのをシャルロットが受け止めた。
「大丈夫ですか?」
修道女でありながら聖母のように優しく微笑みかけながら気遣うシャルロットに、その怪我人も思わず頬を赤らめる。
「ああ、ありがとう」
そのやりとりを遠巻きに見ていた紅葉は、満足そうな笑みを浮かべる。
昨日の救護所での働きぶりを美景から聞いた時も、よく気がつく上に優しく、怪我人を気遣う良い子だったのだとか。
ガサツな自分とは違う、優しさに満ちた笑顔で接するシャルロット。
その姿が今は亡き、とあるくノ一の姿と重なり切なさを感じていた時。
パン! と乾いた音が響く。
急いで音のする方に視線を向けると、屋敷の上から赤色の煙が尾を引いて上空へと伸びていた。
「赤色の煙弾・・・・・・」
忍びたちが離れた仲間と連絡を取るために使用する煙弾だ。
打ち上げたのは屋敷の屋根の上で索敵を行っていた史郎のはず。
しかも赤色の煙弾が示すのは、敵襲。
(誰が、どこから来る!?)
紅葉が周囲を警戒した直後。
地響きを伴いながら、北から何かが近づいてくる気配を感じる。
急いでそちらに視線を向けると、現れたのは体躯が見上げるほど大きな鹿の魔獣だった。
まるで樹木のように大きく広がった角を振り回しながら、猛烈な勢いで真っ直ぐこちらに近づいてきていた。
しかも鹿魔獣の進路上には、怪我人に手を貸すシャルロットがいた。
「危ない!」
紅葉の叫びで顔を上げ、周囲を見回すシャルロット。
魔獣の接近に気がついたようだが、猛烈な勢いで突進する魔獣を避けるには間に合いそうに無い。
一方の鹿魔獣はシャルロットを標的と捉えたのか、頭を下げて角で地面を削り、土砂を前に押し出しながら突っ込んでくる。
もうぶつかる! と思われたその時。
救護所の影から何者かが飛び出し、シャルロットと怪我人を両脇に抱えると鹿魔獣の進路上から間一髪のところで二人を連れ出した。
「ありがとうございま・・・・・・す!?」
シャルロットは、助けてくれたことにお礼を言おうと顔を上げたが思わず目を見開く。
なぜなら、その助けくれた人物が丈の長いコートを身に纏いフードを目深に被っていたからだ。
一瞬、雷亜が話したローブ男のことが頭をよぎる。
だが、すぐにその可能性は無いと直感した。
それは目の前の人物のシルエットが、コートの上からでもわかる曲線を帯びたものだったから。
シャルロットたちを助けてくれた人物は女性だったのだ。
雷亜の話では、薬で精霊を魔獣化させている危険人物は男性だったため、すぐにこの人は違うと思うことができた。
しかも不思議なことに、どこか既視感めいたものを感じた。
まるで以前もこうしてこの人に助けられたような、そんな気がした。
「あなたは・・・・・・もしかしてどこかでお会いしたことが?」
シャルロットが問いかけてもフードの女性は無言を貫いている。
どうやら答えるつもりはないようだ。
「シャルロット!」
シャルロットがもう一度フードの女性に質問しようとした時、紅葉が心配そうな顔で駆け寄ってきた。
フードの女性は無言で顔を二回、紅葉の方に動かす。
どうやら、行けと伝えているようだ。
「どなたかはわかりませんが、ありがとうございます」
シャルロットはフードの女性にお礼を言うと、怪我人に肩を貸して立ち上がり紅葉の方に歩いて行く。
「シャルロット、無事か?」
「はい、あちらの方が助けてくれました」
シャルロットが紅葉にフード女性のことを伝えようとした時。
「!!!!!」
鹿魔獣が荒ぶる声を上げて、再びこちらに向って突進してきた。
フードの女性は迎え撃つつもりなのか、魔獣の方に向かって走り出す。
その様子を見た紅葉はシャルロットに声をかける。
「シャルロットは、そのままそいつを連れて屋敷の地下へ」
「紅葉さんは?」
「あたしは非難できてない怪我人をそっちに誘導したら、あいつの援護に行ってくる」
フードの女性の戦闘力がどれくらいのものかわからないが、どちらにしても一人で戦うには荷が重いだろう。
そう判断した紅葉は、怪我人の誘導をした後に援護に行くと判断した。
「二人だけで大丈夫なんですか?」
心配そうな表情で紅葉を見つめるシャルロットに、紅葉は自信満々といった感じで笑みを浮かべた。
「こう見えて、あたしも班長だ。たかだか魔獣一匹に遅れはとらないさ」
そう言った紅葉は、シャルロットの背中を軽く押して屋敷の方に行くように促す。
「さあ、行った行った」
「どうかご無事で」
紅葉に背中を押されたシャルロットは不安な表情を引っ込めると、怪我人に肩を貸しながら屋敷に向かって歩き出す。
シャルロットが屋敷に向かうのを見送った紅葉は、避難がまだの怪我人たちの元へと走っていった。




